六
こう暑くては猫といえどもやりきれない。皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだとイギリスのシドニー・スミス*とかいう人が苦しがったという話があるが、たとい骨だけにならなくともいいから、せめてこの淡灰色の斑ふ入いりの毛け衣ごろもだけはちょっと洗い張りでもするか、もしくは当分のうち質にでも入れたいような気がする。人間から見たら猫などは年が年じゅう同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至って単純な無事な銭ぜにのかからない生しよう涯がいを送っているように思われるかもしれないが、いくら猫だって相応に暑さ寒さの感じはある。たまには行水の一度ぐらいあびたくないこともないが、なにしろこの毛衣の上から湯を使った日にはかわかすのが容易なことでないから汗臭いのを我慢してこの年になるまで銭湯ののれんをくぐったことはない。おりおりは団扇うちわでも使ってみようという気も起こらんではないが、とにかく握ることができないのだからしかたがない。それを思うと人間はぜいたくなものだ。なまで食ってしかるべきものをわざわざ煮てみたり、焼いてみたり、酢すに漬けてみたり、味み噌そをつけてみたり好んでよけいな手数をかけてお互いに恐悦している。着物だってそうだ。猫のように一年じゅう同じ物を着通せというのは、不完全に生まれついた彼らにとって、ちと無理かもしれんが、なにもあんなに雑多なものを皮膚の上へ載せて暮らさなくてものことだ。羊の御ご厄やつ介かいになったり、蚕かいこのお世話になったり、綿畑のお情けさえ受けるに至ってはぜいたくは無能の結果だと断言してもいいくらいだ。衣食はまず大目に見て勘弁するとしたところで、生存上直接の利害もないところまでこの調子で押してゆくのはごうも合が点てんがゆかぬ。第一頭の毛などというものは自然にはえるものだから、ほうっておくほうが最も簡便で当人のためになるだろうと思うのに、彼らはいらぬ算段をして種々雑多な恰かつ好こうをこしらえて得意である。坊主とか自称するものはいつ見ても頭を青くしている。暑いとその上へ日ひ傘がさをかぶる、寒いと頭ず巾きんで包む。これではなんのために青い物を出しているのか主意が立たんではないか。そうかと思うと櫛くしとか称する無意味な鋸のこぎり様ようの道具を用いて頭の毛を左右に等分してうれしがってるのもある。等分にしないと七分三分の割合で頭ず蓋がい骨こつの上へ人為的の区画を立てる。中にはこの仕切りがつむじを通り過ごして後ろまではみ出しているのがある。まるで贋がん造ぞうの芭ば蕉しよう葉はのようだ。その次には脳天を平らに刈って左右はまっすぐに切り落とす。丸い頭へ四角なわくをはめているから、植木屋を入れた杉すぎ垣がき根ねの写生としか受けとれない。このほか五分刈り、三分刈り、一分刈りさえあるという話だから、しまいには頭の裏まで刈り込んでマイナス一分刈り、マイナス三分刈りなどという新奇なやつが流行するかもしれない。とにかくそんなに憂うき身みをやつしてどうするつもりかわからん。第一、足が四本あるのに二本しか使わないというのからぜいたくだ。四本で歩けばそれだけはかもゆくわけだのに、いつでも二本ですまして、残る二本は到来の棒ぼう鱈だらのように手持ちぶさたにぶら下げているのはばかばかしい。これでみると人間はよほど猫より閑ひまなもので退屈のあまりかようないたずらを思考して楽しんでいるものと察せられる。ただおかしいのはこの閑ひま人じんがよるとさわると多忙だ多忙だと触れ回るのみならず、その顔色がいかにも多忙らしい、悪くすると多忙に食い殺されはしまいかと思われるほどこせついている。彼らのある者は吾輩を見て時々あんなになったら気楽でよかろうなどと言うが、気楽でよければなるがいい。そんなにこせこせしてくれとだれも頼んだわけでもなかろう。自分でかってな用事を手に負えぬほど製造して苦しい苦しいというのは自分で火をかんかん起こして暑い暑いと言うようなものだ。猫だって頭の刈り方を二十通りも考え出す日には、こう気楽にしてはおられんさ。気楽になりたければ吾輩のように夏でも毛衣を着て通されるだけの修業をするがよろしい。──というものの少々熱い。毛衣ではまったく熱すぎる。
これでは一手専売の昼寝もできない。何かないかな、ながらく人間社会の観察を怠ったから、きょうは久しぶりで彼らが酔すい興きようにあくせくする様子を拝見しようかと考えてみたが、あいにく主人はこの点に関してすこぶる猫に近い性分である。昼寝は吾輩に劣らぬくらいやるし、ことに暑中休暇後になってからは何一つ人間らしい仕事をせんので、いくら観察をしてもいっこう観察する張り合いがない。こんな時に迷亭でも来ると胃弱性の皮膚もいくぶんか反応を呈して、しばらくでも猫に遠ざかるだろうに、先生もう来てもいい時だと思っていると、だれとも知らず風ふ呂ろ場ばでざあざあ水を浴びる者がある。水を浴びる音ばかりではない、おりおり大きな声で相の手を入れている。「いや結構」「どうもいい心持ちだ」「もう一杯」などと家うちじゅうに響き渡るような声を出す。主人のうちへ来てこんな大きな声と、こんな無作法なまねをやる者はほかにはない。迷亭にきまっている。
いよいよ来たな、これできょう半日はつぶせると思っていると、先生汗をふいて肩を入れて例のごとく座敷までずかずか上がって来て「奥さん、苦沙弥君はどうしました」と呼ばわりながら帽子を畳の上へほうり出す。細君は隣座敷で針箱のそばへ突っぷしていい心持ちに寝ている最中にワンワンとなんだか鼓こ膜まくへこたえるほどの響きがしたのではっと驚いて、さめぬ目をわざとみはって座敷へ出て来ると迷亭が薩さつ摩ま上じよう布ふを着てかってな所へ陣取ってしきりに扇使いをしている。
「おやいらっしゃいまし」と言ったが少々狼ろう狽ばいの気味で「ちっとも存じませんでした」と鼻の頭へ汗をかいたままお辞儀をする。「いえ、今来たばかりなんですよ。今風呂場でおさんに水をかけてもらってね。ようやく生きかえったところで──どうも暑いじゃありませんか」「この両りよう三さん日ちは、ただじっとしておりましても汗が出るくらいで、たいへんお暑うございます。──でもお変わりもございませんで」と細君は依然として鼻の汗をとらない。「え、ありがとう。なに暑いぐらいでそんなに変わりゃしませんや。しかしこの暑さは別べつ物ものですよ。どうもからだがだるくってね」「わたしなども、ついに昼寝などをいたしたことがないんでございますが、こう暑いとつい──」「やりますか。いいですよ。昼寝られて、夜寝られりゃ、こんな結構なことはないでさあ」と相変わらずのんきなことを並べてみたがそれだけでは不足とみえて「わたしなんざ、寝たくない、たちでね。苦沙弥君などのように来るたんびに寝ている人を見るとうらやましいですよ。もっとも胃弱にこの暑さはこたえるからね。丈夫な人でもきょうなんかは首を肩の上に載せてるのが退儀でさあ。さればといって載っている以上はもぎとるわけにもゆかずね」迷亭君いつになく首の処置に窮している。「奥さんなんざ首の上へまだ載っけておくものがあるんだから、すわっちゃいられないはずだ。髷まげの重みだけでも横になりたくなりますよ」と言うと細君は今まで寝ていたのが髷の恰好から露見したと思って、「ホホホ口の悪い」と言いながら頭をいじってみる。
迷亭はそんなことには頓とん着じやくなく「奥さん、きのうはね、屋根の上で玉子のフライをしてみましたよ」と妙なことを言う。「フライをどうなさったんでございます」「屋根の瓦かわらがあまりみごとに焼けていましたから、ただ置くのももったいないと思ってね。バタを溶かして玉子を落としたんでさあ」「あらまあ」「ところがやっぱり天てん日ぴは思うようにゆきませんや。なかなか半熟にならないから、下へおりて新聞を読んでいると客が来たもんだからつい忘れてしまって、けさになって急に思い出して、もう大丈夫だろうと上がってみたらね」「どうなっておりました」「半熟どころか、すっかり流れてしまいました」「おやおや」と細君は八の字を寄せながら感嘆した。
「しかし土ど用ようじゅうあんなに涼しくって、今ごろから暑くなるのは不思議ですね」「ほんとでございますよ。せんだってじゅうは単衣ひとえでも寒いくらいでございましたのに、おとといから急に暑くなりましてね」「蟹かになら横にはうところだがことしの気候はあとびさりをするんですよ。倒とう行こうして逆げき施しす*また可ならずやというようなことを言っているかもしれない」「なんでござんす、それは」「いえ、なんでもないのです。どうもこの気候の逆もどりをするところはまるでハーキュリスの牛ですよ」と図に乗っていよいよ変ちきりんなことを言うと、はたせるかな細君はわからない。しかし最前の倒行して逆施すで少々懲りているから、今度はただ「へえー」と言ったのみで問い返さなかった。これを問い返されないと迷亭はせっかく持ち出したかいがない。「奥さん、ハーキュリスの牛を御存じですか」「そんな牛は存じませんわ」「御存じないですか、ちょっと講釈をしましょうか」と言うと細君もそれには及びませんとも言いかねたものだから「ええ」と言った。「昔ハーキュリスが牛を引っぱって来たんです」「そのハーキュリスというのは牛飼いででもござんすか」「牛飼いじゃありませんよ。牛飼いやいろは*の亭主じゃありません。その節はギリシアにまだ牛肉屋が一軒もない時分のことですからね」「あらギリシアのお話なの? そんなら、そうおっしゃればいいのに」と細君はギリシアという国名だけは心得ている。「だってハーキュリスじゃありませんか」「ハーキュリスならギリシアなんですか」「ええハーキュリスはギリシアの英雄でさあ」「どうりで、知らないと思いました。それでその男がどうしたんで──」「その男がね奥さんみたように眠くなってぐうぐう寝ている──」「あらいやだ」「寝ている間まに、ヴァルカンの子が来ましてね」「ヴァルカンてなんです」「ヴァルカンは鍛か冶じ屋やですよ。この鍛冶屋のせがれがその牛を盗んだんでさあ。ところがね。牛のしっぽを持ってぐいぐい引いて行ったもんだからハーキュリスが目をさまして牛やーい牛やーいと尋ねて歩いてもわからないんです。わからないはずでさあ。牛の足跡をつけたって前の方へ歩かして連れて行ったんじゃありませんもの、後ろへ後ろへと引きずって行ったんですからね。鍛冶屋のせがれにしては大出来ですよ」迷亭先生はすでに天気の話は忘れている。
「時に御主人はどうしました。相変わらず午睡ひるねですかね。午睡もシナ人の詩に出てくると風流だが、苦沙弥君のように日課としてやるのは少々俗ぞく気きがありますね。なんのこたあない毎日少しずつ死んでみるようなものですぜ、奥さんお手数だがちょっと起こしていらっしゃい」と催促すると細君は同感とみえて「ええ、ほんとにあれでは困ります。第一あなた、からだが悪くなるばかりですから。今御飯をいただいたばかりだのに」と立ちかけると迷亭先生は「奥さん、御飯といやあ、ぼくはまだ御飯をいただかないんですがね」と平気な顔をして聞きもせぬことを吹ふい聴ちようする。「おやまあ、時分どきだのにちっとも気がつきませんで──それじゃ何もございませんがお茶づけでも」「いえお茶づけなんか頂戴しなくってもいいですよ」「それでも、あなた、どうせお口に合うようなものはございませんが」と細君少々いやみを並べる。迷亭は悟ったもので「いえお茶づけでもお湯づけでも御免こうむるんです。今途中でごちそうをあつらえて来ましたから、そいつも一つここでいただきますよ」ととうてい素人しろうとにはできそうもないことを述べる。細君はたった一ひと言こと「まあ!」と言ったがそのまあのうちには驚いたまあと、気を悪くしたまあと、手数が省けてありがたいというまあが合併している。
ところへ主人が、いつになくあまりやかましいので、寝つきかかった眠りをさかに扱こかれたような心持ちで、ふらふらと書斎から出て来る。「相変わらずやかましい男だ。せっかくいい心持ちに寝ようとしていたところを」とあくび交じりに仏ぶつ頂ちよう面づらをする。「いやお目ざめかね。鳳ほう眠みんを驚かし奉ってはなはだあいすまん。しかしたまにはよかろう。さあすわりたまえ」とどっちが客だかわからぬ挨あい拶さつをする。主人は無言のまま座に着いて寄せ木細工の巻まき煙草タバコ入れから「朝日」を一本出してすぱすぱ吸い始めたが、ふと向こうのすみにころがっている迷亭の帽子に目をつけて「君帽子を買ったね」と言った。迷亭はすぐさま「どうだい」と自慢らしく主人と細君の前にさし出す。「まあきれいだこと。たいへん目が細かくって柔らかいんですね」と細君はしきりになで回す。「奥さんこの帽子は重ちよう宝ほうですよ、どうでも言うことを聞きますからね」と拳げん骨こつをかためてパナマ*の横ッ腹ぱらをぽかりと張りつけると、なるほど意のことく拳こぶしほどの穴があいた。細君が「へえ」と驚く間まもなく、このたびは拳骨を裏側へ入れてうんと突ッぱると釜かまの頭がぽかりととんがる。次には帽子を取って鍔つばと鍔とを両側からおしつぶしてみせる。つぶされた帽子は麺めん棒ぼうで延した蕎そ麦ばのように平たくなる。それを片端から蓆むしろでも巻くごとくぐるぐると畳む。「どうですこのとおり」と丸めた帽子を懐中へ入れてみせる。「不思議ですことねえ」と細君は帰き天てん斎さい正しよう一いちの手て品じなでも見物しているように感嘆すると、迷亭もその気になったものとみえて、右から懐中に収めた帽子をわざと左の袖そで口ぐちから引っぱり出して、「どこにも傷はありません」と元のごとくに直して、人さし指の先へ釜の底を戴せてくるくると回す。もうやめるかと思ったら最後にぽんと後ろへ投げてその上へどっさりと尻しりもちを突いた。「君大丈夫かい」と主人さえ懸け念ねんらしい顔をする。細君はむろんのこと心配そうに「せっかくみごとな帽子をもしこわしでもしちゃあたいへんですから、もういいかげんになすったらようござんしょう」と注意をする。得意なのは持ち主だけで「ところがこわれないから妙でしょう」と、くちゃくちゃになったのを尻の下から取り出してそのまま頭へ載せると、不思議なことに頭の恰好にたちまち回復する。「じつに丈夫な帽子ですことねえ、どうしたんでしょう」と細君がいよいよ感心すると「なにどうもしたんじゃありません、元からこういう帽子なんです」と迷亭は帽子をかぶったまま細君に返事をしている。
「あなたも、あんな帽子をお買いになったら、いいでしょう」としばらくして細君は主人に勧めかけた。「だって苦沙弥君は立派な麦むぎ藁わらのやつを持ってるじゃありませんか」「ところがあなた、せんだって子供があれを踏みつぶしてしまいまして」「おやおやそりゃ惜しいことをしましたね」「だから今度はあなたのような丈夫できれいなのを買ったらよかろうと思いますんで」と細君はパナマの値段を知らないものだから「これになさいよ、ねえ、あなた」としきりに主人に勧告している。
迷亭君は今度は右の袂たもとの中から赤いケース入りの鋏はさみを取り出して細君に見せる。「奥さん、帽子はそのくらいにしてこの鋏を御覧なさい。これがまたすこぶる重宝なやつで、これで十四通りに使えるんです」この鋏が出ないと主人は細君のためにパナマ責めになるところであったが、幸いに細君が女として持って生まれた好奇心のために、この厄やく運うんを免れたのは迷亭の機転といわんよりむしろ僥ぎよう倖こうのしあわせだと吾輩は看破した。「その鋏がどうして十四通りに使えます」と聞くや否や迷亭君は大得意な調子で「今一々説明しますから聞いていらっしゃい。いいですか。ここに三み日か月づき形がたの欠け目がありましょう、ここへ葉巻を入れでぷつりと口を切るんです。それからこの根にちょと細工がありましょう、これで針金をぽつぽつやりますね。次には平たくして紙の上へ横に置くと定規の用をする。また刃の裏には度盛りがしてあるから物さしの代用もできる。こちらの表にはやすりがついているこれで爪つめをすりまさあ。ようがすか。この先を螺ら旋せん鋲びようの頭へ刺し込んでぎりぎり回すと金かなづちに*も使える。うんと突き込んでこじあけるとたいていの釘くぎづけの箱なんざあ苦もなくふたがとれる。まったこちらの刃の先は錐きりにできている。ここんとこは書きそこないの字を削る場所で、ばらばらに離すと、ナイフとなる。いちばんしまいに──さあ奥さん、このいちばんしまいがたいへんおもしろいんです、ここに蠅はえの目玉ぐらいな大きさの球たまがありましょう。ちょっと、のぞいてごらんなさい」「いやですわまたきっとばかになさるんだから」「そう信用がなくっちゃ困ったね。だがだまされたと思って、ちょっとのぞいてごらんなさいな。え? いやですか、ちょいとでいいから」と鋏を細君に渡す。細君はおぼつかなげに鋏を取りあげて、例の蠅の目玉の所へ自分の目玉をつけてしきりにねらいをつけている。「どうです」「なんだかまっ黒ですわ」「まっ黒じゃいけませんね。も少し障子の方へ向いて、そう鋏を寝かさずに──そうそうそれなら見えるでしょう」「おやまあ写真ですねえ。どうしてこんな小さな写真を張りつけたんでしょう」「そこがおもしろいところでさあ」と細君と迷亭はしきりに問答をしている。最前から黙っていた主人はこの時急に写真が見たくなったものとみえて「おいおれにもちょっと見せろ」と言うと細君は鋏を顔へ押しつけたまま「じつにきれいですこと、裸体の美人ですね」と言ってなかなか離さない。「おいちょっとお見せというのに」「まあ待っていらっしゃいよ。美しい髪ですね。腰までありますよ。少し仰向いて恐ろしい背せいの高い女だこと、しかし美人ですね」「おいお見せといったら、たいていにして見せるがいい」と主人は大いにせきこんで細君に食ってかかる。「へえお待ち遠さま、たんと御覧あそばせ」と細君が鋏を主人に渡す時に、勝手からおさんがお客様のおあつらえが参りましたと、二個の笊ざる蕎麦を座敷へ持って来る。
「奥さんこれがぼくの自弁のごちそうですよ。ちょっと御免こうむって、ここでぱくつくことにいたしますから」と丁寧におじぎをする。まじめなようなふざけたような動作だから細君も応対に窮したとみえて「さあどうぞ」と軽く返事をしたぎり拝見している。主人はようやく写真から目を放して「君この暑いのに蕎麦は毒だぜ」と言った。「なあに大丈夫、好きなものはめったに中あたるもんじゃない」と蒸せい籠ろのふたをとる。「打ちたてはありがたいな。蕎麦の延びたのと、人間の間が抜けたのは由来頼もしくないもんだよ」と薬味をツユの中へ入れてむちゃくちゃにかき回す。「君そんなにわさびを入れると辛いぜ」と主人は心配そうに注意した。「蕎麦はツユとわさびで食うもんだあね。君は蕎麦がきらいなんだろう」「ぼくはうどんが好きだ」「うどんは馬ま子ごが食うもんだ。蕎麦の味を解しない人ほど気の毒なことはない」と言いながら杉すぎ箸ばしをむざと突き込んでできるだけ多くの分量を二寸ばかりの高さにしゃくい上げた。「奥さん蕎麦を食うにもいろいろ流りゆう儀ぎがありますがね。初心の者に限って、むやみにツユを着けて、そうして口の内でくちゃくちゃやっていますね。あれじゃ蕎麦の味はないですよ。なんでも、こう、ひとしゃくいに引っ掛けてね」と言いつつ箸を上げると、長いやつが勢せいぞろいをして一尺ばかり空中につるし上げられる。迷亭先生もうよかろうと思って下を見ると、まだ十二、三本の尾が蒸籠の底を離れないで簀す垂だれの上に纏てん綿めんしている。「こいつは長いな、どうです奥さん、この長さかげんは」とまた奥さんに相の手を要求する。奥さんは「長いものでございますね」とさも感心したらしい返事をする。「この長いやつへツユを三さん分ぶ一いちつけて、一口に飲んでしまうんだね。かんじゃいけない。かんじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽の喉どをすべりこむところがねうちだよ」と思い切って箸を高く上げると蕎麦はようやくのことで地を離れた。左ゆん手でに受ける茶わんの中へ、箸を少しずつ落として、しっぽの先からだんだんに浸すと、アーキミディスの理論によって、蕎麦の浸つかった分量だけツユの嵩かさが増してくる。ところが茶わんの中には元からツユが八分目ほどはいっているから、迷亭の箸にかかった蕎麦の四半分も浸らない先に茶わんはツユでいっぱいになってしまった。迷亭の箸は茶わんを去る五寸の上に至ってぴたりと留まったきりしばらく動かない。動かないのも無理はない。少しでもおろせばツユがこぼれるばかりである。迷亭もここに至って少し躊ちゆう躇ちよのていであったが、たちまち脱だつ兎との勢いをもって口を箸の方へ持って行ったなと思うまもなく、つるつるちゅうと音がして咽の喉ど笛ぶえが一、二度上下へ無理に動いたら箸の先の蕎麦は消えてなくなっておった。見ると迷亭君の両眼から涙のようなものが一、二滴目じりから頬ほおへ流れ出した。わさびがきいたものか、飲み込むのに骨が折れたものかこれはいまだに判然しない。「感心だなあ。よくそんなに一どきに飲み込めたものだ」主人が敬服すると「おみごとですことねえ」と細君も迷亭の手ぎわを激賞した。迷亭はなんにも言わないで箸を置いて胸を二、三度たたいたが、「奥さん笊はたいてい三口半か四口で食うんですね。それより手数をかけちゃうまく食えませんよ」とハンケチで口をふいてちょっと一息入れている。
ところへ寒月君が、どういう了見かこの暑いのに御苦労にも冬帽をかぶって両足をほこりだらけにしてやって来る。「いや好男子の御入来だが、食いかけたもだからちょっと失敬しますよ」と迷亭君は衆人環かん座ざの裏うちにあって臆おく面めんもなく残った蒸籠を平らげる。今度はさっきのようにめざましい食い方もしなかった代わりに、ハンケチを使って、中途で息を入れるという不体裁もなく、蒸籠二つを安々とやってのけたのは結構だった。
「寒月君博士はかせ論文はもう脱稿するのかね」と主人が聞くと迷亭もそのあとから「金田令嬢がお待ちかねだから早そう々そう呈出したまえ」と言う。寒月君は例のごとく薄気味の悪い笑いをもらして「罪ですからなるべく早く出して安心させてやりたいのですが、なにしろ問題が問題で、よほど労力のいる研究を要するのですから」と本気の沙さ汰たとも思われないことを本気の沙汰らしく言う。「そうさ問題が問題だから、そう鼻の言うとおりにもならないね。もっともあの鼻なら十分鼻息をうかがうだけの価値はあるがね」と迷亭も寒月流な挨拶をする。比較的にまじめなのは主人である。「君の論文の問題はなんとか言ったっけな」「蛙かえるの目玉の電動作用に対する紫外光線の影響というのです」「そりゃ奇だね。さすがは寒月先生だ、蛙の目玉はふるってよ。どうだろう苦沙弥君、論文脱稿前まえにその問題だけでも金田様へ報告しておいては」主人は迷亭の言うことには取り合わないで「君そんなことが骨の折れる研究かね」と寒月君に聞く。「ええ、なかなか複雑な問題です。第一蛙の目玉のレンズの構造がそんな単簡なものでありませんからね。それでいろいろ実験もしなくちゃなりませんがまず丸いガラスの球たまをこしらえてそれからやろうと思っています」「ガラスの球なんかガラス屋へ行けばわけないじゃないか」「どうして──どうして」と寒月先生少々そり身になる。「元来円とか直線とかいうのは幾何学的のもので、あの定義に合ったような理想的な円や直線は現実世界にはないもんです」「ないもんなら、よしたらよかろう」と迷亭が口を出す。「それでまず実験上さしつかえないくらいな球を作ってみようと思いましてね。せんだってからやり始めたのです」「できたかい」と主人がわけのないように聞く。「できるものですか」と寒月君が言ったが、これでは少々矛む盾じゆんだと気がついたとみえて、「どうもむずかしいんです。だんだん磨すって少しこっち側の半径が長すぎるからと思ってそっちを心持ち落とすと、さあたいへん今度は向こう側が長くなる。そいつを骨を折ってようやく磨りつぶしたかと思うと全体の形がいびつになるんです。やっとの思いでこのいびつを取るとまた直径に狂いができます。初めはりんごほどな大きさのものがだんだん小さくなって苺いちごほどになります。それでも根こん気きよくやっていると大だい豆ずほどになります。大豆ほどになってもまだ完全な円はできませんよ。私もずいぶん熱心に磨りましたが──この正月からガラス玉を大小六個磨りつぶしましたよ」とうそだかほんとうだか見けん当とうのつかぬところを喋ちよう々ちようと述べる。「どこでそんなに磨っているんだい」「やっぱり学校の実験室です、朝磨り始めて、昼飯の時ちょっと休んでそれから暗くなるまで磨るんですが、なかなか楽じゃありません」「それじゃ君が近ごろ忙しい忙しいと言って毎日日曜でも学校へ行くのはその珠たまを磨りに行くんだね」「全く目下のところは朝から晩まで珠ばかり磨っています」「珠たま作つくりの博士はかせとなって入り込みし*は──というところだね。しかしその熱心を聞かせたら、いかな鼻でも少しはありがたがるだろう。じつは先日ぼくがある用事があって図書館へ行って帰りに門を出ようとしたら偶然老ろう梅ばい君くんに出会ったのさ。あの男が卒業後図書館に足が向くとはよほど不思議なことだと思って感心に勉強するねと言ったら先生妙な顔をして、なに本を読みに来たんじゃない、今門前を通りかかったらちょっと小こ用ようがしたくなったから拝借に立ち寄ったんだと言ったんで大笑いをしたが、老梅君と君とは反対の好例として新しん撰せん蒙もう求ぎゆうにぜひ入れたいよ」と迷亭君例のことく長たらしい注釈をつける。主人は少しまじめになって「君そう毎日毎日珠ばかり磨ってるのもよかろうが、元来いつごろできあがるつもりかね」と聞く。「まあこの様子じゃ十年くらいかかりそうです」と寒月君は主人よりのんきに見受けられる。「十年じゃ──もう少し早く磨り上げたらよかろう」「十年じゃ早いほうです、ことによると二十年ぐらいかかります」「そいつはたいへんだ、それじゃ容易に博士にゃなれないじゃないか」「ええ一いち日にちも早くなって安心さしてやりたいのですがとにかく珠を磨り上げなくっちゃ肝かん心じんの実験ができませんから……」
寒月君はちょっと句を切って「なに、そんなに御心配には及びませんよ。金田でも私の珠ばかり磨ってることはよく承知しています。じつは二に、三さん日ち前まえ行った時にもよく事情を話して来ました」としたり顔に述べ立てる。すると今まで三人の談話をわからぬまま傾聴していた細君が「それでも金田さんは家族じゅう残らず、先月から大おお磯いそへ行っていらっしゃるじゃありませんか」と不審そうに尋ねる。寒月君もこれには少し辟へき易えきのていであったが「そりゃ妙ですな、どうしたんだろう」ととぼけている。こういう時に重宝なのは迷亭君で、話のとぎれた時、きまりの悪い時、眠くなった時、困った時、どんな時でも必ず横合いから飛び出してくる。「先月大磯へ行ったものに両りよう三さん日ち前まえ東京で会うなどは神秘的でいい。いわゆる霊の交換だね。相思の情のせつな時にはよくそういう現象が起こるものだ。ちょっと聞くと夢のようだが、夢にしても現実よりたしかな夢だ。奥さんのようにべつに思いも思われもしない苦沙弥君の所へ片付いて生しよう涯がい恋の何物たるをお解しにならんかたには、御不審ももっともだが……」「あら何を証拠にそんなことをおっしゃるの。ずんぶん軽けい蔑べつなさるのね」と細君は中途から不意に迷亭に切りつける。「君だって恋わずらいなんかしたことはなさそうじゃないか」と主人も正面から細君に助すけ太だ刀ちをする。「そりゃぼくの艶えん聞ぶんなどは、いくらあってもみんな七十五日以上経過しているから*、君がたの記憶には残っていないかもしれないが──じつはこれでも失恋の結果、この年になるまで独身で暮らしているんだよ」と一順列座の顔を公平に見回す。「ホホホホおもしろいこと」と言ったのは細君で、「ばかにしていらあ」と庭の方を向いたのは主人である。ただ寒月君だけは「どうかその懐旧談を後学のために伺いたいもので」相変わらずにやにやする。
「ぼくのもだいぶ神秘的で、故こ小こ泉いずみ八や雲くも*先生に話したら非常に受けるのだが、惜しいことに先生は永眠されたから、じつのところ話す張り合いもないんだが、せっかくだから打ち明けるよ。そのかわりしまいまで謹聴しなくっちゃいけないよ」と念を押していよいよ本文に取りかかる。「回顧すると今を去ること──ええと──何年前まえだったかな──めんどうだからほぼ十五、六年前としておこう」「冗談じゃない」と主人は鼻からフンと息をした。「たいへん物覚えがお悪いのね」と細君がひやかした。寒月君だけは約束を守って一いち言ごんも言わずに、早くあとが聞きたいというふうをする。「なんでもある年の冬のことだが、ぼくが越えち後ごの国は蒲かん原ばら郡ごおり筍たけのこ谷だにを通って、蛸たこ壺つぼ峠とうげへかかって、これからいよいよ会あい津づ領りようへ出ようとするところだ」「妙な所だな」と主人がまた邪魔をする。「黙って聞いていらっしゃいよ。おもしろいから」と細君が制する。「ところが日は暮れる、道はわからず、腹は減る、しかたがないから峠とうげのまん中にある一軒屋をたたいて、これこれかようしかじかの次第だから、どうか留めてくれと言うと、お安い御用です、さあお上がんなさいと裸はだかろうそくをぼくの顔に差しつけた娘の顔を見てぼくはぶるぶるとふるえたがね。ぼくはその時から恋という曲くせ者ものの魔力を切実に自覚したね」「おやいやだ。そんな山の中にも美しい人があるんでしょうか」「山だって海だって、奥さん、その娘を一目あなたに見せたいと思うくらいですよ、文ぶん金きんの高島田に髪を結いいましてね」「へええ」と細君はあっけにとられている。「はいってみると八畳のまん中に大きな囲い炉ろ裏りが切ってあって、そのまわりに娘と娘のじいさんとばあさんとぼくと四人すわったんですがね。さぞお腹なかがお減りでしょうと言いますから、なんでもいいから早く食わせたまえと請求したんです。するとじいさんがせっかくのお客様だから蛇へび飯めしでもたいてあげようと言うんです。さあこれからがいよいよ失恋にとりかかるところだからしっかりして聞きたまえ」「先生しっかりして聞くことは聞きますが、なんぼ越後の国だって冬、蛇がいやしますまい」「うん、そりゃ一応もっともな質問だよ。しかしこんな詩的な話になるとそう理窟にばかり拘こう泥でいしてはいられないからね。鏡きよう花かの小説*にゃ雪の中から蟹かにが出てくるじゃないか」と言ったら寒月君は「なるほど」と言ったきりまた謹聴の態度に復した。
「その時分のぼくはずいぶん悪あくもの食いの隊長で、いなご、なめくじ、赤蛙などは食いあきていたくらいなところだから、蛇飯はおつだ。さっそくごちそうになろうとじいさんに返事をした。そこでじいさん囲炉裏の上へ鍋なべをかけて、その中へ米を入れてぐずぐず煮出したものだね。不思議なことにはその鍋のふたを見ると大小十個ばかりの穴があいている。その穴から湯げがぷうぷう吹くから、うまいくふうをしたものだ、田舎いなかにしては感心だと見ていると、じいさんふと立って、どこかへ出て行ったがしばらくすると、大きな笊ざるを小わきにかいこんで帰って来た。なにげなくこれを囲炉裏のそばへ置いたから、その中をのぞいてみると──いたね。長いやつが、寒いもんだからお互いにとぐろの巻きくらをやってかたまっていましたね」「もうそんなお話はよしになさいよ。いやらしい」と細君は眉まゆに八の字を寄せる。「どうしてこれが失恋の大原因になるんだからなかなかよせませんや。じいさんはやがて左手に鍋のふたをとって、右手に例のかたまった長いやつを無む造ぞう作さにつかまえて、いきなり鍋の中へほうりこんで、すぐ上からふたをしたが、さすがのぼくもその時ばかりははっと息の穴がふさがったかと思ったよ」「もうおやめになさいよ。気き味びの悪い」と細君しきりにこわがっている。「もう少しで失恋になるからしばらく辛しん抱ぼうしていらっしゃい。すると一分たつかたたないうちにふたの穴から鎌かま首くびがひょいと一つ出ましたのには驚きましたよ。やあ出たなと思うと、隣りの穴からもまたひょいと顔を出した。また出たよと言ううち、あちらからも出る。こちらからも出る。とうとう鍋じゅう蛇の面つらだらけになってしまった」「なんで、そんなに首を出すんだい」「鍋の中が熱いから、苦しまぎれにはい出そうとするのさ。やがてじいさんは、もうよかろう、引っぱらっしとかなんとか言うと、ばあさんははあーと答える。娘はあいと挨あい拶さつをして、めいめいに蛇の頭を持ってぐいと引く。肉は鍋の中に残るが、骨だけはきれいに離れて、頭を引くとともに長いのがおもしろいように抜け出してくる」「蛇の骨抜きですね」と寒月君が笑いながら聞くと「全くのこと骨抜きだ、器用なことをやるじゃないか。それからふたを取って、杓しやく子しでもって飯と肉をやたらにかき交ぜて、さあ召し上がれときた」「食ったのかい」と主人が冷淡に尋ねると、細君は苦い顔をして「もうよしになさいよ、胸が悪くって御飯も何も食べられやしない」と愚痴をこぼす。「奥さん蛇飯を召し上がらんから、そんなことをおっしゃるが、まあ一ぺん食べてごらんなさい、あの味ばかりは生涯忘れられませんぜ」「おお、いやだ、だれが食べるもんですか」「そこで十分御ご饌ぜんも頂戴し、寒さも忘れるし、娘の顔も遠慮なく見るし、もう思いおくことはないと考えていると、お休みなさいましと言うので、旅のつかれもあることだから、仰せに従って、ごろりと横になると、すまんわけだが前後を忘却して寝てしまった」「それからどうなさいました」と今度は細君のほうから催促する。「それからあくる朝になって目をさましてからが失恋でさあ」「どうかなさったんですか」「いえべつにどうもしやしませんがね。朝起きて巻煙草をふかしながら裏の窓から見ていると、向こうの筧かけいのそばで、薬や罐かん頭あたまが顔を洗っているんでさあ」「じいさんかばあさんか」と主人が聞く。「それがさ、ぼくにも識別しにくかったから、しばらく拝見していて、その薬罐がこちらを向く段になって驚いたね。それがぼくの初恋をしたゆうべの娘なんだもの」「だって娘は島田に結いっているとさっき言ったじゃないか」「前夜は島田さ、しかもみごとな島田さ。ところがあくる朝は丸薬罐さ」「人をばかにしていらあ」と主人は例によって天井の方へ視線をそらす。「ぼくも不思議の極内心少々こわくなったから、なおよそながら様子をうかがっていると、薬罐はようやく顔を洗いおわって、かたえの石の上に置いてあった高島田の鬘かつらを無造作にかぶって、すましてうちへはいったんでなるほどと思った。なるほどとは思ったもののその時から、とうとう失恋のはかなき運命をかこつ身となってしまった」「くだらない失恋もあったもんだ。ねえ、寒月君、それだから、失恋でも、こんなに陽気で元気がいいんだよ」と主人が寒月君に向かって迷亭君の失恋を評すると、寒月君は「しかしその娘が丸薬罐でなくってめでたく東京へでも連れてお帰りになったら、先生はなお元気かもしれませんよ、とにかくせっかくの娘がはげであったのは千秋の恨事ですねえ。それにしても、そんな若い女がどうして、毛が抜けてしまったんでしょう」「ぼくもそれについてはだんだん考えたんだが全く蛇飯を食い過ぎたせいに相違ないと思う。蛇飯てえやつはのぼせるからね」「しかしあなたは、どこもなんともなくて結構でございましたね」「ぼくははげにならずにすんだが、その代わりにこのとおりその時から近眼になりました」金きん縁ぶちのめがねをとってハンケチで丁寧にふいている。しばらくして主人は思い出したように「ぜんたいどこが神秘的なんだい」と念のために聞いてみる。「あの鬘はどこで買ったのか、拾ったのかどう考えてもいまだにわからないからそこが神秘さ」と迷亭君はまためがねを元のごとく鼻の上へかける。「まるで噺はなし家かの話を聞くようでござんすね」とは細君の批評であった。
迷亭の駄だ弁べんもこれで一段落を告げたから、もうやめるかと思いのほか、先生は猿さる轡ぐつわでもはめられないうちはとうてい黙っていることができぬたちとみえて、また次のようなことをしゃべりだした。
「ぼくの失恋も苦い経験だが、あの時あの薬や罐かんを知らずにもらったが最後生しよう涯がいの目ざわりになるんだから。よく考えないとけんのんだよ。結婚なんかは、いざという間ぎわになって、とんだ所に傷口が隠れているのを見いだすことがあるものだから。寒月君などもそんなに憧しよう憬けいしたり淌しようしたりひとりでむずかしがらないで、とくと気を落ち付けて珠たまを磨するがいいよ」といやに異見めいたことを述べると、寒月君は「ええなるべく珠ばかり磨っていたいんですが、向こうでそうさせないんだから弱り切ります」とわざと辟へき易えきしたような顔つきをする。「そうさ、君などは先方が騒ぎ立てるんだが、中には滑こつ稽けいなのがあるよ。あの図書館へ小便をしに来た老梅君などになるとすこぶる奇だからね」「どんなことをしたんだい」と主人が調子づいて承る。「なあに、こういうわけさ。先生その昔静岡の東とう西ざい館かんへ泊ったことがあるのさ。──たったひと晩だぜ──それでその晩すぐにそこの下女に結婚を申し込んだのさ。ぼくもずいぶんのんきだが、まだあれほどには進化しない。もっともその時分には、あの宿屋にお夏なつさんという有名な別べつ嬪ぴんがいて老梅君の座敷へ出たのがちょうどそのお夏さんなのだから無理はないがね」「無理がないどころか君のなんとか峠とまるで同じじゃないか」「少し似ているね、じつを言うとぼくと老梅とはそんなに差異はないからな。とにかく、そのお夏さんに結婚を申し込んで、まだ返事を聞かないうちに水すい瓜かが食いたくなったんだがね」「なんだって?」と主人が不思議な顔をする。主人ばかりではない、細君も寒月君も申し合わせたように首をひねってちょっと考えてみる。迷亭はかまわずどんどん話を進行させる。「お夏さんを呼んで静岡に水瓜はあるまいかと聞くと、お夏さんが、なんぼ静岡だって水瓜ぐらいはありますよと、お盆に水瓜を山盛りにして持って来る。そこで老梅君食ったそうだ。山盛りの水瓜をことごとく平らげてお夏さんの返事を待っていると、返事の来ないうちに腹が痛みだしてね、うーんうーんとうなったが少しもきき目がないからまたお夏さんを呼んで今度は静岡に医者はあるまいかと聞いたら、お夏さんがまた、なんぼ静岡だって医者ぐらいはありますよと言って、天てん地ち玄げん黄こうとかいう千せん字じ文もんを盗んだような名前のドクトルを連れて来た。あくる朝になって、腹の痛みもおかげでとれてありがたいと、出しゆつ立たつする十五分前にお夏さんを呼んで、きのう申し込んだ結婚事件の諾否を尋ねると、お夏さんは笑いながら静岡には水瓜もあります、お医者もありますが一夜作りのお嫁はありませんと出て行ったきり顔を見せなかったそうだ。それから老梅君もぼく同様失恋になって、図書館へは小便をするほか来なくなったんだって、考えると女は罪な者だよ」と言うと主人がいつになく引き受けて「ほんとうにそうだ。せんだってミュッセの脚本*を読んだらそのうちの人物がローマの詩人を引用してこんなことを言っていた。──羽より軽いものは塵ちりである。塵より軽いものは風である。風より軽いものは女である。女より軽いものは無むである。──よくうがってるだろう。女なんかしかたがない」と妙なところでりきんでみせる。これを承った細君は承知しない。「女の軽いのがいけないとおっしゃるけれども、男の重いんだっていいことはないでしょう」「重いた、どんなことだ」「重いというな重いことですわ、あなたのようなのです」「おれがなんで重い」「重いじゃありませんか」と妙な議論が始まる。迷亭はおもしろそうに聞いていたが、やがて口を開いて「そう赤くなってお互いに弁難攻撃をするところが夫婦の真相というものかな。どうも昔の夫婦なんてものはまるで無意味なものだったに違いない」とひやかすのだかほめるのだかあいまいなことを言ったが、それでやめておいてもいいことをまた例の調子で敷ふ衍えんして、下しものごとく述べられた。
「昔は亭主に口返答なんかした女は、一人もなかったんだって言うが、それなら唖おしを女房にしていると同じことでぼくなどはいっこうありがたくない。やっぱり奥さんのようにあなたは重いじゃありませんかとかなんとか言われてみたいね。同じ女房を持つくらいなら、たまにはけんかの一つ二つしなくちゃ退屈でしようがないからな。ぼくの母などときたら、おやじの前へ出てはいとへいで持ち切っていたものだ。そうして二十年もいっしょになっているうちに寺参りよりほかに外へ出たことがないというんだから情けないじゃないか。もっともおかげで先祖代々の戒かい名みようはことごとく暗記している。男女間の交際だってそうさ、ぼくの子供の時分などは寒月君のように意中の人と合奏をしたり、霊の交換をやって朦もう朧ろう体たい*で出会ってみたりすることはとうていできなかった」「お気の毒様で」と寒月君が頭を下げる。「じつにお気の毒さ。しかもその時分の女が必ずしも今の女よりも品行がいいと限らんからね。奥さん近ごろは女学生が堕落したのなんだのとやかましく言いますがね。なに昔はこれよりはげしかったんですよ」「そうでしょうか」と細君はまじめである。「そうですとも、でたらめじゃない、ちゃんと証拠があるからしかたがありませんや。苦沙弥君、君も覚えているかもしれんがぼくらの五、六歳の時までは女の子を唐とう茄な子すのように籠かごへ入れて天てん秤びん棒ぼうでかついで売って歩いたもんだ、ねえ君」「ぼくはそんなことは覚えておらん」「きみの国じゃどうだか知らないが、静岡じゃたしかにそうだった」「まさか」と細君が小さい声を出すと、「ほんとうですか」と寒月君がほんとうらしからぬ様子で聞く。
「ほんとうさ。現にぼくのおやじが価ねをつけたことがある。その時ぼくはなんでも六つぐらいだったろう。おやじといっしょに油あぶら町まちから通とおり町ちようへ散歩に出ると、向こうから大きな声をして女の子はよしかな、女の子はよしかなとどなってくる。ぼくらがちょうど二丁目の角かどへ来ると、伊い勢せ源げんという呉服屋の前でその男に出っくわした。伊勢源というのは間ま口ぐちが十じつ間けんで蔵くらが五いつ戸と前まえあって静岡第一の呉服屋だ。今度行ったら見て来たまえ。今でも歴然と残っている。立派なうちだ。その番頭が甚じん兵べ衛えといってね。いつでもおふくろが三日前になくなりましたというような顔をして帳場の所へ控えている。甚兵衛君の隣りには初はつさんという二十四、五の若い衆しゆがすわっているが、この初さんがまた雲うん照しよう律りつ師しに帰き依えして三七二十一日のあいだ蕎そ麦ば湯ゆだけで通したというような青い顔をしている。初さんの隣りが長ちようどんでこれはきのう火事で焼き出されたかのごとく愁然と算そろ盤ばんに身をもたしている。長どんと並んで……」「君は呉服屋の話をするのか、人売りの話をするのか」「そうそう人売りの話をやっていたんだっけ。じつはこの伊勢源についてもすこぶる奇き譚だんがあるんだが、それは割かつ愛あいしてきょうは人売りだけにしておこう」「人売りもついでにやめるがいい」「どうしてこれが二十世紀の今日と明治初年ごろの女子の品性の比較について大だいなる参考になる材料だから、そんなにたやすくやめられるものか──それでぼくがおやじと伊勢源の前まで来ると、例の人売りがおやじを見て旦だん那な女の子のしまい物はどうです、安く負けておくから買っておくんなさいなと言いながら天秤棒をおろして汗をふいているのさ。見ると籠の中には前に一人後ろに一人両方とも二歳ばかりの女の子が入れてある。おやじはこの男に向かって安ければ買ってもいいが、もうこれぎりかいと聞くと、へえあいにくきょうはみんな売り尽くしてたった二つになっちまいました。どっちでもいいから取っとくんなさいなと女の子を両手で持って唐茄子かなんぞのようにおやじの鼻の先へ出すと、おやじはぽんぽんと頭をたたいてみて、ははあかなりの音だと言った。それからいよいよ談判が始まってさんざ値切った末おやじが、買ってもいいが品はたしかだろうなと聞くと、ええ前のやつ*は始終見ているから間違いはありませんがね後ろにかついでるほうは、なにしろ目がないんですから、ことによるとひびが入ってるかもしれません。こいつのほうなら受け合えない代わりに値段を引いておきますと言った。ぼくはこの問答をいまだに記憶しているんだがその時子供心に女というものはなるほど油断のならないものだと思ったよ。──しかし明治三十八年の今日こんなばかなまねをして女の子を売って歩くものもなし、目を放して後ろへかついだほうはけんのんだなどということも聞かないようだ。だから、ぼくの考えではやはり泰西文明のおかげで女の品行もよほど進歩したものだろうと断定するのだが、どうだろう寒月君」
寒月君は返事をする前にまず鷹おう揚ような咳せき払ばらいを一つしてみせたが、それからわざと落ち付いた低い声で、こんな観察を述べられた。「このごろの女は学校の行き帰りや、合奏会や、慈善会や、園遊会で、ちょいと買ってちょうだいな、あらおいや? などと自分で自分を売りに歩いていますから、そんな八や百お屋やのお余りを雇って、女の子はよしか、なんて下品な依託販売をやる必要はないですよ。人間に独立心が発達してくると自然こんなふうになるものです。老人なんぞはいらぬ取り越し苦労をしてなんとかかとか言いますが、実際を言うとこれが文明の趨すう勢せいですから、私などは大いに喜ばしい現象だと、ひそかに慶賀の意を表しているのです。買うほうだって頭をたたいて品物は確かかなんて聞くような野や暮ぼは一人もいないんですからそのへんは安心なものでさあ。またこの複雑な世の中に、そんな手数をする日にゃあ、際限がありませんからね。五十になったって六十になったって亭主を持つことも嫁にゆくこともできやしません」寒月君は二十世紀の青年だけあって、大いに当世流の考えを開陳しておいて、敷しき島しまの煙をふうーと迷亭先生の顔の方へ吹きつけた。迷亭は敷島の煙ぐらいで辟へき易えきする男ではない。「仰せのとおり方今の女生徒、令嬢などは自尊自信の念から骨も肉も皮までできていて、なんでも男子に負けないところが敬服の至りだ。ぼくの近所の女学校の生徒などときたらえらいものだぜ。筒つつ袖そでをはいて鉄かな棒ぼうへぶらさがるから感心だ。ぼくは二階の窓から彼らの体操を目撃するたんびに古代ギリシアの婦人を追懐するよ」「またギリシアか」と主人が冷笑するように言い放つと「どうも美な感じのするものはたいていギリシアから源を発しているからしかたがない。美学者とギリシアとはとうてい離れられないやね。──ことにあの色の黒い女学生が一心不乱に体操をしているところを拝見すると、ぼくはいつでも Agnodice の逸話*を思い出すのさ」と物知り顔にしゃべりたてる。「またむずかしい名前が出て来ましたね」と寒月君は依然としてにやにやする。「 Agnodice はえらい女だよ、ぼくはじつに感心したね。当時アテンの法律で女が産婆を営業することを禁じてあった。不便なことさ。 Agnodice だってその不便を感ずるだろうじゃないか」「なんだい、その──なんとかいうのは」「女さ、女の名前だよ。この女がつらつら考えるには、どうも女が産婆になれないのは情けない、不便きわまる。どうかして産婆になりたいもんだ、産婆になるくふうはあるまいかと三日三晩手をこまねいて考え込んだね。ちょうど三日目の明け方に、隣りの家に赤ん坊がおぎゃあと泣いた声を聞いて、うんそうだと豁かつ然ぜん大たい悟ごして、それからさっそく長い髪を切って男の着物を着てHierophilus*の講義を聞きに行った。首しゆ尾びよく講義を聞きおおせて、もう大丈夫というところでもって、いよいよ産婆を開業した。ところが、奥さん流行はやりましたね。あちらでもおぎゃあと生まれるこちらでもおぎゃあと生まれる。それがみんな Agnodice の世話なんだからたいへんもうかった。ところが人間万事塞さい翁おうの馬うま、七ななころび八や起おき、弱り目にたたり目で、ついこの秘密が露見に及んでついにお上かみの御ご法はつ度とを破ったというところで、重きおしおきに仰せつけられそうになりました」「まるで講釈みたようですこと」「なかなかうまいでしょう。ところがアテンの女おんな連れんが一同連署して嘆願に及んだから、時の御ご奉ぶ行ぎようもそう木で鼻をくくったような挨あい拶さつもできず。ついに当人は無罪放免、これからはたとい女たりとも産婆営業かってたるべきことというおふれさえ出てめでたく落着を告げました」「よくいろいろなことを知っていらっしゃるのね、感心ねえ」「ええ大概のことは知っていますよ。知らないのは自分のばかなことぐらいなものです。しかしそれもうすうすは知ってます」「ホホホホおもしろいことばかり……」と細君相そう好ごうをくずして笑っていると、格こう子し戸どのベルが相変わらず着けた時と同じような音を出して鳴る。「おやまたお客様だ」と細君は茶の間へ引きさがる。細君と入れ違いに座敷へはいって来た者はだれかと思ったら御存じの越お智ち東とう風ふう君くんであった。
ここへ東風君さえ来れば、主人の家うちへ出入りする変人はことごとく網もう羅らし尽くしたとまでゆかずとも、少なくとも吾輩の無ぶ聊りようを慰むるに足るほどの頭あたま数かずはおそろいになったと言わねばならぬ。これで不足を言ってはもったいない。運悪くほかの家うちへ飼われたが最後、生涯人間中にかかる先生がたが一人でもあろうとさえ気がつかずに死んでしまうかもしれない。幸いにして苦沙弥先生門下の猫びよう児じとなって朝ちよう夕せき虎こ皮ひ*の前に侍はんべるので先生はむろんのこと迷亭、寒月ないし東風などという広い東京にさえあまり例のない一騎当千の豪傑連の挙止動作を寝ながら拝見するのは吾輩にとって千せん載ざい一いち遇ぐうの光栄である。おかげさまでこの暑いのに毛け袋ぶくろでつつまれているという難儀も忘れて、おもしろく半日を消光することができるのは感謝の至りである。どうせこれだけ集まればただごとではすまない。何か持ち上がるだろうと襖ふすまの陰からつつしんで拝見する。
「どうもごぶさたをいたしました。しばらく」とお辞儀をする東風君の顔を見ると、先日のごとくやはりきれいに光っている。頭だけで評すると何か緞どん帳ちよう役やく者しやのようにも見えるが、白い小こ倉くらの袴はかまのゴワゴワするのを御苦労にもしかつめらしくはいているところは榊さかき原ばら健けん吉きち*の内弟子としか思えない。したがって東風君のからだで普通の人間らしいところは肩から腰までの間だけである。「いや暑いのに、よくお出かけだね。さあずっと、こっちへ通りたまえ」と迷亭先生は自分の家うちらしい挨あい拶さつをする。「先生にはだいぶ久しくお目にかかりません」「そうさ、たしかこの春の朗読会ぎりだったね。朗読会といえば近ごろはやはりお盛んかね。その後お宮にゃなりませんか。あれはうまかったよ。ぼくは大いに拍手したぜ、君気がついてたかい」「ええおかげさまで大きに勇気が出まして、とうとうしまいまでこぎつけました」「今度はいつお催しがありますか」と主人が口を出す。「七、八両ふた月つきは休んで九月には何かにぎかにやりたいと思っております。何かおもしろい趣向はございますまいか」「さよう」と主人は気のない返事をする。「東風君ぼくの創作を一つやらないか」と今度は寒月君が相手となる。「君の創作ならおもしろいものだろうが、いったい何かね」「脚本さ」と寒月君がなるべく押しを強く出ると、案のごとく、三人はちょっと毒気をぬかれて、申し合わせたように本人の顔を見る。「脚本はえらい。喜劇かい悲劇かい」と東風君が歩を進めると、寒月先生なおすまし返って「なに喜劇でも悲劇でもないさ。近ごろは旧劇とか新劇とか大分やかましいから、ぼくも一つ新機軸を出して俳劇というのを作ってみたのさ」「俳劇たどんなものだい」「俳句趣味の劇というのを詰めて俳劇の二字にしたのさ」と言うと主人も迷亭も多少煙けむに巻かれて控えている。「それでその趣向というのは?」と聞きだしたのはやはり東風君である。「根が俳句趣味からくるのだから、あまり長たらしくって、毒悪なのはよくないと思って一幕物にしておいた」「なるほど」「まず道具立てから話すが、これもごく簡単なのがいい。舞台のまん中へ大きな柳を一本植えつけてね。それからその柳の幹から一本の枝を右の方へヌッと出させて、その枝へ烏からすを一羽とまらせる」「烏がじっとしていればいいが」と主人がひとり言のように心配した。「なにわけはありません、烏の足を糸で枝へ縛りつけておくんです。でその下へ行ぎよう水ずい盥だらいを出しましてね。美人が横向きになって手ぬぐいを使っているんです」「そいつは少しデカダンだね。第一だれがその女になるんだい」と迷亭が聞く。「なにこれもすぐできます。美術学校のモデルを雇ってくるんです」「そりゃ警視庁がやかましく言いそうだな」と主人はまた心配している。「だって興行さえしなければかまわんじゃありませんか。そんなことをとやかく言ったひにゃ学校で裸体画の写生なんざできっこありません」「しかしあれはけいこのためだから、ただ見ているのとは少し違うよ」「先生がたがそんなことを言ったひには日につ本ぽんもまだだめです。絵画だって、演劇だって、おなじ芸術です」と寒月君大いに気炎を吹く。「まあ議論はいいが、それからどうするのだい」と東風君、ことによると、やる了見とみえて筋を聞きたがる。「ところへ花道から俳人高たか浜はま虚きよ子しがステッキを持って、白い燈心入りの帽子*をかぶって、透すき綾やの羽は織おりに、薩さつ摩ま飛白がすりの尻しり端つぱ折しよりの半はん靴ぐつというこしらえで出てくる。着付けは陸軍の御ご用よう達たしみたようだけれども俳人だからなるべく悠ゆう々ゆうとして腹の中では句案に余念のないていで歩かなくっちゃいけない。それで虚子が花道を行き切っていよいよ本舞台にかかった時、ふと句案の目をあげて前面を見ると、大きな柳があって、柳の影で白い女が湯を浴びている、はっと思って上を見ると長い柳の枝に烏が一羽とまって女の行水を見おろしている。そこで虚子先生大いに俳味に感動したという思い入れが五十秒ばかりあって、行水の女にほれる烏かなと大きな声で一句朗吟するのを合図に、拍ひよう子し木ぎを入れて幕を引く。──どうだろう、こういう趣向は。お気に入りませんかね。君お宮になるより虚子になるほうがよほどいいぜ」東風君はなんだか物足らぬという顔つきで「あんまり、あっけないようだ。もう少し人情を加味した事件がほしいようだ」とまじめに答える。今まで比較的おとなしくしていた迷亭はそういつまでも黙っているような男ではない。「たったそれだけで俳劇はすさまじいね。上田敏びん*君の説によると俳味とか滑こつ稽けいとかいうものは消極的で亡国の音いんだそうだが、敏君だけあってうまいことを言ったよ。そんなつまらない物をやってみたまえ。それこそ上田君から笑われるばかりだ。第一劇だか茶番だかなんだかあまり消極的でわからないじゃないか。失礼だが寒月君はやはり実験室で珠たまを磨いてるほうがいい。俳劇なんぞ百作ったって二百作ったって、亡国の音いんじゃだめだ」寒月君は少々むっとして、「そんなに消極的でしょうか。私はなかなか積極的なつもりなんですが」どっちでもかまわんことを弁解しかける。「虚子がですね。虚子先生が女にほれる烏かなと烏を捕とらへて女にほれさしたところが大いに積極的だろうと思います」「こりゃ新説だね。ぜひ御講釈を伺いましょう」「理学士として考えてみると烏が女にほれるなどというのは不合理でしょう」「ごもっとも」「その不合理なことを無造作に言い放って少しも無理に聞こえません」「そうかしら」と主人が疑った調子で割り込んだが寒月はいっこう頓とん着じやくしない。「なぜ無理に聞こえないかというと、これは心理的に説明するとよくわかります。じつを言うとほれるとかほれないとかいうのは俳人その人に存する感情で烏とは没交渉の沙さ汰たであります。しかるところあの烏はほれてるなと感じるのは、つまり烏がどうのこうのというわけじゃない。畢ひつ竟きよう自分がほれているんでさあ。虚子自身が美しい女の行水しているところを見てはっと思うとたんにずっとほれこんだに相違ないです。さあ自分がほれた目で烏が枝の上で動きもしないで下を見つめているのを見たものだから、ははあ、あいつもおれと同じく参ってるなとかん違いをしたのです。かん違いには相違ないですがそこが文学的でかつ積極的なところなんです。自分だけ感じたことを、断わりもなく烏の上に拡張して知らん顔をしてすましているところなんぞは、よほど積極主義じゃありませんか。どうです先生」「なるほど御名論だね、虚子に聞かしたら驚くに違いない。説明だけは積極だが、じっさいあの劇をやられたひには、見物人はたしかに消極になるよ。ねえ東風君」「へえどうも消極すぎるように思います」とまじめな顔をして答えた。
主人も少々談話の局面を展開してみたくなったとみえて、「どうです、東風さん、近ごろは傑作もありませんか」と聞くと東風君は「いえ、べつだんこれといってお目にかけるほどのものもできませんが、近日詩集を出してみようと思いまして──稿本を幸い持って参りましたから御批評を願いましょう」とふところから紫の袱ふく紗さ包づつみを出して、その中から五、六十枚ほどの原稿紙の帳面を取り出して、主人の前に置く。主人はもっともらしい顔をして拝見と言って見ると第一ページに
世の人に似ずあえかに見えたもう
富子嬢にささぐ
と二行に書いてある。主人はちょっと神秘的な顔をしてしばらく一ページを無言のままながめているので、迷亭は横合いから「なんだい新体詩かね」と言いながらのぞきこんで、「やあ、ささげたね。東風君、思い切って富子嬢にささげたのはえらい」としきりにほめる。主人はなお不思議そうに「東風さん、この富子というのは、ほんとうに存在している婦人ですか」と聞く。「へえ、この前迷亭先生とごいっしょに朗読会へ招しよう待だいした婦人の一人です。ついこの御近所に住んでおります。じつはただ今詩集を見せようと思ってちょっと寄って参りましたが、あいにく先月から大磯へ避暑に行って留る守すでした」とまじめくさって述べる。「苦沙弥君、これが二十世紀なんだよ。そんな顔をしないで、早く傑作でも朗読するさ。しかし東風君このささげ方は少しまずかったね。このあえかにという雅が言げんはぜんたいなんという意味だと思ってるかね」「か弱いとかたよわくという字だと思います」「なるほどそうもとれんことはないが本来の字義を言うと危うげにということだぜ。だからぼくならこうは書かないね」「どう書いたらもっと詩的になりましょう」「ぼくならこうさ。世の人に似ずあえかに見えたもう富子嬢の鼻の下にささぐとするね。わずかに三字のゆきさつだが鼻の下があるのとないのとではたいへん感じに相違があるよ」「なるほど」と東風君は解げしかねたところを無理に納なつ得とくしたていにもてなす。
主人は無言のままようやく一ページをはぐっていよいよ巻頭第一章を読みだす。
倦うんじて薫くんずる香こう裏りに君の
霊か相思の煙のたなびき
おお我、ああ我、辛からきこの世に
あまく得てしか熱き口づけ
「これは少々ぼくには解げしかねる」と主人は嘆息しながら迷亭に渡す。「これは少々ふるい過ぎてる」と迷亭は寒月に渡す。寒月は「なあーるほど」と言って東風君に返す。
「先生おわかりにならんのはごもっともで、十年前ぜんの詩界と今日の詩界とは見違えるほど発達しておりますから。このごろの詩は寝ころんで読んだり、停車場で読んではとうていわかりようがないので、作った本人ですら質問を受けると返答に窮することがよくあります。全くインスピレーションで書くので詩人はその他にはなんらの責任もないのです。注釈や訓義は学究のやることで私どものほうではとんとかまいません。せんだっても私の友人で送そう籍せきという男が一ヽ夜ヽ*という短編を書きましたが、だれが読んでももうろうとして取り留めがつかないので、当人に会ってとくと主意のあるところをただしてみたのですが、当人もそんなことは知らないよと言って取り合わないのです。全くそのへんが詩人の特色かと思います」「詩人かもしれないがずいぶん妙な男ですね」と主人が言うと、迷亭が「ばかだよ」と単簡に送籍君を打ち留めた。東風君はこれだけではまだ弁じ足りない。「送籍は我々仲間のうちでも取りのけですが、私の詩もどうかその心持ちその気で読んでいただきたいので。ここに御注意を願いたいのはからきこの世と、あまき口づけと対ついをとったところが私の苦心です」「よほど苦心をなすった痕こん迹せきがみえます」「あまいとからいと反照するところなんか十七味み調ちよう唐とう辛がら子し調ちよう*でおもしろい。全く東風君独特の伎ぎ倆りようで敬々服々の至りだ」としきりに正直な人をまぜ返して喜んでいる。
主人はなんと思ったか、ふいと立って書斎の方へ行ったがやがて一枚の半紙を持って出て来る。「東風君のお作も拝見したから、今度はぼくが短文を読んで諸君の御批評を願おう」といささか本気の沙汰である。「天てん然ねん居こ士じの墓銘碑ならもう二、三べん拝聴したよ」「まあ、黙っていなさい。東風さん、これはけっして得意のものではありませんが、ほんの座ざ興きようですから聞いてください」「ぜひ伺いましょう」「寒月君もついでに聞きたまえ」「ついででなくても聞きますよ。長い物じゃないでしょう」「僅きん々きん六十余字さ」と苦沙弥先生いよいよ手製の名文を読み始める。
「大和やまと魂だましい! と叫んで日本人が肺病やみのような咳せきをした」
「起こし得て突とつ兀こつですね」と寒月君がほめる。
「大和魂! と新聞屋が言う。大和魂! と掏す摸りが言う。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。ドイツで大和魂の芝居をする」
「なるほどこりゃ天然居士以上の作だ」と今度は迷亭先生がそり返ってみせる。
「東郷大将が大和魂をもっている。さかな屋の銀ぎんさんも大和魂をもっている。詐さ欺ぎ師し、山やま師し、人殺しも大和魂をもっている」
「先生そこへ寒月ももっているとつけてください」
「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。五、六間けん行ってからエヘンという声が聞こえた」
「その一句は大出来だ、君はなかなか文才があるね。それから次の句は」
「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている」
「先生だいぶおもしろうございますが、ちと大和魂が多すぎはしませんか」と東風君が注意する。「賛成」と言ったのはむろん迷亭である。
「だれも口にせぬ者はないが、だれも見た者はない。だれも聞いたことはあるが、だれも会った者がない。大和魂はそれ天てん狗ぐの類たぐいか」
主人は一いつ結けつ杳よう然ぜん*というつもりで読み終わったが、さすがの名文もあまり短かすぎるのと、主意がどこにあるのかわかりかねるので、三人はまだあとがあることと思って待っている。いくら待っても、うんとも、すんとも、言わないので、最後に寒月が「それぎりですか」と聞くと主人は軽かろく「うん」と答えた。うんは少し気楽すぎる。
不思議なことに迷亭はこの名文に対して、いつものようにあまり駄弁をふるわなかったが、やがて向き直って「君も短編を集めて一巻として、そうしてだれかにささげてはどうだ」と聞いた。主人はこともなげに「君にささげてやろうか」と聞くと迷亭は「まっぴらだ」と答えたぎり、さっき細君に見せびらかした鋏はさみをちょきちょきいわして爪つめをとっている。寒月君は東風君に向かって「君はあの金田の令嬢を知ってるのかい」と尋ねる。「この春朗読会へ招待してから懇こん意いになってそれからは始終交際をしている。ぼくはあの令嬢の前へ出ると、なんとなく一種の感に打たれて、当分のうちは詩を作っても歌を詠よんでも愉快に興が乗って出て来る。この集中にも恋の詩が多いのは全くああいう異性の朋ほう友ゆうからインスピレーションを受けるからだろうと思う。それでぼくはあの令嬢に対しては切実に感謝の意を表しなければならんからこの機を利用して、わが集をささげることにしたのさ。昔から婦人に親友のないもので立派な詩を書いた者はないそうだ」「そうかなあ」と寒月君は顔の奥で笑いながら答えた。いくら駄弁家の寄り合いでもそう長くは続かんものと見えて、談話の火の手はだいぶ下火になった。吾輩も彼らの変化なき雑談を終日聞かねばならぬ義務もないから、失敬して庭へかまきりを捜しに出た。梧あお桐ぎりの縁をつづる間から西に傾く日がまだらにもれて、幹にはつくつくぼうしが懸命にないている。晩はことによると一雨かかるかもしれない。