收藏

作者/Au: [日本] なつめそうせき
字数: 45639字
原文

主人はあばた面づら*である。御ご維いつ新しん前まえはあばたもだいぶはやったものだそうだが日英同盟の今日からみると、こんな顔はいささか時候おくれの感がある。あばたの衰退は人口の増殖と反比例して近き将来には全くその跡を絶つに至るだろうとは医学上の統計から精密に割り出されたる結論であって、吾わが輩はいのごとき猫といえどもごうも疑いをさしはさむ余地のないほどの名論である。現今地球上にあばたっ面つらを有して生息している人間は何人ぐらいあるか知らんが、吾輩が交際の区域内において打算してみると、猫には一匹もない。人間にはたった一人ある。しかしてその一人がすなわち主人である。はなはだ気の毒である。

吾輩は主人の顔を見るたびに考える。まあなんの因いん果がでこんな妙な顔をして臆おく面めんなく二十世紀の空気を呼吸しているのだろう。昔なら少しは幅もきいたか知らんが、あらゆるあばたが二の腕へ立ちのきを命ぜられた昨今、依然として鼻の頭や頬ほおの上へ陣取って頑がんとして動かないのは自慢にならんのみか、かえってあばたの体面に関するわけだ。できることなら今のうち取り払ったらよさそうなものだ。あばた自身だって心細いに違いない。それとも党勢不振の際、誓って落日を中天に挽ばん回かいせずんばやまずという意気込みで、あんなに横おう風ふうに顔一面を占領しているのかしらん。そうするとこのあばたはけっして軽けい蔑べつの意をもって見るべきものでない。滔とう々とうたる流俗に抗する万ばん古こ不ふ磨まの穴の集合体であって、大いに吾ご人じんの尊敬に値するでこぼこといってもよろしい。ただきたならしいのが欠点である。

主人の子供の時に牛うし込ごめの山やま伏ぶし町ちように浅あさ田だ宗そう伯はくという漢方の名医があったが、この老人が病びよ家うかを見舞う時には必ずかごに乗ってそろりそろりと参られたそうだ。ところが宗伯老がなくなられてその養子の代になったら、かごがたちまち人じん力りき車しやに変じた。だから養子が死んでそのまた養子が跡をついだら葛かつ根こん湯とうがアンチピリンに化けるかもしれない。かごに乗って東京市中を練り歩くのは宗伯老の当時ですらあまりみっともいいものではなかった。こんなまねをしてすましていたものは旧弊な亡もう者じやと、汽車へ積み込まれる豚と、宗伯老とのみであった。

主人のあばたもそのふるわざることにおいては宗伯老のかごと一般で、はたから見ると気の毒なくらいだが、漢方医にも劣らざる頑固な主人は依然として孤城落日のあばたを天下に暴ばく露ろしつつ毎日登校リードルを教えている。

かくのごとき前世紀の記念を満面に刻して教壇に立つ彼は、その生徒に対して授業以外に大なる訓戒をたれつつあるに相違ない。彼は「猿さるが手を持つ*」を反覆するよりも「あばたの顔面に及ぼす影響」という大間題を造作もなく解釈して、不ふ言げんの間かんにその答案を生徒に与えつつある。もし主人のような人間が教師として存在しなくなった暁には彼ら生徒はこの問題を研究するために図書館もしくは博物館へ駆けつけて、吾人がミイラによってエジプト人を髣ほう髴ふつすると同程度の労力を費やさねばならぬ。この点からみると主人のあばたも冥めい々めいのうちに妙な功く徳どくを施している。

もっとも主人はこの功徳を施すために顔一面に疱ほう瘡そうを種うえつけたのではない。これでも実は種うえ疱ぼう瘡そうをしたのである。不幸にして腕に種えたと思ったのが、いつのまにか顔へ伝染していたのである。そのころは子供のことで今のように色けも何もなかったものだから、かゆいかゆいと言いながらむやみに顔じゅう引っかいたのだそうだ。ちょうど噴火山が破裂してラヴァ*が顔の上を流れたようなもので、親が生んでくれた顔を台なしにしてしまった。主人はおりおり細君に向かって疱瘡をせぬうちは玉のような男子であったと言っている。浅あさ草くさの観音様で西洋人が振り返って見たくらいきれいだったなどと自慢することさえある。なるほどそうかもしれない。ただだれも保証人のいないのが残念である。

いくら功徳になっても訓戒になっても、きたないものはやっぱりきたないものだから、物もの心ごころがついて以来というもの主人は大いにあばたについて心配しだして、あらゆる手段を尽くしてこの醜態をもみつぶそうとした。ところが宗伯老のかごと違って、いやになったからというてそう急に打ちやられるものではない。今だに歴然と残っている。この歴然が多少気にかかるとみえて、主人は往来を歩くたびごとにあばた面づらを勘定して歩くそうだ。きょうは何人あばたに出会って、その主は男か女か、その場所は小お川がわ町まちの勧工場*であるか、上うえ野のの公園であるか、ことごとく彼の日記につけこんである*。彼はあばたに関する知識においてはけっしてだれにも譲るまいと確信している。せんだってある洋行帰りの友人が来たおりなぞは「君西洋人にはあばたがあるかな」と聞いたくらいだ。するとその友人が「そうだな」と首を曲げながらよほど考えたあとで「まあめったにないね」と言ったら、主人は「めったになくっても、少しはあるかい」と念を入れて聞き返した。友人は気のない顔で「あっても乞こ食じきか立ちん坊だよ。教育のある人にはないようだ」と答えたら、主人は「そうかなあ、日本とは少し違うね」と言った。

哲学者の意見によって落雲館とのけんかを思い留まった主人はその後書斎に立てこもってしきりに何か考えている。彼の忠告を容いれて静座のうちに霊活なる精神を消極的に修養するつもりかもしれないが、元来が気の小さな人間のくせに、ああ陰気なふところ手ばかりしていてはろくな結果の出ようはずがない。それより英書でも質に入れて芸者かららっぱ節でも習ったほうがはるかにましだとまでは気がついたが、あんな偏へん窟くつな男はとうてい猫の忠告などをきく気づかいはないから、まあかってにさせたらよかろうと五、六日は近寄りもせずにくらした。

きょうはあれからちょうど七なぬ日か目めである。禅ぜん家けなどでは一七日を限って大だい悟ごしてみせるなどとすさまじい勢いで結けつ跏かする連れん中じゆうもあることだから、うちの主人もどうかなったろう、死ぬか生きるかなんとか片づいたろうと、のそのそ縁側から書斎の入り口まで来て室内の動静を偵てい察さつに及んだ。

書斎は南向きの六畳で、日当たりのいい所に大きな机がすえてある。ただ大きな机ではわかるまい。長さ六尺、幅三尺八寸高さこれにかなうという大きな机である。むろんできあいのものではない。近所の建具屋に談判して寝台兼机として製造せしめたる稀き代たいの品物である。なんのゆえにこんな大きな机を新調して、またなんのゆえにその上に寝てみようなどという了見を起こしたものか、本人に聞いてみないことだからとんとわからない。ほんの一時じのでき心で、かかる難物をかつぎ込んだのかもしれず、あるいはことによると一種の精神病者において吾人がしばしば見いだすごとく、縁もゆかりもない二個の観念を連想して、机と寝台をかってに結びつけたものかもしれない。とにかく奇抜な考えである。ただ奇抜だけで役に立たないのが欠点である。吾輩はかつて主人がこの机の上へ昼寝をして寝返りをする拍子に縁側へころげ落ちたのを見たことがある。それ以来この机はけっして寝台に転用されないようである。

机の前には薄っぺらなメリンスの座ざ布ぶ団とんがあって、煙草タバコの火で焼けた穴が三つほどかたまってる。中から見える綿は薄黒い。この座布団の上に後ろ向きにかしこまっているのが主人である。鼠ねずみ色いろによごれた兵へ児こ帯おびをこま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へたれかかっている。この帯へじゃれついて、いきなり頭を張られたのはこないだのことである。めったに寄りつくべき帯ではない。

まだ考えているのか下へ手たの考えというたとえもあるのにと後ろからのぞき込んで見ると、机の上でいやにぴかぴかと光ったものがある。吾輩は思わず、続けざまに二、三度まばたきをしたが、こいつは変だとまぶしいのを我慢してじっと光るものを見つめてやった。するとこの光は机の上で動いている鏡から出るものだということがわかった。しかし主人はなんのために書斎で鏡などを振り回しているのだらう。鏡といえば風ふ呂ろ場ばにあるにきまっている。現に吾輩はけさ風呂場でこの鏡を見たのだ。この鏡ととくに言うのは主人のうちにはこれよりほかに鏡はないからである。主人が毎朝顔を洗ったあとで髪を分ける時にもこの鏡を用いる。──主人のような男が髪を分けるのかと聞く人もあるかもしれぬが、じっさい彼はほかのことに無ぶし精ようなるだけそれだけ頭を丁寧にする。吾輩が当家に参ってから今に至るまで主人はいかなる炎熱の日といえども五分刈りに刈り込んだことはない。必ず二寸ぐらいの長さにして、それをごたいそうに左の方で分けるのみか、右の端はじをちょっとはね返してすましている。これも精神病の徴候かもしれない。こんな気取った分け方はこの机といっこう調和しないと思うが、あえて他人に害を及ぼすほどのことでないから、だれもなんとも言わない。本人も得意である。分け方のハイカラなのはさておいて、なぜあんなに髪を長くするのかと思ったらじつはこういうわけである。彼のあばたはたんに彼の顔を侵しん蝕しよくせるのみならず、とくの昔に脳天まで食い込んでいるのだそうだ。だからもし普通の人のように五分刈りや三分刈りにすると、短い毛の根もとから何十となくあばたがあらわれてくる。いくらなでても、さすってもぽつぽつがとれない。枯れ野にほたるを放ったようなもので風流かもしれないが、細君の御ぎよ意いに入らんのはもちろんのことである。髪さえ長くしておけば露見しないですむところを、好んで自己の非をあばくにもあたらぬわけだ。なろうことなら顔まで毛をはやして、こっちのあばたも内済にしたいくらいなところだから、ただではえる毛を銭ぜにを出して刈り込ませて、私は頭ず蓋がい骨こつの上まで天てん然ねん痘とうにやられましたよと吹ふい聴ちようする必要はあるまい。──これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、その原因が鏡を見るわけで、その鏡が風呂場にあるゆえんで、しこうしてその鏡が一つしかないという事実である。

風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来ている以上は鏡が離り魂こん病びようにかかったのかまたは主人が風呂場から持って来たに相違ない。持って来たとすればなんのために持って来たのだろう。あるいは例の消極的修養に必要な道具かもしれない。昔ある学者がなんとかいう知識を訪とうたら、和お尚しよう両りよう肌はだをぬいで甎かわらを*磨ましておられた。何をこしらえなさると質問をしたら、なにさ今鏡を造ろうと思うて一生懸命にやっておるところじゃと答えた。そこで学者は驚いて、なんぼ名僧でも甎を磨して鏡とすることはできまいと言うたら、和尚からからと笑いながらそうか、それじゃやめよ、いくら書物を読んでも道はわからぬのもそんなものじゃろとののしったというから、主人もそんなことを聞きかじって風呂場から鏡でも持って来て、したり顔に振り回しているのかもしれない。だいぶ物ぶつ騒そうになってきたなと、そっとうかがっている。

かくとも知らぬ主人ははなはだ熱心なる様子をもって一いつ張ちよう来らいの鏡を見つめている。元来鏡というものは気味の悪いものである。深夜ろうそくを立てて、広い部へ屋やの中でひとり鏡をのぞき込むにはよほどの勇気がいるそうだ。吾輩などははじめて当家の令嬢から鏡を顔の前へ押しつけられた時に、はっと仰ぎよう天てんして屋敷のまわりを三度駆け回ったくらいである。いかに白昼といえども、主人のようにかく一生懸命に見つめている以上は自分で自分の顔がこわくなるに相違ない。ただ見てさえあまり気味のいい顔じゃない。ややあって主人は「なるほどきたない顔だ」とひとり言を言った。自己の醜しゆうを自白するのはなかなか見上げたものだ。様子からいうとたしかに気違いの所しよ作さだが言うことは真理である。これがもう一歩進むと、おのれの醜悪なことがこわくなる。人間はわが身が恐ろしい悪党であるという事実を徹てつ骨こつ徹てつ髄ずいに感じた者でないと苦労人とはいえない。苦労人でないととうてい解げ脱だつはできない。主人もここまで来たらついでに「おおこわい」とでも言いそうなものであるがなかなか言わない。「なるほどきたない顔だ」と言ったあとで、何を考え出したか、ぷうっとほっぺたをふくらました。そうしてふくれたほっぺたを平ひら手てで二、三度たたいてみる。なんのまじないだかわからない。この時吾輩はなんだかこの顔に似たものがあるらしいという感じがした。よくよく考えてみるとそれはおさんの顔である。ついでだからおさんの顔をちょっと紹介するが、それはそれはふくれたものである。このあいださる人が穴あな守もり稲いな荷りから河ふ豚ぐのちょうちんをみやげに持って来てくれたが、ちょうどあの河豚ぢょうちんのようにふくれている。あまりふくれ方が残酷なので目は両方とも紛失している。もっとも河豚のふくれるのはまんべんなくまん丸にふくれるのだが、おさんとくると、元来の骨格が多角性であって、その骨格どおりにふくれあがるのだから、まるで水すい気きになやんでいる六角時計のようなものだ。おさんが聞いたらさぞおこるだろうから、おさんはこのくらいにしてまた主人のほうに帰るが、かくのごとくあらん限りの空気をもってほっぺたをふくらませたる彼は前ぜん申すとおり手のひらでほっぺたをたたきながら「このくらい皮膚が緊張するとあばたも目につかん」とまたひとり言を言った。

今度は顔を横に向けて半面に光線を受けたところを鏡にうつしてみる。「こうして見るとたいへん目立つ。やっぱりまともに日の向いてるほうが平らに見える。きたないものだなあ」とだいぶ感心した様子であった。それから右の手をうんと伸ばして、できるだけ鏡を遠距離に持って行って静かに熟視している。「このくらい離れるとそんなでもない。やはり近すぎるといかん。──顔ばかりじゃないなんでもそんなものだ」と悟ったようなことを言う。次に鏡を急に横にした。そうして鼻の根を中心にして目や額ひたいや眉まゆを一度にこの中心に向かってくしゃくしゃとあつめた。見るからに不愉快な容よう貌ぼうができあがったと思ったら「いやこれはだめだ」と当人も気がついたとみえて早々やめてしまった。「なぜこんなに毒々しい顔だろう」と少々不審のていで鏡を目を去る三寸ばかりの所へ引き寄せる。右の人さしゆびで小鼻をなでて、なでた指の頭を机の上にあった吸い取り紙の上へ、うんと押しつける。吸い取られた鼻のあぶらが丸く紙の上へ浮き出した。いろいろな芸をやるものだ。それから主人は鼻のあぶらを塗と抹まつした指し頭とうを転じてぐいと右う眼がんの下まぶたを返して、俗にいうべっかんこうをみごとやってのけた。あばたを研究しているのか、鏡とにらめくらをしているのかそのへんは少々不明である。気の多い主人のことだから見ているうちにいろいろになるとみえる。それどころではない。もし善意をもってこんにゃく問答的に*解釈してやれば主人は見けん性しよう自じ覚かくの方便としてかように鏡を相手にいろいろなしぐさを演じているのかもしれない。すべて人間の研究というものは自己を研究するのである。大地といい山さん川せんといい日じつ月げつといい星せい辰しんというも皆自己の異い名みようにすぎぬ。自己をおいて他に研究すべき事項は誰たれ人びとにも見いだしえぬわけだ。もし人間が自己以外に飛び出すことができたら、飛び出すとたんに自己はなくなってしまう。しかも自己の研究は自己以外にだれもしてくれる者はない。いくらしてやりたくても、もらいたくても、できない相談である。それだから古来の豪傑はみんな自じ力りきで豪傑になった。人のおかげで自己がわかるくらいなら、自分の代理に牛肉を食わして、堅いか柔らかいか判断のできるわけだ。朝あしたに法を聞き、夕べに道を聞き、梧ご前ぜん燈とう下か*に書しよ巻かんを手にするのは皆この自証を挑ちよう撥はつするの方便の具に過ぎぬ。人の説く法のうち、他の弁ずる道のうち、ないしは五ご車しやにあまる蠹と紙し堆たい裏り*に自己が存在するゆえんがない。あれば自己の幽霊である。もっともある場合において幽霊は無む霊れいよりまさるかもしれない。影を追えば本体に逢ほう着ちやくする時がないとも限らぬ。多くの影はたいてい本体を離れぬものだ。この意味で主人が鏡をひねくっているならだいぶ話せる男だ。エピクテタスなどを鵜うのみにして学者ぶるよりもはるかにましだと思う。

鏡はうぬぼれの醸造器であるごとく、同時に自慢の消毒器である。もし浮華虚栄の念をもってこれに対する時はこれほど愚物を扇せん動どうする道具はない。昔から増ぞう上じよう慢まんをもっておのれを害し他を〓そこのうた事蹟の三分の二はたしかに鏡の所作である。仏ふつ国こく革命の当時物好きなお医者さんが改良首きり器械*を発明してとんだ罪をつくったように、はじめて鏡をこしらえた人もさだめし寝ざめのわるいことだろう。しかし自分に愛あい想その尽きかけた時、自我の萎い縮しゆくしたおりは鏡を見るほど薬になることはない。妍けん醜しゆう瞭りよう然ぜんだ。こんな顔でよくまあ人で候そうろうとそりかえって今日まで暮らされたものだと気がつくにきまっている。そこへ気がついた時が人間の生しよう涯がい中最もありがたい期節である。自分で自分のばかを承知しているほど尊く見えることはない。この自覚性ばかの前にはあらゆるえらがり屋がことごとく頭を下げて恐れ入らねばならぬ。当人は昂こう然ぜんとして我を軽けい侮ぷ嘲ちよう笑しようしているつもりでも、こちらから見るとその昂然たるところが恐れ入って頭を下げていることになる。主人は鏡を見ておのれの愚を悟るほどの賢者ではあるまい。しかしわが顔に印せられる痘とう痕こんの銘ぐらいは公平に読みうる男である。顔の醜いのを自認するのは心の賤いやしきを会え得とくする楷かい梯ていもなろう。たのもしい男だ。これも哲学者からやり込められた結果かもしれぬ。

かように考えながらなお様子をうかがっていると、それとも知らぬ主人は思う存分あかんべえをしたあとで「だいぶ充血しているようだ。やっぱり慢性結膜炎だ」と言いながら、人さし指の横つらでぐいぐい充血した瞼まぶたをこすり始めた。おおかたかゆいのだろうけれども、たださえあんなに赤くなっているものを、こうこすってはたまるまい。遠からぬうちに塩しお鯛だいの目玉のごとく腐ふ爛らんするにきまってる。やがて目を開いて鏡に向かったところを見ると、はたせるかなどんよりとして北ほつ国こくの冬空のように曇っていた。もっともふだんからあまり晴れ晴れしい目ではない。誇大な形容詞を用いると混こん沌とんとして黒目と白目が剖ぼう判はんしないくらい漠ばく然ぜんとしている。彼の精神が朦もう朧ろうとして不得要領底に一貫しているごとく、彼の目も曖あい々あい然ぜん昧まい々まい然ぜんとして長とこしえに眼がん窩かの奥に漂ただようている。これは胎毒のためだともいうし、あるいは疱ほう瘡そうの余波だとも解釈されて、小さい時分はだいぶ柳の虫や赤がえるの厄やつ介かいになったこともあるそうだが、せっかく母親のたんせいも、あるにそのかいあらばこそ、今日まで生まれた当時のままでぼんやりしている。吾輩ひそかに思うにこの状態はけっして胎毒や疱瘡のためではない。彼の目玉がかように晦かい渋じゆう溷こん濁だくの悲境に彷ほう徨こうしているのは、とりも直さず彼の頭脳が不透不明の実質から構成されていて、その作用が暗あん澹たん溟めい濛もうの極に達しているから、自然とこれが形体の上にあらわれて、知らぬ母親にいらぬ心配をかけたんだろう。煙たって火あるを知り、まなこ濁って愚なるを証す。してみると彼の目は彼の心の象徴で、彼の心は天てん保ぽう銭せんのごとく穴があいているから、彼の目もまた天保銭と同じく、大きな割合に通用しないに違いない。

今度は髯ひげをねじり始めた。元来から行儀のよくない髯でみんな思い思いの姿勢をとってはえている。いくら個人主義がはやる世の中だって、こうまちまちにわがままを尽くされては持ち主の迷惑はさこそと思いやられる、主人もここにかんがみるところあって近ごろは大いに訓練を与えて、できうる限り系統的に按あん排ばいするように尽力している。その熱心の効果はむなしからずして昨今ようやく歩調が少しととのうようになってきた。今までは髯がはえておったのであるが、このごろは髯をはやしているのだと自慢するぐらいになった。熱心は成功の度に応じて鼓こ舞ぶせられるものであるから、わが髯の前途有望なりと見てとった主人は朝な夕な、手がすいておれば必ず髯に向かって鞭べん撻たつを加える。彼のアンビションはドイツ皇帝陛下*のように、向上の念のさかんな髯をたくわえるにある。それだから毛あなが横向きであろうとも、下向きであろうともいささか頓とん着じやくなく十ぱひとからげに握っては、上の方へ引っぱり上げる。髯もさぞかし難儀であろう、所有主たる主人すら時々は痛いこともある。がそこが訓練である。いやでも応でもさかにこき上げる。門外漢から見ると気の知れない道楽のようであるが、当局者だけは至当のことと心得ている。教育者がいたずらに生徒の本性をためて、ぼくの手がらを見たまえと誇るようなものでごうも非難すべき理由はない。

主人が満まん腔こうの熱誠をもって髯を調練していると、台所から多角性のおさんが郵便が参りましたと、例のごとく赤い手をぬっと書斎の中うちへ出した。右み手ぎに髯をつかみ、左手ひだりに鏡を持った主人は、そのまま入り口の方を振りかえる。八の字の尾にさか立ちを命じたような髯を見るやいなやお多た角かく*はいきなり台所へ引きもどして、ハハハハとお釜かまのふたへ身をもたして笑った。主人は平気なものである。悠ゆう々ゆうと鏡をおろして郵便を取り上げた。第一信は活版ずりでなんだかいかめしい文字が並べてある。読んでみると

拝啓いよいよ御ご多た祥しよう賀し奉り候そろ回顧すれば日露の戦役は連戦連勝の勢いに乗じて平和克復を告げわが忠勇義烈なる将士は今や過半万歳声裏に凱がい歌かを奏し国民の歓喜何ものかこれにしかんさきに宣戦の大詔煥かん発ぱつせらるるや義勇公に奉じたる将士は久しく万ばん里りの異境に在ありてよく寒暑の苦難を忍び一意戦闘に従事し命めいを国家に捧げたるの至誠は永ながく銘して忘るべからざるところなりしこうして軍隊の凱旋は本月をもってほとんど終了を告げんとすよって本会は来たる二十五日を期し本区内一千有余の出征将校下士卒に対し本区民一般を代表しもって一大凱旋祝賀会を開催し兼ねて軍人遺族を慰い藉しやせんがため熱誠これを迎えいささか感謝の微び衷ちゆうを表したくついては各位の御協賛を仰ぎこの盛典を挙行するの幸いをえば本会の面目これに過ぎずと存じ候そろ間あいだなにとぞ御賛成奮って義ぎ捐えんあらんことをひたすら希望の至りに堪たえず候そろ敬具

とあって差し出し人は華族様である。主人は黙読一過ののちただちに封の中へ巻き納めて知らん顔をしている。義捐などはおそらくしそうにない。せんだって東北凶作*の義捐金を二円とか三円とか出してから、会う人ごとに義捐をとられた、とられたと吹ふい聴ちようしているくらいである。義捐とある以上はさし出すもので、とられるものでないにはきまっている。泥棒にあったのではあるまいし、とられたとは不穏当である。しかるにも関せず、盗難にでもかかったかのごとくに思ってるらしい主人がいかに軍隊の歓迎だといって、いかに華族様の勧誘だといって、強ごう談だんで持ちかけたらいざ知らず、活版の手紙ぐらいで金銭を出すような人間とは思われない。主人からいえば軍隊を歓迎する前にまず自分を歓迎したいのである。自分を歓迎したあとならたいていのものは歓迎しそうであるが、自分が朝ちよう夕せきにさしつかえるあいだは、歓迎は華族様に任せておく了見らしい。主人は第二信を取り上げたが「ヤ、これも活版だ」と言った。

時下秋冷の候こうに候そろところ貴家ますます御隆盛の段賀し上げ奉り候そろのぶれば本校儀も御承知のとおり一昨々年以来二、三野心家のために妨げられ一時その極に達し候そうらえどもこれ皆不肖針しん作さくが足らざるところに起因すと存じ深く自ら警いましむるところあり臥が薪しん甞しよう胆たんその苦辛の結果ようやくここに独力もってわが理想に適するだけの校舎新築費を得うるの途みちを講じ候そろそは別儀にもござなく別冊裁縫秘術綱要と命名せる書冊出版の儀に御ご座ざ候そろ本書は不肖針作が多年苦心研究せる工芸上の原理原則にのっとり真に肉を裂き血を絞るの思いをなして著述せるものに御ご座ざ候そろよって本書をあまねく一般の家庭へ製本実費に些さ少しようの利潤を付ふして御購求を願い一面斯し道どう発達の一助となすと同時にまた一面には僅きん少しようの利潤を蓄積して校舎建築費に当つる心しん算さんに御ご座ざ候そろよっては近ごろなんとも恐縮の至りに存じ候そうらえども本校建築費中へ御寄付なしくださると御お思ぼし召めしここに呈てい供きよう 仕つかまつり候そろ秘術綱要一部を御購求の上御侍女の方かたへなりとも御分与なしくだされ候そろて御賛同の意を御表章なしくだされたく伏して懇願仕り候そろ〓そう々そう敬具

大日本女子裁縫最高等大学院

校長縫ぬい田だ針しん作さく九拝

とある。主人はこの鄭てい重ちようなる書面を、冷淡に丸めてぽんとくず籠かごの中へほうり込んだ。せっかくの針作君の九拝も臥薪甞胆もなんの役にも立たなかったのは気の毒である。第三信にかかる。第三信はすこぶる風変わりの光彩を放っている。状じよう袋ぶくろが紅白のだんだらで、あめん棒の看板のごとくはなやかなるまん中に珍ちん野の苦く沙しや弥み先生虎こ皮ひ下かと八はつ分ぷん体たいで肉にく太ぶとにしたためてある。中からお太たさん*が出るかどうだか受け合わないが表だけはすこぶる立りつ派ぱなものだ。

もし我をもって天地を律すれば一ひと口くちにして西せい江こうの水を吸いつくすべく*、もし天地をもって我を律すれば我はすなわち陌はく上じよう*の塵ちりのみ。すべからく道いえ、天地と我と什いん麼もの交渉かある。……はじめて海鼠なまこを食いいだせる人はその胆力において敬すべく、はじめて河ふ豚ぐを喫せる漢おとこはその勇気において重んずべし。海鼠なまこを食らえる者は親しん鸞らんの再来にして、河豚を喫せるものは日にち蓮れんの分身なり。苦沙弥先生のごときに至ってはただ干かん瓢ぴようの酢す味み噌そを知るのみ。干瓢の酢味噌を食らって天下の士たるものは、我いまだこれを見ず。……

親友も汝なんじを売るべし。父母も汝に私あるべし。愛人も汝を棄つべし。富ふつ貴きはもとより頼みがたかるべし。爵しやく禄ろくは一朝にして失うべし。汝の頭とう中ちゆうに秘蔵する学問には黴かびがはえるべし。汝何をたのまんとするか。天地のうちに何をたのまんとするか。神?

神は人間の苦しまぎれに捏でつ造ぞうせる土ど偶ぐうのみ。人間のせつな糞ぐその凝ぎよう結けつせる臭しゆう骸がいのみ。たのむまじきをたのんで安しと言う。咄とつ々とつ、酔漢みだりに胡う乱ろんの言辞を弄ろうして、蹣まん跚さんとして墓に向かう。油尽きて燈とうおのずから滅す。業ごう尽きて何物をかのこす。苦沙弥先生よろしくお茶でもあがれ*。……

人を人と思わざれば畏おそるるところなし。人を人と思わざる者が、我を我と思わざる世を憤るはいかん。権貴栄達の士は人を人と思わざるにおいて得たるがごとし。ただ他ひとの我を我と思わぬ時において怫ふつ然ぜんとして色を作なす。任意に色を作なしきたれ。馬ば鹿か野や郎ろう。……

我の人を人と思うとき、他ひとの我を我と思わぬ時、不平家は発作的に天あま降くだる。この発作的活動を名づけて革命という。革命は不平家の所為にあらず。権貴栄達の士が好んで産するところなり。朝鮮に人にん参じん多し先生何がゆえに服せざる。

在ざい巣す鴨がも天てん道どう公こう平へい再拝

針作君は九拝であったが、この男はたんに再拝だけである。寄付金の依頼でないだけに七拝ほど横おう風ふうに構えている。寄付金の依頼ではないがそのかわりすこぶるわかりにくいものだ。どこの雑誌へ出しても没書になる価値は十分あるのだから、頭脳の不透明をもってなる主人は必ずずたずたに引き裂いてしまうだろうと思いのほか、打ち返し打ち返し読み直している。こんな手紙に意味があると考えて、あくまでその意味をきわめようという決心かもしれない。およそ天地の間かんにわからんものはたくさんあるが意味をつけてつかないものは一つもない。どんなむずかしい文章でも解釈しようとすれば容易に解釈のできるものだ。人間はばかであると言おうが、人間は利口であると言おうが手もなくわかることだ。それどころではない。人間は犬であると言っても豚であると言ってもべつに苦しむほどの命題ではない。山は低いと言ってもかまわん、宇宙は狭いと言ってもさしつかえはない。烏からすが白くて小こ町まちが醜婦で苫沙弥先生が君子でも通らんことはない。だからこんな無意味な手紙でもなんとかかとか理り窟くつさえつければどうとも意味はとれる。ことに主人のように知らぬ英語をむりやりにこじつけて説明し通して来た男はなおさら意味をつけたがるのである。天気の悪いのになぜグード・モーニングですかと生徒に問われて七なぬ日か間かん考えたり、コロンバスという名は日本語でなんと言いますかと聞かれて三日三晩かかって答えをくふうするくらいな男には、干かん瓢ぴようの酢す味み噌そが天下の士であろうと、朝鮮の人参を食って革命を起こそうと随意な意味は随所にわき出るわけである。主人はしばらくしてグード・モーニング流にこの難解の言ごん句くをのみこんだと見えて「なかなか意味深長だ。なんでもよほど哲理を研究した人に違いない。あっばれな見識だ」とたいへん賞賛した。この一言でも主人の愚なところはよくわかるが、翻って考えてみるといささかもっともな点もある。主人は何によらずわからぬものをありがたがる癖を有している。これはあながち主人に限ったことでもなかろう。わからぬ所にはばかにできないものが潜伏して、測るべからざるへんにはなんだか気け高だかい心持ちが起こるものだ。それだから俗人はわからぬことをわかったように吹ふい聴ちようするにもかかわらず、学者はわかったことをわからぬように講釈する。大学の講義でもわからんことをしゃべる人は評判がよくってわかることを説明する者は人望がないのでもよく知れる。主人がこの手紙に敬服したのも意義が明めい瞭りようであるからではない。その主旨が那な辺へんに存するかほとんど捕えがたいからである。急に海な鼠まこが出て来たり、せつな糞ぐそが出てくるからである。だから主人がこの文章を敬服する唯一の理由は、道どう家けで道どう徳とく経きよう*を尊敬し、儒じゆ家かで易えき経きようを尊敬し、禅ぜん家けで臨りん済ざい録ろくを尊敬すると一般で全くわからんからである。ただし全然わからんでは気がすまんからかってな注釈をつけてわかった顔だけはする。わからんものをわかったつもりで尊敬するのは昔から愉快なものである。──主人はうやうやしく八はつ分ぷん体たいの名筆を巻き納めて、これを机上に置いたままふところ手をして冥めい想そうに沈んでいる。

ところへ「頼む頼む」と玄関から大きな声で案内をこう者がある。声は迷亭のようだが、迷亭に似合わずしきりに案内を頼んでいる。主人は先から書斎のうちでその声を聞いているのだがふところ手のままごうも動こうとしない。取り次ぎに出るのは主人の役目でないという主義か、この主人はけっして書斎から挨あい拶さつをしたことがない。下女はさっきせんたくシャボンを買いに出た。細君は憚はばかりである。すると取り次ぎに出べきものは吾輩だけになる。吾輩だって出るのはいやだ。すると客人は沓くつ脱ぬぎから敷しき台だいへ飛び上がって障子をあけ放ってつかつか上がり込んで来た。主人も主人だが客も客だ。座敷の方へ行ったなと思うと襖ふすまを二、三度あけたりたてたりして、今度は書斎の方へやって来る。

「おい冗談じゃない。何をしているんだ、お客さんだよ」

「おや君か」

「おや君かもないもんだ。そこにいるならなんとか言えばいいのに、まるであき家のようじゃないか」

「うん、ちと考えごとがあるもんだから」

「考えていたって通れぐらいは言えるだろう」

「言えんこともないさ」

「相変わらず度胸がいいね」

「せんだってから精神の修養を努めているんだもの」

「物好きだな。精神を修養して返事ができなくなったひには来客は御難だね。そんなに落ち付かれちや困るんだぜ。じつはぼく一人来たんじゃないよ。たいへんなお客さんを連れて来たんだよ。ちょっと出て会ってくれたまえ」

「だれを連れて来たんだい」

「だれでもいいからちょっと出て会ってくれたまえ。ぜひ君に会いたいと言うんだから」

「だれだい」

「だれでもいいから立ちたまえ」

主人はふところ手のままぬっと立ちながら「また人をかつぐつもりだろう」と縁側へ出てなんの気もつかずに客間へはいり込んだ。すると六尺の床とこを正面に一個の老人が粛然と端座して控えている。主人は思わずふところから両手を出してぺたりと唐から紙かみのそばへ尻しりを片づけてしまった。これでは老人と同じく西向きであるから双方とも挨あい拶さつのしようがない。昔かたぎの人は礼儀はやかましいものだ。

「さあどうぞあれへ」と床の間まの方をさして主人を促す。主人は両三年前まえまでは座敷はどこへすわってもかまわんものと心得ていたのだが、その後ごある人から床の間の講釈を聞いて、あれは上段の間まの変化したもので、上じよう使しがすわる所だと悟って以来けっして床の間へは寄りつかない男である。ことに見ず知らずの年長者が頑がんと構えているのだから上座どころではない。挨拶さえろくにはできない。一応頭をさげて

「さあどうぞあれへ」と向こうの言うとおりを繰り返した。

「いやそれでは御挨拶ができかねますから、どうぞあれへ」

「いえ、それでは……どうぞあれへ」と主人はいいかげんに先方の口上をまねている。

「どうもそう、御ご謙けん遜そんでは恐れ入る。かえって手前が痛み入る。どうか御遠慮なく、さあどうぞ」

「御謙遜では……恐れますから……どうか」主人はまっかになって口をもごもご言わせている。

精神修養もあまり効果がないようである。迷亭君は襖ふすまの影から笑いながら立ち見をしていたが、もういい時分だと思って、後ろから主人の尻を押しやりながら

「まあ出たまえ。そう唐紙へくっついてはぼくがすわる所がない。遠慮せずに前へでたまえ」と無理に割り込んでくる。主人はやむをえず前の方へすり出る。

「苦沙弥君これが毎々君にうわさをする静岡の伯お父じだよ。伯父さんこれが苦沙弥君です」

「いやはじめてお目にかかります。毎度迷亭が出てお邪魔をいたすそうで、いつか参上の上御高話を拝聴いたそうと存じておりましたところ、幸い今日は御近所を通行いたしたもので、お礼かたがた伺ったわけで、どうぞお見知りおかれまして今後ともよろしく」と昔ふうな口上をよどみなく述べたてる。主人は交際の狭い、無口な人間である上に、こんな古風なじいさんとはほとんど出会ったことがないのだから、最初から多少場うての気味で辟へき易えきしていたところへ、滔とう々とうと浴びせかけられたのだから、朝鮮人参もあめん棒の状じよう袋ぶくろもすっかり忘れてしまってただ苦し紛れに妙な返事をする。

「私も……私も……ちょっと伺うはずでありましたところ……なにぶんよろしく」と言い終わって頭を少々畳から上げて見ると老人はいまだに平伏しているので、はっと恐縮してまた頭をぴたりと着けた。

老人は呼吸を計って首をあげながら「私ももとはこちらに屋敷もあって、ながらくお膝ひざ元もとでくらしたものでがすが、瓦が解かいのおりにあちらへ参ってからとんと出てこんのでな。今来てみるとまるで方角もわからんくらいで、──迷亭にでも連れて歩いてもらわんと、とても用たしもできません。滄そう桑そうの変とは申しながら、御ごに入ゆう国こく以来三百年も、あのとおり将軍家の……」と言いかけると迷亭先生めんどうだと心得て

「伯父さん将軍家もありがたいかもしれませんが、明治の代よも結構ですぜ。昔は赤十字*なんてものもなかったでしょう」

「それはない。赤十字などと称するものは全くない。ことに宮様のお顔を拝むなどということは明治の御み代よでなくてはできぬことだ。わしも長生きをしたおかげでこのとおり今日の総会にも出席するし、宮殿下のお声も聞くし、もうこれで死んでもいい」

「まあ久しぶりで東京見物をするだけでも得ですよ。苦沙弥君、伯父はね、今度赤十字の総会があるのでわざわざ静岡から出て来てね、きょういっしょに上野へ出かけたんだが今その帰りがけなんだよ。それだからこのとおり先日ぼくが白木屋へ注文したフロックコートを着ているのさ」と注意する。なるほどフロックコートを着ている。フロックコートは着ているがすこしもからだに合わない。袖そでが長すぎて、襟えりがおっ開ぴらいて、背中へ池ができて、わきの下がつるし上がっている。いくら不ぶ恰かつ好こうに作ろうといったって、こうまで念を入れて形をくずすわけにはゆかないだろう。その上白シャツと白襟が離れ離れになって、仰むくとあいだからのど仏が見える。第一黒い襟飾りが襟に属しているのか、シャツに属しているのか判然しない。フロックはまだ我慢ができるが白髪しらがのチョンまげははなはだ奇観である。評判の鉄てつ扇せんはどうかと目をつけるとひざの横にちゃんと引きつけている。主人はこの時ようやく本心に立ち返って、精神修養の結果を存分に老人の服装に応用して少々驚いた。まさか迷亭の話ほどではなかろうと思っていたが、会ってみると話以上である。もし自分のあばたが歴史的研究の材料になるならば、この老人のチョンまげや鉄扇はたしかにそれ以上の価値がある。主人はどうかしてこの鉄扇の由来を聞いてみたいと思ったが、まさか、打ちつけに質問するわけにはゆかず、といって話をとぎらすのも礼に欠けると思って

「だいぶ人が出ましたろう」ときわめて尋常な問いをかけた。

「いや非常な人で、それでその人が皆わしをじろじろ見るので──どうも近来は人間が物見高くなったようでがすな。昔はあんなではなかったが」

「ええ、さよう、昔はそんなではなかったですな」と老人らしいことを言う。これはあながち主人が知ったかぶりをしたわけではない。ただ朦もう朧ろうたる頭脳からいいかげんに流れ出す言語とみればさしつかえない。

「それにな。皆この甲割かぶとわりへ目をつけるので」

「その鉄扇はだいぶ重いものでございましょう」

「若沙弥君、ちょっと持ってみたまえ。なかなか重いよ。伯父さん持たしてごらんなさい」

老人は重たそうに取り上げて「失礼でがすが」と主人に渡す。京都の黒くろ谷だに*で参詣人が蓮れん生しよう坊ぼうの太た刀ちをいただくようなかたで、苦沙弥先生しばらく持っていたが「なるほど」と言ったまま老人に返却した。

「みんながこれを鉄扇鉄扇と言うが、これは甲割かぶとわりととなえて鉄扇とはまるで別物で……」

「へえ、なんにしたものでございましょう」

「兜かぶとを割るので、──敵の目がくらむところを撃うちとったものでがす。楠くすの正きまさ成しげ時代から用いたようで……」

「伯父さん、そりゃ正成の甲割りですかね」

「いえ、これはだれのかわからん。しかし時代は古い。建けん武む時代の作かもしれない」

「建武時代かもしれないが、寒月君は弱っていましたぜ。苦沙弥君、きょう帰りにちょうどいい機会だから大学を通り抜けるついでに理科へ寄って、物理の実験室を見せてもらったところがね。この甲割りが鉄だものだから、磁力の器械が狂って大騒ぎさ」

「いや、そんなはずはない。これは建武時代の鉄で、性しようのいい鉄だからけっしてそんなおそれはない」

「いくら性のいい鉄だってそうはいきませんよ。現に寒月がそう言ったからしかたがないです」

「寒月というのは、あのガラス球だまを磨すっている男かい。今の若さに気の毒なことだ。もう少し何かやることがありそうなものだ」

「かあいそうに、あれだって研究でさあ。あの球を磨りあげると立派な学者になれるんですからね」

「玉を磨りあげて立派な学者になれるなら、だれにでもできる。わしにでもできる。ビードロやの主人にでもできる。ああいうことをする者を漢土では玉ぎよく人じんと称したもので至って身分の軽い者だ」と言いながら主人の方を向いて暗に賛成を求める。

「なるほど」と主人はかしこまっている。

「すべて今の世の学問は皆形而けいじ下かの学でちょっと結構なようだが、いざとなるとすこしも役には立ちませんてな。昔はそれと違って侍さむらいは皆命がけの商売だから、いざという時に狼ろう狽ばいせぬように心の修業をいたしたもので、御承知でもあらっしゃろうがなかなか玉を磨ったり針金を綯よったりするようなたやすいものではなかったでがすよ」

「なるほど」とやはりかしこまっている。

「伯父さん心の修業というものは玉を磨る代わりにふところ手をしてすわり込んでるんでしょう」

「それだから困る。けっしてそんな造作のないものではない。孟もう子しは求きゆう放ほう心しん*と言われたくらいだ。邵しよう康こう節せつは心しん要よう放ほう*と説いたこともある。また仏ぶつ家かでは中ちゆう峯ほう和おし尚ようというのが具ぐ不ふ退たい転てん*ということを教えている。なかなか容易にはわからん」

「とうていわかりっこありませんね。ぜんたいどうすればいいんです」

「お前は沢たく菴あん禅ぜん師じの不ふ動どう智ち神しん妙みよう録ろくというものを読んだことがあるかい」

「いいえ、聞いたこともありません」

「心をどこに置こうぞ。敵の身の働きに心を置けば、敵の身の働きに心を取らるるなり。敵の太た刀ちに心を置けば、敵の太刀に心を取らるるなり。敵を切らんと思う所に心を置けば、敵を切らんと思う所に心を取らるるなり。わが太刀に心を置けば、わが太刀に心を取らるるなり。我切られじと思う所に心を置けば、切られじと思う所に心を取らるるなり。人の構えに心を置けば、人の構えに心を取らるるなり。とかく心の置き所はないとある」

「よく忘れずに暗あん唱しようしたものですね。伯父さんもなかなか記憶がいい。長いじゃありませんか。苦沙弥君わかったかい」

「なるほど」と今度もなるほどですましてしまった。

「なあ、あなた、そうでござりましょう。心はどこに置こうぞ、敵の身の働きに心を置けば、敵の働きに心を取らるるなり。敵の太刀に心を置けば……」

「伯父さん苦沙弥君はそんなことは、よく心得ているんですよ。近ごろは毎日書斎で精神の修養ばかりしているんですから。客があっても取り次ぎに出ないくらい心を置きざりにしているんだから大丈夫ですよ」

「や、それは御ご奇き特とくなことで──お前などもちとごいっしょにやったらよかろろ」

「へへへそんな暇はありませんよ。伯父さんは自分が楽なからだだもんだから、人も遊んでると思っていらっしゃるんでしょう」

「じっさい遊んでるじゃないかの」

「ところが閑かん中ちゆうおのずから忙ぼうありでね」

「そう、粗そ忽こつだから修業をせんといかないと言うのよ、忙ぼう中ちゆうおのずから閑かんありという成句はあるが、閑中おのずから忙ありというのは聞いたことがない。なあ苦沙弥さん」

「ええ、どうも聞きませんようで」

「ハハハハそうなっちゃあかなわない。時に伯父さんどうです。久しぶりで東京のうなぎでも食っちゃあ。竹ちく葉よう*でもおごりましょう。これから電車で行くとすぐです」

「うなぎも結構だが、きょうはこれからすい原はらへ行く約束があるから、わしはこれで御免をこうむろう」

「ああ杉すぎ原はらですか、あのじいさんも達者ですね」

「杉原ではない、すい原はらさ。お前はよく間違いばかり言って困る。他人の姓名を取り違えるのは失礼だ。よく気をつけんといけない」

「だって杉原と書いてあるじゃありませんか」

「杉原と書いてすい原はらと読むのさ」

「妙ですね」

「なに妙なことがあるものか。名みよう目もく読み*といって昔からあることさ。蚯きゆう蚓いんを和わ名みようでみみずと言う。あれは目見ずの名目読みで。蝦が蟆まのことをかいると言うのと同じことさ」

「へえ、驚いたな」

「蝦蟆を打ち殺すと仰向きにかえる。それを名目読みにかいると言う。透すき垣がきをすい垣、茎くき立たてをくく立たて、皆同じことだ。杉すい原はらをすぎ原はらなどと言うのは田舎いなか者ものの言葉さ。少し気をつけないと人に笑われる」

「じゃ、その、すい原へこれから行くんですか。困ったな」

「なにいやならお前は行かんでもいい。わし一人で行くから」

「一人で行けますかい」

「歩いてはむずかしい。車を雇っていただいて、ここから乗って行こう」

主人はかしこまってただちにおさんを車屋へ走らせる。老人は長々と挨あい拶さつをしてチョンまげ頭へ山高帽をいただいて帰って行く。迷亭はあとへ残る。

「あれが君の伯父さんか」

「あれがぼくの伯父さんさ」

「なるほど」と再び座ざ布ぶ団とんの上にすわったなりふところ手をして考え込んでいる。

「ハハハ豪傑だろう。ぼくもああいう伯父さんを持ってしあわせなものさ。どこへ連れて行ってもあのとおりなんだぜ。君驚いたろう」と迷亭君は主人を驚かしたつもりで大いに喜んでいる。

「なにそんなに驚きゃしない」

「あれで驚かなけりゃ、胆力のすわったもんだ」

「しかしあの伯父さんはなかなかえらいところがあるようだ。精神の修養を主張するところなぞは大いに敬服していい」

「敬服していいかね。君も今に六十ぐらいになるとやっぱりあの伯父みたように、時候おくれになるかもしれないぜ。しっかりしてくれたまえ。時候おくれの回り持ちなんか気がきかないよ」

「君はしきりに時候おくれを気にするが、時と場合によると、時候おくれのほうがえらいんだぜ。第一今の学問というものは先へ先へと行くだけで、どこまで行ったって際限はありゃしない。とうてい満足は得られやしない。そこへゆくと東洋流の学問は消極的で大いに味わいがある。心そのものの修業をするのだから」とせんだって哲学者から承ったとおりを自説のように述べ立てる。

「えらいことになってきたぜ。なんだか八や木ぎ独どく仙せん君のようなことを言ってるね」

八木独仙という名を聞いて主人ははっと驚いた。じつはせんだって臥が竜りよう窟くつを訪問して主人を説服に及んで悠ゆう然ぜんと立ち去った哲学者というのが取りも直さずこの八木独仙君であって、今主人がしかつめらしく述べ立てている議論は全くこの八木独仙君の受け売りなのであるから、知らんと思った迷亭がこの先生の名を間かん不ふよ容よう髪はつ*の際に持ち出したのは暗に主人の一夜作りの仮かり鼻ばなをくじいたわけになる。

「君独仙の説を聞いたことがあるのかい」と主人はけんのんだから念を推おしてみる。

「聞いたの、聞かないのって、あの男の説ときたら、十年前ぜん学校にいた時分と今日と少しも変わりゃしない」

「真理はそう変わるものじゃないから、変わらないところがたのもしいかもしれない」

「まあそんなひいきがあるから独仙もあれで立ちゆくんだね。第一八木という名からして、よくできてるよ。あの髯ひげが君全く山や羊ぎだからね。そうしてあれも寄宿舎時代からあのとおりの恰好ではえていたんだ。名前の独仙などもふるったものさ。昔ぼくの所へ泊まりがけに来て例のとおり消極的の修養という議論をしてね。いつまでたっても同じことを繰り返してやめないから、ぼくが君もう寝ようじゃないかと言うと、先生気楽なものさ、いやぼくは眠くないとすましきって、やっぱり消極論をやるには迷惑したね。しかたがないから君は眠くなかろうけれども、ぼくのほうはたいへん眠いのだから、どうか寝てくれたまえと頼むようにして寝かしたまではよかったが──その晩鼠ねずみが出て独仙君の鼻のあたまをかじってね。夜なかに大騒ぎさ。先生悟ったようなことを言うけれども命は依然として惜しかったとみえて、非常に心配するのさ。鼠の毒が総そう身しんにまわるとたいへんだ、君どうかしてくれと責めるには閉口したね。それからしかたがないから台所へ行って紙ぎれへ飯粒をはってごまかしてやったあね」

「どうして」

「これは舶はく来らいの膏こう薬やくで、近来ドイツの名医が発明したので、インド人などの毒どく蛇じやにかまれた時に用いると即効があるんだから、これさえはっておけば大丈夫だと言ってね」

「君はその時分からごまかすことに妙を得ていたんだね

「……すると独仙君はああいう好人物だから、全くだと思って安心してぐうぐう寝てしまったのさ。あくる日起きてみると膏薬の下から糸くずがぶらさがって例の山や羊ぎ髯ひげに引っかかっていたのは滑こつ稽けいだったよ」

「しかしあの時分よりだいぶえらくなったようだよ」

「君近ごろ会ったのかい」

「一週間ばかり前に来て、長い間話をして行った」

「どうりで独仙流の消極説を振りまわすと思った」

「じつはその時大いに感心してしまったから、ぼくも大いに奮発して修養をやろうと思ってるところなんだ」

「奮発は結構だがね。あんまり人の言うことを真まに受けるとばかをみるぜ。いったい君は人の言うことをなんでもかでも正直に受けるからいけない。独仙も口だけは立派なものだがね、いざとなるとお互いと同じものだよ。君九年前まえの大地震*を知ってるだろう。あの時寄宿の二階から飛び降りてけがをしたものは独仙君だけなんだからな」

「あれには当人だいぶ説があるようじゃないか」

「そうさ、当人に言わせるとすこぶるありがたいものさ。禅の機き鋒ほう*は峻しゆん峭しようなもので、いわゆる石せき火かの機*となるとこわいくらい早く物に応ずることができる。ほかの者が地震だといってうろたえているところを自分だけは二階の窓から飛びおりたところに修業の効があらわれてうれしいと言って、跛びつこを引きながらうれしがっていた。負け惜しみの強い男だ。いったい禅とか仏ぶつとかいって騒ぎ立てる連れん中じゆうほどあやしいのはないぜ」

「そうかな」と苦沙弥先生少々腰が弱くなる。

「このあいだ来た時禅宗坊主の寝言みたようなことを何か言ってったろう」

「うん電でん光こう影えい裏りに春しゆん風ぷうをきるとかいう句を教えて行ったよ」

「その電光さ。あれが十年前まえからのお箱なんだからおかしいよ。無む覚かく禅ぜん師じ*の電光ときたら寄宿舎じゅうだれも知らない者はないくらいだった。それに先生時々せき込むと間違えて電光影裏をさかさまに春風影裏に電光をきると言うからおもしろい。今度ためしてみたまえ。向こうで落ち付きはらって述べたてているところを、こっちでいろいろ反対するんだね。するとすぐ顛てん倒どうして妙なことを言うよ」

「君のようないたずら者に会っちゃかなわない」

「どっちがいたずら者だかわかりゃしない。ぼくは禅坊主だの、悟ったのは大きらいだ。ぼくの近所の南なん蔵ぞう院いんという寺があるが、あすこに八十ばかりの隠居がいる。それでこのあいだの夕立の時寺内へ雷らいが落ちて隠居のいる庭先の松の木を裂いてしまった。ところが和おし尚よう泰然として平気だというから、よく聞き合わせてみるとから聾つんぼなんだね。それじゃ泰然たるわけさ。たいがいそんなものさ。独仙も一人で悟っていればいいのだが、ややもすると人を誘い出すから悪い。現に独仙のおかげで二人ばかり気違いにされているからな」

「だれが」

「だれがって。一人は理り野の陶とう然ぜんさ。独仙のおかげで大いに禅学に凝り固まって鎌かま倉くらへ出かけて行って、とうとう出先で気違いになってしまった。円えん覚がく寺じの前に汽車の踏切があるだろう、あの踏切うちへ飛び込んでレールの上で座禅をするんだ。それで向こうから来る汽車をとめてみせるという大気炎さ。もっとも汽車のほうでとまってくれたから一命だけはとりとめたが、そのかわり今度は火に入って焼けず、水に入って溺おぼれぬ金こん剛ごう不ふ壊えのからだだと号して寺内の蓮はす池いけへはいってぶくぶく歩き回ったもんだ」

「死んだかい」

「その時も幸い、道場の坊主が通りかかって助けてくれたが、その後東京へ帰ってから、とうとう腹膜炎で死んでしまった。死んだのは腹膜炎だが、腹膜炎になった原因は僧堂で麦むぎ飯めしや万まん年ねん漬づけを食ったせいだから、つまるところは間接に独仙が殺したようなものさ」

「むやみに熱中するのもよしあしだね」と主人はちょっと気味の悪いという顔つきをする。

「ほんとうにさ。独仙にやられた者がもう一人同窓中にある」

「あぶないね。だれだい」

「立たち町まち老ろう梅ばい君さ。あの男も全く独仙にそそのかされてうなぎが天上するようなことばかり言っていたが、とうとう君本ほん物ものになってしまった」

「本物たあなんだい」

「とうとううなぎが天上して、豚が仙人になったのさ」

「なんのことだい、それは」

「八木が独仙なら、立町は豚ぶた仙せんさ、あのくらい食い意地のきたない男はなかったが、あの食い意地と禅坊主の悪意地が併発したのだから助からない。初めはぼくらも気がつかなかったが今から考えると妙なことばかり並べていたよ。ぼくのうちなどへ来て君あの松の木へカツレツが飛んできやしませんかの、ぼくの国では蒲かま鉾ぼこが板へ乗って泳いでいますのって、しきりに警句を吐いたもんさ。ただ吐いているうちはよかったが君表のどぶへきんとんを掘りにゆきましょうと促すに至ってはぼくも降参したね。それから二、三日するとついに豚仙になって巣す鴨がもへ収容されてしまった。元来豚なんぞが気違いになる資格はないんだが、全く独仙のおかげであすこまでこぎつけたんだね。独仙の勢力もなかなかえらいよ」

「へえ、今でも巣鴨にいるのかい」

「いるだんじゃない。自じ大だい狂きようで大気炎を吐いている。近ごろは立町老梅なんて名はつまらないというので、みずから天てん道どう公こう平へいと号して、天道の権ごん化げをもって任じている。すさまじいものだよ。まあちょっと行ってみたまえ」

「天道公平?」

「天道公平だよ。気違いのくせにうまい名をつけたものだね。時々は孔こう平へいとも書くことがある。それでなんでも世人が迷ってるからぜひ救ってやりたいというので、むやみに友人や何かへ手紙を出すんだね。ぼくも四、五通もらったが、中にはなかなか長いやつがあって不足税を二度ばかりとられたよ」

「それじゃぼくのとこへ来たのも老梅から来たんだ」

「君のとこへも来たかい。そいつは妙だ。やっぱり赤い状袋だろう」

「うん、まん中が赤くて左右が白い。一風変わった状袋だ」

「あれはね、わざわざシナから取り寄せるのだそうだよ。天の道は白なり、地の道は白なり、人は中ちゆう間かんにあって赤しという豚仙の格言を示したんだって……」

「なかなか因いん縁ねんのある状袋だね」

「気違いだけに大いに凝ったものさ。そうして気違いになっても食い意地だけは依然として存しているものとみえて、毎回必ず食い物のことが書いてあるから奇妙だ。君のとこへもなんとか言って来たろう」

「うん、海鼠なまこのことがかいてある」

「老梅は海鼠が好きだったからね。もっともだ。それから?」

「それから河ふ豚ぐと朝ちよう鮮せん人にん参じんか何か書いてある」

「河豚と朝鮮人参の取り合わせはうまいね。おおかた河豚を食って中あたったら朝鮮人参を煎せんじて飲めとでもいうつもりなんだろう」

「そうでもないようだ」

「そうでなくてもかまわないさ。どうせ気違いだもの。それっきりかい」

「まだある。苦沙弥先生お茶でもあがれという句がある」

「アハハハお茶でもあがれはきびし過ぎる。それで大いに君をやり込めたつもりに違いない。大出来だ。天道公平君万歳だ」と迷亭先生はおもしろがって、大いに笑いだす。主人は少なからざる尊敬をもって反復読どく誦しようした書しよ翰かんの差出人が金きん箔ぱくつきの狂人であると知ってから、最前の熱心と苦心がなんだかむだ骨のような気がして腹立たしくもあり、また瘋ふう癲てん病びよう者しやの文章をさほど心労して翫がん味みしたかと思うと恥ずかしくもあり、最後に狂人の作にこれほど感服する以上は自分も多少神経に異状がありはせぬかとの疑念もあるので、立腹と、慚ざん愧きと、心配の合がつ併ぺいした状態でなんだか落ち付かない顔つきをして控えている。

おりから表おもて格ごう子しをあららかにあけて、重い靴くつの音がふた足ほど沓くつ脱ぬぎに響いたと思ったら「ちょっと頼みます、ちょっと頼みます」と大きな声がする。主人の尻しりの重いに反して迷亭はまたすこぶる気軽な男であるから、おさんの取り次ぎに出るのもまたず、通れと言いながら隔ての中の間まをふた足ばかりに飛び越えて玄関におどり出した。人のうちへ案内もこわずにつかつかはいり込むところは迷惑のようだが、人のうちへはいった以上は書生同様取り次ぎを務めるからはなはだ便利である。いくら迷亭でもお客さんには相違ない、そのお客さんが玄関へ出張するのに主人たる苦沙弥先生が座敷へ構え込んで動かん法はない。普通の男ならあとから引き続いて出陣すべきはずであるが、そこが苦沙弥先生である。平気に座布団の上へ尻を落ち付けている。ただし落ち付けているのと、落ち付いているのとは、その趣はだいぶ似ているが、その実質はよほど違う。

玄関へ飛び出した迷亭は何かしきりに弁じていたが、やがて奥の方を向いて「おい御主人ちょっと御足労だが出てくれたまえ。君でなくっちゃ、間に合わない」と大きな声を出す。主人はやむをえずふところ手のままのそりのそりと出てくる。見ると迷亭君は一枚の名刺を握ったまましゃがんで挨拶をしている。すこぶる威厳のない腰つきである。その名刺には警視庁刑事巡査吉よし田だ虎とら蔵ぞうとある。虎蔵君と並んで立っているのは二十五、六の背せいの高い、いなせな唐とう桟ざんずくめの男である。妙なことにこの男は主人と同じくふところ手をしたまま、無言で突っ立っている。なんだか見たような顔だと思ってよくよく観察すると、見たようなどころじゃない。このあいだ深夜御来訪になって山の芋を持ってゆかれた泥どろ棒ぼう君くんである。おや今度は白昼公然と玄関からおいでになったな。

「おいこのかたは刑事巡査でせんだっての泥棒をつらまえたから、君に出頭しろというんで、わざわざおいでになったんだよ」

主人はようやく刑事が踏み込んだ理由がわかったとみえて、頭をさげて泥棒の方を向いて丁寧におじぎをした。泥棒のほうが虎蔵君より男ぶりがいいので、こっちが刑事だと早はや合が点てんをしたのだろう。泥棒も驚いたに相違ないが、まさかわたしが泥棒ですよと断わるわけにもゆかなかったとみえて、すまして立っている。やはりふところ手のままである。もっとも手錠をはめているのだから、出そうといっても出る気づかいはない。通例の者ならこの様子でたいていはわかるはずだが、この主人は当世の人間に似合わず、むやみに役人や警察をありがたがる癖がある。お上かみの御威光となると非常に恐ろしいものと心得ている。もっとも理論上からいうと、巡査なぞは自分たちが金を出して番人に雇っておくのだぐらいのことは心得ているのだが、実際に臨むといやにへえへえする。主人のおやじはその昔場末の名な主ぬし*であったから、上の者にぴょこぴょこ頭を下げて暮らした習慣が、因果となってかように子に酬むくったのかもしれない。まことに気の毒な至りである。

巡査はおかしかったとみえて、にやにや笑いながら「あしたね、午前九時までに日に本ほん堤づつみの分署まで来てください。──盗難品はなんとなんでしたかね」

「盗難品は……」と言いかけたが、あいにく先生たいがい忘れている。ただ覚えているのは多た々た良ら三さん平ぺいの山の芋だけである。山の芋などはどうでもかまわんと思ったが、盗難品は……と言いかけてあとが出ないのはいかにも与よ太た郎ろうのようで体裁が悪い。人が盗まれたのならいざ知らず、自分が盗まれておきながら、明瞭の答えができんのは一いち人にん前まえではない証拠だと、思い切って「盗難品は……山の芋一箱」とつけた。

泥棒はこの時よほどおかしかったとみえて、下を向いて着物の襟えりへあごを入れた。迷亭はアハハハと笑いながら「山の芋がよほど惜しかったとみえるね」と言った。巡査だけ存外まじめである。

「山の芋は出ないようだがほかの物件はたいがいもどったようです。──まあ来てみたらわかるでしょう。それでね、下げ渡したら請うけ書しよがいるから、印いん形ぎようを忘れずに持っておいでなさい。──九時までに来なくってはいかん。日本堤分署です。──浅あさ草くさ警察署の管轄内の日本堤分署です。──それじゃ、さようなら」とひとりで弁じて帰って行く。泥棒君も続いて門を出る。手が出せないので、門をしめることができないからあけ放しのまま行ってしまった。恐れ入りながらも不平とみえて、主人は頬ほおをふくらめて、ぴしゃりと立て切った。

「アハハハ君は刑事をたいへん尊敬するね。つねにああいう恭謙な態度を持ってるといい男だが、君は巡査だけに丁寧なんだから困る」

「だってせっかく知らせて来てくれたんじゃないか」

「知らせに来るったって、先は商売だよ。あたりまえにあしらってりゃたくさんだ」

「しかしただの商売じゃない」

「無論ただの商売じゃない。探偵といういけすかない商売さ。あたりまえの商売より下等だね」

「君そんなことを言うとひどい目に会うぜ」

「ハハハそれじゃ刑事の悪口はやめにしよう。しかし君刑事を尊敬するのは、まだしもだが、泥棒を尊敬するに至っては、驚かざるをえんよ」

「だれが泥棒を尊敬したい」

「君がしたのさ」

「ぼくが泥棒に近づきがあるもんか」

「あるもんかって君は泥棒におじぎをしたじゃないか」

「いつ?」

「たった今平身低頭したじゃないか」

「ばかあ言ってら、あれは刑事だね」

「刑事があんななりをするものか」

「刑事だからあんななりをするんじゃないか」

「頑固だな」

「君こそ頑固だ」

「まあ第一、刑事が人の所へ来てあんなふところ手なんかして、突っ立っているものかね」

「刑事だってふところ手をしないとは限るまい」

「そう猛烈にやってきては恐れ入るがね。君がおじぎをする間あいつは始終あのままで立っていたのだぜ」

「刑事だからそのくらいのことはあるかもしれんさ」

「どうも自信家だな。いくら言っても聞かないね」

「聞かないさ。君は口先ばかりで泥棒だ泥棒だと言ってるだけで、その泥棒がはいるところを見届けたわけじゃないんだから。ただそう思ってひとりで強情を張ってるんだ」

迷亭もここにおいてとうてい済さい度どすべからざる男と断念したものとみえて、例に似ず黙ってしまった。主人は久しぶりで迷亭をへこましたと思って大得意である。迷亭から見ると主人の価値は強情を張っただけ下落したつもりであるが、主人から言うと強情を張っただけ迷亭よりえらくなったのである。世の中にはこんな頓とん珍ちん漢かんなことはままある。強情さえ張り通せば勝った気でいるうちに、当人の人物としての相場ははるかに下落してしまう。不思議なことに頑固の本人は死ぬまで自分は面目を施したつもりかなにかで、その時以後人が軽けい蔑べつして相手にしてくれないのだとは夢にも悟りえない。幸福なものである。こんな幸福を豚的幸福と名づけるのだそうだ。

「ともかくもあした行くつもりかい」

「行くとも、九時までに来いというから、八時から出て行く」

「学校はどうする」

「休むさ。学校なんか」とたたきつけるように言ったのはさかんなものだった。

「えらい勢いだね。休んでもいいのかい」

「いいともぼくの学校は月給だから、さし引かれる気づかいはない、大丈夫だ」とまっすぐに白状してしまった。ずるいこともずるいが、単純なことも単純なものだ。

「君、行くのはいいが道を知ってるかい」

「知るものか。車に乗って行けばわけはないだろう」とぷんぷんしている。

「静岡の伯父に譲らざる東とう京きよう通つうなるには恐れ入る」

「いくらでも恐れ入るがいい」

「ハハハ日本堤分署というのはね、君ただの所じゃないよ。吉よし原わらだよ」

「なんだ?」

「吉原だよ」

「あの遊郭のある吉原か?」

「そうさ、吉原といやあ、東京に一つしかないやね。どうだ、行ってみる気かい」と迷亭君またからかいかける。

主人は吉原と聞いて、そいつはと少々逡しゆん巡じゆんのていであったが、たちまち思い返して「吉原だろうが、遊郭だろうが、いったん行くと言った以上はきっとゆく」といらざるところに力りきんでみせた。愚人は得てこんなところに意地を張るものだ。

迷亭君は「まあおもしろかろう、見て来たまえ」と言ったのみである。一ひと波は欄らんを生じた刑事事件はこれでひとまず落着を告げた。迷亭はそれから相変わらず駄だ弁べんを弄ろうして日暮れ方、あまりおそくなると伯父におこられると言って帰って行った。

迷亭が帰ってから、そこそこに晩飯をすまして、また書斎へ引き揚げた主人は再び拱きよう手しゆして下しものように考え始めた。

「自分が感服して、大いに見習おうとした八木独仙君も迷亭の話によってみると、べつだん見習うにも及ばない人間のようである。のみならず彼の唱しよう道どうするところの説はなんだか非常識で、迷亭の言うとおり多少瘋癲的系統に属してもおりそうだ。いわんや彼はれっきとした二人の気違いの子分を有している。はなはだ危険である。めったに近よると同系統内に引きずりこまれそうである。自分が文章の上において驚嘆の余よ、これこそ大見識を有している偉人に相違ないと思い込んだ天道公平こと実名立町老梅は純然たる狂人であって、現に巣鴨の病院に起居している。迷亭の記述が棒大のざれ言ごとにもせよ、彼が瘋癲院中に盛名をほしいままにして天道の主宰をもってみずから任ずるのはおそらく事実であろう。こういう自分もことによると少々ござっているかもしれない。同気相求め、同類相集まるというから、気違いの説に感服する以上は──少なくともその文章言辞に同情を表する以上は──自分もまた気違いに縁の近い者であるだろう。よし同型中に鋳ちゆう化かせられんでも軒を比ならべて狂人と隣り合わせに居きよを卜ぼくするとすれば、境の壁を一ひと重え打ち抜いていつのまにか同室内にひざを突き合わせて談笑することがないとも限らん。こいつはたいへんだ。なるほど考えてみるとこのほどじゅうから自分の脳の作用は我ながら驚くくらい奇き上じように妙を点じ変へん傍ぼうに珍ちんを添えている。脳のう漿しよう一いつ勺せきの化学的変化はとにかく意志の動いて行為となるところ、発して言辞と化するあたりには不思議にも中庸を失した点が多い。舌ぜつ上じように竜りゆう泉せんなく、腋えき下かに清せい風ふうを生ぜざるも、歯し根こんに狂きよう臭しゆうあり、筋きん頭とうに瘋ふう味あるをいかんせん。いよいよたいへんだ。ことによるともうすでに立派な患者になっているのではないかしらん。まだ幸いに人を傷つけたり、世間の邪魔になることをしでかさんからやはり町内を追い払われずに、東京市民として存在しているのではなかろうか。こいつは消極の積極のという段じゃない。まず脈みやく搏はくからして検査しなくてはならん。しかし脈には変わりはないようだ。頭は熱いかしらん。これもべつに逆上の気味でもない。しかしどうも心配だ」

「こう自分と気違いばかりを比較して類似の点ばかり勘定していては、どうしても気違いの領分を脱することはできそうにもない。これは方法が悪かった。気違いを標準にして自分をそっちへ引きつけて解釈するからこんな結論が出るのである。もし健康な人を本位にしてそのそばへ自分を置いて考えてみたらあるいは反対の結果が出るかもしれない。それにはまず手近から始めなくてはいかん。第一にきょう来たフロックコートの伯父さんはどうだ。心をどこに置こうぞ……あれも少々怪しいようだ。第二に寒月はどうだ。朝から晩まで弁当持参で珠たまばかりみがいている。これも棒ぼう組ぐみだ。第三はと……迷亭? あれはふざけ回るのを天職のように心得ている。全く陽性の気違いに相違ない。第四にと……金かね田だの細君。あの毒悪な根性は全く常識をはずれている。純然たる気じるしにきまってる。第五は金田君の番だ。金田君にはお目にかかったことはないが、まずあの細君をうやうやしくおっ立てて、琴きん瑟しつ調和しているところをみると非凡の人間と見立ててさしつかえあるまい。非凡は気違いの異いみ名ようであるから、まずこれも同類にしておいてかまわない。それからと、──まだあるある。落雲館の諸君子だ、年齢からいうとまた芽ばえだが、躁そう狂きようの点においては一いつ世せいをむなしゅうするに足るあっぱれな豪の者である。こう数え立ててみるとたいていのものは同類のようである。案外心丈夫になってきた。ことによると社会はみんな気違いの寄り合いかもしれない。気違いが集合して鎬しのぎを削ってつかみ合い、いがみ合い、ののしり合い、奪い合って、その全体が団体として細胞のようにくずれたり、持ちあがったり、持ちあがったり、くずれたりして暮らしてゆくのを社会というのではないかしらん。その中で多少理窟がわかって、分別のあるやつはかえって邪魔になるから、瘋癲院というものを作って、ここへ押し込めて出られないようにするのではないかしらん。すると瘋癲院に幽閉されている者は普通の人で、院外にあばれている者はかえって気違いである。気違いも孤立しているあいだはどこまでも気違いにされてしまうが、団体となって勢力が出ると、健全の人間になってしまうのかもしれない。大きな気違いが金力や威力を濫らん用ようして多くの小気違いを使役して乱暴を働いて、人から立派な男だと言われている例は少なくない。何がなんだかわからなくなった」

以上は主人が当夜煢けい々けいたる孤燈のもとで沈思熟慮した時の心的作用をありのままに描き出したものである。彼の頭脳の不透明なることはここにも著しくあらわれている。彼はカイゼルに似た八字髯ひげをたくわらるにもかかわらず狂人と常人の差別さえなしえぬくらいのぼんくらである。のみならず彼はせっかくこの間題を提供して自己の思索力に訴えながら、ついになんらの結論に達せずしてやめてしまった。何事によらず彼は徹底的に考える脳力のない男である。彼の結論の茫ぼう漠ばくとして、彼の鼻び孔こうから迸へい出しゆつする朝日の煙のごとく、捕ほ捉そくしがたきは、彼の議論における唯一の特色として記憶すべき事実である。

吾輩は猫である。猫のくせにどうして主人の心中をかく精密に記述しうるかと疑う者があるかもしれんが、このくらいなことは猫にとってなんでもない。吾輩はこれで読心術を心得ている。いつ心得たなんて、そんなよけいなことは聞かんでもいい。ともかくも心得ている。人間のひざの上に乗って眠っているうちに、吾輩は吾輩の柔らかな毛け衣ごろもをそっと人間の腹にこすりつける。すると一道の電気が起こって彼の腹の中のいきさつが手にとるように吾輩の心しん眼がんに映ずる。せんだってなどは主人がやさしく吾輩の頭をなで回しながら、突然この猫の皮をはいでちゃんちゃんにしたらさぞあたたかでよかろうととんでもない了見をむらむらと起こしたのを即座に気け取どって覚えずひやっとしたことさえある。こわいことだ。当夜主人の頭の中に起こった以上の思想もそんなわけあいで幸いにも諸君に御報道することができるように相成ったのは吾輩の大いに栄誉とするところである。ただし主人は「何がなんだかわからなくなった」まで考えてそのあとはぐうぐう寝てしまったのである。あすになれば何をどこまで考えたかまるで忘れてしまうに違いない。向こう後ごもし主人が気違いについて考えることがあるとすれば、もう一ぺん出直して頭から考え始めなければならぬ。そうするとはたしてこんな径路を取って、こんなふうに「何がなんだかわからなくなる」かどうだか保証できない。しかしなんべん考え直しても、何条の径路をとって進もうとも、ついに「何がなんだかわからなくなる」だけはたしかである。