七
吾わが輩はいは近ごろ運動を始めた。猫ねこのくせに運動なんてきいたふうだと一概に冷れい罵ばし去る手合いにちょっと申し聞けるが、そういう人間だってつい近年までは運動の何ものたるを解せずに、食って寝るのを天職のように心得ていたではないか。無事これ貴き人にんとかとなえて、ふところ手をして座ざ布ぶ団とんから腐れかかった尻しりを離さざるをもって旦だん那なの名誉とやに下がって暮らしたのは覚えているはずだ。運動をしろの、牛乳を飲めの冷水を浴びろの、海の中へ飛び込めの、夏になったら山の中へこもって当分霞かすみを食らえのとくだらぬ注文を連発するようになったのは、西洋から神国へ伝染した輓ばん近きんの病気で、やはりペスト、肺病、神経衰弱の一族と心得ていいくらいだ。もっとも吾輩は去年生まれたばかりで、当年とって一歳だから人間がこんな病気にかかりだした当時のありさまは記憶に存しておらん、のみならずそのみぎりは浮うき世よの風かぜ中なかにふわついておらなかったに相違ないが、猫の一年は人間の十年にかけ合うといってもよろしい。我らの寿命は人間より二倍も三倍も短いにかかわらず、その短日月のあいだに猫一匹の発達は十分つかまつるところをもって推論すると、人間の年月と猫の星せい霜そうを同じ割合に打算するのははなはだしき誤ご謬びゆうである。第一、一歳何か月に足らぬ吾輩がこのくらいの見識を有しているのでもわかるだろう。主人の第三女などは数え年で三つだそうだが、知識の発達からいうと、いやはや鈍いものだ。泣くことと、寝小便をすることと、おっぱいを飲むことよりほかになんにも知らない。世を憂うれい時を憤る吾輩などに比べると、からたわいのないものだ。それだから吾輩が運動、海水浴、転地療養の歴史を方寸のうちに畳み込んでいたってごうも驚くに足りない。これしきのことをもし驚く者があったなら、それは人間という足の二本足りないのろまにきまっている。人間は昔からのろまである。であるから近ごろに至ってようよう運動の効能を吹ふい聴ちようしたり、海水浴の利益を喋ちよう々ちようして大発明のように考えるのである。吾輩などは生まれない前からそのくらいなことはちゃんと心得ている。第一海水がなぜ薬になるかといえばちょっと海岸へ行けばすぐわかることじゃないか。あんな広い所に魚さかなが何匹おるかわからないが、あの魚が一匹も病気をして医者にかかったためしがない。みんな健全に泳いでいる。病気をすれば、からだがきかなくなる。死ねば必ず浮く。それだから魚の往おう生じようをあがるといって、鳥の薨こう去きよを、落ちると唱え、人間の寂じやく滅めつをごねると号している。洋行をしてインド洋を横断した人に君、魚の死ぬところを見たことがありますかと聞いてみるがいい、だれでもいいえと答えるにきまっている。それはそう答えるわけだ。いくら往復したって一匹も波の上に今息を引き取った──息ではいかん、魚のことだから潮を引き取ったといわなければならん──潮を引き取って浮いているのを見た者はないからだ。あの渺びよう々びようたる、あの漫々たる、大たい海かいを日となく夜よとなく続けざまに石炭をたいて捜して歩いても古往今来一匹も魚が上がっておらんところをもって推論すれば、魚はよほど丈夫なものに違いないという断案はすぐに下すことができる。それならなぜ魚がそんなに丈夫なのかといえばこれまた人間を待ってしかるのちに知らざるなりで、わけはない。すぐわかる。全く潮水をのんで始終海水浴をやっているからだ。海水浴の効能はしかく魚にとって顕著である。魚にとって顕著である以上は人間にとっても顕著でなくてはならん。一七五〇年にドクトル・リチャード・ラッセルがブライトンの海水に飛び込めば四百四病即席全快と大げさな広告を出したのはおそいおそいと笑ってもよろしい。猫といえども相当の時機が到着すれば、みんな鎌かま倉くらあたりへ出かけるつもりでいる。ただし今はいけない。物には時機がある。御ご維いつ新しん前まえの日本人が海水浴の効能を味わうことができずに死んだごとく、今日の猫はいまだ裸体で海の中へ飛び込むべき機会に遭そう遇ぐうしておらん。せいては事を仕損ずる、今日のように築つき地じ*へうっちゃられに行った猫が無事に帰宅せんあいだはむやみに飛び込むわけにはゆかん。進化の法則で我ら猫ねこ輩はいの機能が狂きよう瀾らん怒ど濤とうに対して適当の抵抗力を生ずるに至るまでは──換言すれば猫が死んだと言うかわりに猫が上がったという語が一般に使用せらるるまでは──容易に海水浴はできん。
海水浴は追って実行することにして、運動だけはとりあえずやることにとりきめた。どうも二十世紀の今日運動せんのはいかにも貧民のようで人聞きが悪い。運動をせんと、運動せんのではない、運動ができんのである、運動をする時間がないのである、余裕がないのだと鑑定される。昔は運動した者が折おり助すけと笑われたごとく、今では運動をせぬ者が下等と見なされている。吾ご人じんの評価は時と場合に応じ吾輩の目玉のごとく変化する。吾輩の目玉はただ小さくなったり大きくなったりするばかりだが、人間の品ひん隲しつとくるとまっさかさまにひっくり返る。ひっくり返ってもさしつかえはない。物には両面がある、両端がある。両端をたたいて黒こく白びやくの変化を同どう一いつ物ぶつの上に起こすところが人間の融ゆう通ずうのきくところである。方寸をさかさまにしてみると寸方となるところに愛あい嬌きようがある。天あまの橋はし立だてを股またぐらからのぞいて見るとまた格別な趣が出る。セクスピヤも千古万古セクスピヤではつまらない。たまには股ぐらからハムレットを見て、君こりゃだめだよぐらいに言う者がないと、文界も進歩しないだろう。だから運動を悪く言った連れん中じゆうが急に運動がしたくなって、女までがラケットを持って往来を歩き回ったっていっこう不思議はない。ただ猫が運動するのをきいたふうだなどと笑いさえしなければよい。さて吾輩の運動はいかなる種類の運動かと不審をいだく者があるかもしれんから一応説明しようと思う。御承知のごとく不幸にして機械を持つことができん。だからボールもバットも取り扱い方に困窮する。次には金がないから買うわけにゆかない。この二つの原因からして吾輩の選んだ運動は一いち文もん入らず器械なしと名づくべき種類に属するものと思う。そんなら、のそのそ歩くか、あるいは鮪まぐろの切り身をくわえて駆け出すことと考えるかもしれんが、ただ四本の足を力学的に運動させて、地球の引力にしたがって、大地を横行するのは、あまり簡単で興味がない。いくら運動と名がついても、主人の時々実行するような、読んで字のごとき運動はどうも運動の神聖をけがすものだろうと思う。もちろんただの運動でもある刺激のもとにはやらんとは限らん。鰹かつ節ぶし競きよう争そう、鮭しやけ捜さがしなどは結構だがこれは肝かん心じんの対象物があっての上のことで、この刺激を取り去ると索然として没ぼつ趣しゆ味みなものになってしまう。懸賞的興奮剤がないとすれば何か芸のある運動がしてみたい。吾輩はいろいろ考えた。台所の廂ひさしから家根の飛び上がる法、家根のてっぺんにある梅ばい花か形がたの瓦かわらの上に四本足で立つ術、物干し竿さおを渡ること、──これはとうてい成功しない、竹がつるつるすべって爪つめが立たない。後ろから不意に子供にとびつくこと、──これはすこぶる興味のある運動の一つだがめったにやるとひどい目に会うから、たかだか月に三度ぐらいしか試みない。紙かん袋ぶくろを頭へかぶせらるること──これは苦しいばかりではなはだ興味の乏しい方法である。ことに人間の相手がおらんと成功しないからだめ。次には書物の表紙を爪で引っかくこと、──これは主人に見つかると必ずどやされる危険があるのみならず、割合に手先の器用ばかりで総そう身しんの筋肉が働かない。これらは吾輩のいわゆる旧式運動なるものである。新式のうちにはなかなか趣味の深いのがある。第一に蟷とう螂ろう狩り。──蟷螂狩りは鼠ねずみ狩りほどの大運動でないかわりにそれほどの危険がない。夏のなかばから秋の初めへかけてやる遊戯としては最も上じよう乗じようのものだ。その方法をいうとまず庭へ出て、一匹のかまきりをさがし出す。時候がいいと一匹や二匹見つけ出すのは造ぞう作さもない。さて見つけ出したかまきり君のそばへはっと風を切って駆けて行く。するとすわこそという身構えをして鎌かま首くびをふり上げる。かまきりでもなかなかけなげなもので、相手の力量を知らんうちは抵抗するつもりでいるからおもしろい。振り上げた鎌首を右の前足でちょっと参る。振り上げた首はやわらかいからぐにゃり横へ曲がる。この時のかまきり君の表情がすこぶる興味を添える。おやという思い入れが十分ある。ところを一いつ足そく飛びに君の後ろへ回って今度は背面から君の羽根を軽かろく引っかく。あの羽根は平へい生ぜいだいじに畳んであるが、引っかき方がはげしいと、ぱっと乱れて中から吉よし野の紙がみのような薄色の下着があらわれる。君は夏でも御苦労千万に二枚重ねでおつにきまっている。この時君の長い首は必ず後ろに向き直る。ある時は向かってくるが、大概の場合には首だけぬっと立てて立っている。こっちから手出しをするのを待ち構えてみえる。先方がいつまでもこの態度でいては運動にならんから、あまり長くなるとまたちょいと一本参る。これだけ参ると眼がん識しきのあるかまきりなら必ず逃げ出す。それをがむしゃらに向かって来るのはよほど無教育な野蛮的かまきりである。もし相手がこの野蛮なふるまいをやると、向かって来たところをねらいすまして、いやというほど張りつけてやる。大概は二、三尺飛ばされるものである。しかし敵がおとなしく背面に前進すると、こっちは気の毒だから庭の立ち木を二、三度飛鳥のごとく回ってくる。かまきり君はまだ五、六寸しか逃げ延びておらん。もう吾輩の力量を知ったから手向かいをする勇気はない。ただ右往左往へ逃げ惑うのみである。しかし吾輩も右往左往へ追っかけるから、君はしまいには苦しがって羽根をふるって一大活躍を試みることがある。元来かまきりの羽根は彼の首と調和して、すこぶる細長くできあがったものだが、聞いてみると全く装飾用だそうで、人間の英語、仏ふつ語ご、ドイツ語のごとくごうも実用にはならん。だから無用の長ちよう物ぶつを利用して一大活躍を試みたところが吾輩に対してあまり効能のありようわけがない。名前は活躍だが事実は地面の上を引きずって歩くというにすぎん。こうなると少々気の毒な感はあるが運動のためだからしかたがない、御免こうむってたちまち前面へ駆け抜ける。君は惰性で急回転ができないからやはりやむをえず前進してくる、その鼻をなぐりつける。この時かまきり君は必ず羽根を広げたまま倒れる。その上をうんと前足でおさえて少しく休息する。それからまた放す。放しておいてまたおさえる。七しち擒きん七しち縦しよう孔こう明めい*の軍略で攻めつける。約三十分この順序を繰り返して、身動きもできなくなったところを見すましてちょっと口へくわえて振ってみる。それからまた吐き出す。今度は地面の上へ寝たぎり動かないから、こっちの手で突っついて、その勢いで飛び上がるところをまたおさえつける。これもいやになってから、最後の手段としてむしゃむしゃ食ってしまう。ついでだからかまきりを食ったことのない人に話しておくが、かまきりはあまりうまい物ではない。そうして滋養分も存外少ないようである。蟷螂狩りに次いで蝉せみ取りという運動をやる。単に蝉といったところが同じ物ばかりではない。人間にも油あぶら野や郎ろう、みんみん野郎、おしいつくつく野郎があるごとく、蝉にも油蝉、みんみん、おしいつくつくがある。油蝉はしつこくていかん。みんみんは横おう風ふうで困る。ただ取っておもしろいのはおしいつくつくである。これは夏の末にならないと出て来ない。八やつ口くちのほころびから秋風が断わりなしに膚をなでてはっくしょ風か邪ぜをひいたというころさかんに尾をふり立てて鳴く。よく鳴くやつで、吾輩からみると鳴くのと猫に取られるよりほかに天職がないと思われるくらいだ。秋の初めはこいつを取る。これを称して蝉取り運動という。ちょっと諸君に話しておくがいやしくも蝉と名のつく以上は、地面の上にころがってはおらん。地面の上に落ちているものには必ず蟻ありがついている。吾輩の取るのはこの蟻の領分に寝ころんでいるやつではない。高い木の枝にとまって、おしいつくつくと鳴いている連中を捕えるのである。これもついでだから博学なる人間に聞きたいがあれはおしいつくつくと鳴くのか、つくつくおしいと鳴くのか、その解釈次第によっては蝉の研究上少なからざる関係があると思う。人間の猫にまさるところはこんなところに存するので、人間のみずから誇る点もまたかような点にあるのだから、今即答ができないならよく考えておいたらよかろう。もっとも蝉取り運動上はどっちにしてもさしつかえはない。ただ声をしるべに木を上って行って、先方が夢中になって鳴いているところをうんと捕えるばかりだ。これは最も簡略な運動にみえてなかなか骨の折れる運動である。吾輩は四本の足を有しているから大地を行くことにおいてはあえて他の動物には劣るとは思わない。少なくとも二本と四本の数学的知識から判断してみて人間には負けないつもりである。しかし木登りに至ってはだいぶ吾輩より巧者なやつがいる。本職の猿さるは別べつ物ものとして、猿の末ばつ孫そんたる人間にもなかなか侮あなどるべからざる手合いがいる。元来が引力に逆らっての無理な事業だからできなくてもべつだんの恥辱とは思わんけれども、蝉取り運動上には少なからざる不便を与える。幸いに爪という利器があるので、どうかこうか登りはするものの、はたで見るほど楽ではござらん。のみならず蝉は飛ぶものである。かまきり君と違ってひとたび飛んでしまったが最後、せっかくの木登りも、木登らずとなんのえらむところなしという悲運に際会することがないとも限らん。最後に時々蝉から小便をかけられる危険がある。あの小便がややともすると目をねらってしょぐってくるようだ。逃げるのはしかたがないから、どうか小便ばかりはたれんようにいたしたい。飛ぶまぎわに溺いば*りをつかまつるのはいったいどういう心理的状態の生理的機械に及ぼす影響だろう。やはりせつなさのあまりかしらん。あるいは敵の不意にいでて、ちょっと逃げ出す余裕を作るための方便かしらん。そうすると烏い賊かの墨を吐き、ベランメーの刺ほり物ものを見せ、主人がラテン語を弄ろうするたぐいと同じ綱こう目もくに入るべき事項となる。これも蝉せみ学がく上じようゆるかせにすべからざる問題である。十分研究すればこれだけでたしかに博士はかせ論文の価値はある。それは余事だから、そのくらいにしてまた本題に帰る。蝉の最も集注するのは──集注がおかしければ集合だが、集合は陳ちん腐ぷだからやはり集注にする。──蝉の最も集注するのは青あお桐ぎりである。漢名を梧ご桐とうと号するそうだ。ところがその青桐は葉が非常に多い、しかもその葉はみな団扇うちわぐらいな大きさであるから、彼らが生おい重なると枝がまるで見えないくらい茂っている。これがはなはだ蝉取り運動の妨害になる。声はすれども姿は見えず*という俗謡はとくに吾輩のために作ったものではなかろうかと怪しまれるくらいである。吾輩はしかたがないからただ声を知るべに行く。下から一間けんばかりのところで梧桐は注文どおり二またになっているから、ここで一休みして葉裏から蝉の所在地を探たん偵ていする。もっともここまで来るうちに、がさがさと音を立てて、飛び出す気早な連中がいる。一羽*飛ぶともういけない。まねをする点において蝉は人間に劣らぬくらいばかである。あとから続々飛び出す。ようよう二またに到着する時分には満樹寂せきとして片へん声せいをとどめざることがある。かつてここまで登って来て、どこをどう見回しても、耳をどう振っても蝉せみ気けがないので、出直すのもめんどうだからしばらく休息しようと、叉またの上に陣取って第二の機会を待ち合わせていたら、いつのまにか眠くなって、つい黒こく甜てん郷きよう裡り*に遊んだ。おやと思って目がさめたら、二またの黒甜郷裡から庭の敷石の上へどたりと落ちていた。しかし大概は登るたびに一つは取って来る。ただ興味の薄いことには木の上で口にくわえてしまわなくてはならん。だから下へ持って来て吐き出す時はおおかた死んでいる。いくらじゃらしても引っかいても確然たる手ごたえがない。蝉取りの妙味はじっと忍んで行っておしい君が一生懸命にしっぽを延ばしたり縮ましたりしているところを、わっと前足でおさえる時にある。この時つくつく君は悲鳴を揚げて、薄い透明な羽根を縦横無尽にふるう。その早いこと、みごとなることは言ごん語ご道断、じつに蝉世界の一偉観である。余よはつくつく君をおさえるたびにいつでも、つくつく君に請求してこの美術的演芸を見せてもらう。それがいやになると御免をこうむって口の内に頬ほお張ばってしまう。蝉によると口の内にはいってまで演芸をつづけているのがある。蝉取りの次にやる運動は松すべりである。これは長く書く必要もないから、ちょっと述べておく。松すべりというと松をすべるように思うかもしれんが、そうではないやはり木登りの一種である。ただ蝉取りは蝉を取るために登り、松すべりは、登ることを目的として登る。これが両者の差である。元来松は常とき磐わにて*最さい明みよう寺じのごちそうをしてから以来*今日に至るまで、いやにごつごつしている。したがって松の幹ほどすべらないものはない。手がかりのいいものはない。足がかりのいいものはない。──換言すれば爪がかりのいいものはない。その爪がかりのいい幹へ一いつ気き呵か成せいに駆け上がる。駆け上がっておいて駆け下がる。駆け下がるには二法ある。一はさかさになって頭を地面へ向けて降りてくる。一は上のぼったままの姿勢をくずさずに尾を下にして降りる。人間に問うがどっちがむずかしいか知ってるか。人間の浅はかな了見では、どうせ降りるのだから下向きに駆け降りるほうが楽だと思うだろう。それは間違ってる。君らは義よし経つねが鵯ひよどり越ごえを落としたことだけを心得て、義経でさえ下を向いて降りるのだから猫なんぞはむろん下向きでたくさんだと思うのだろう。そう軽けい蔑べつするものではない。猫の爪はどっちへ向いてはえていると思う。みんな後ろへ折れている。それだから鳶とび口ぐちのように物をかけて引き寄せることはできるが、逆に押し出す力はない。今吾輩が松の木を勢いよく駆け登ったとする。すると吾輩は元来地上の者であるから、自然の傾向からいえば吾輩が長く松しよう樹じゆの巓いただきにとどまるを許さんに相違ない。ただ置けば必ず落ちる。しかし手放しで落ちては、あまり早すぎる。だからなんらかの手段をもってこの自然の傾向をいくぶんかゆるめなければならん。これすなわち降りるのである。落ちるのと降りるのはたいへんな違いのようだが、その実思ったほどのことではない。落ちるのをおそくすると降りるので、降りるのを早くすると落ちることになる。落ちると降りるのは、ちとりの差である。吾輩は松の木の上か落ちるのはいやだから、落ちるのをゆるめて降りなければならない。すわなちあるものをもって落ちる速度に抵抗しなければならん。吾輩の爪は前ぜん申すとおり皆後ろ向きであるから、もし頭を上にして爪を立てればこの爪の力はことごとく、落ちる勢いに逆らって利用できるわけである。したがって落ちるが変じて降りるになる。じつに見やすき道理である。しかるにまた身を逆さかにして義経流に松の木越えをやってみたまえ。爪はあっても役には立たん。ずるずるすべって、どこに自分の体重を持ちこたえることはできなくなる。ここにおいてかせっかく降りようと企てた者が変化して落ちることになる。このとおり鵯越えはむずかしい。猫のうちでこの芸ができる者はおそらく吾輩のみであろう。それだから吾輩はこの運動を称して松すべりというのである。最後に垣かきめぐりについて一言げんする。主人の庭は竹垣をもって四角にしきられている。縁側と平行している一片ぺんは八、九間けんもあろう。左右は双方とも四間けんにすぎん。今吾輩の言った垣めぐりという運動はこの垣の上を落ちないように一周するのである。これはやりそこなうこともままあるが、首しゆ尾びよくゆくとお慰みになる。ことにところどころに根を焼いた丸太が立っているから、ちょっと休息に便宜がある。きょうはできがよかったので朝から晩までに三べんやってみたが、やるたびにうまくなる。うまくなるたびにおもしろくなる。とうとう四へん繰り返したが、四へん目に半分ほどまわりかけたら、隣りの屋根から烏からすが三羽飛んで来て、一間ばかり向こうに列を正してとまった。これは推すい参さんなやつだ、人の運動の妨げをする、ことにどこの烏だか籍もない分ぶん際ざいで、人の塀へいへとまるという法があるもんかと思ったから、通るんだおい除のきたまえと声をかけた。まっ先の烏はこっちを見てにやにや笑っている。次のは主人の庭をながめている。三羽目はくちばしを垣根の竹でふいている。何か食って来たに違いない。吾輩は返答を待つために、彼らに三分間の猶ゆう予よを与えて、垣の上に立っていた。からすは通称を勘かん左ざ衛え門もんというそうだが、なるほど勘左衛門だ。吾輩がいくら待っても挨あい拶さつもしなければ、飛びもしない。吾輩はしかたがないから、そろそろ歩きだした。するとまっ先の勘左衛門がちょいと羽を広げた。やっと吾輩の威光に恐れて逃げるなと思ったら、右向きから左向きに姿勢をかえただけである。このやろう! 地面の上ならそのぶんに捨ておくのではないが、いかんせん、たださえ骨の折れる道中に、勘左衛門などを相手にしている余裕がない。といってまた立ち止まって三羽が立ちのくのを待つのもいやだ。第一そう待っていては足がつづかない。先方は羽根のある身分であるから、こんな所へはとまりつけている。したがって気に入ればいつまでも逗とう留りゆうするだろう。こっちはこれで四へん目だたださえだいぶ疲れている。いわんや綱渡りにも劣らざる芸当兼運動をやるのだ。なんらの障害物がなくてさえ落ちんとは保証ができんのに、こんな黒くろ装しよう束ぞくが、三個も前途をさえぎっては容易ならざる不都合だ。いよいよとなればみずから運動を中止して垣根を降りるよりしかたがない。めんどうだから、いっそさよう仕つかまつろうか、敵はおおぜいのことではあるし、ことにはあまりこのへんには見慣れぬ人にん体ていである。口ばしがおつにとんがってなんだか天てん狗ぐの申し子のようだ。どうせ質たちのいいやつでないにはきまっている。退却が安全だろう、あまり深入りをして万一落ちでもしたらなおさら恥ち辱じよくだ。と思っていると左向けをした烏があほうと言った。次のもまねをしてあほうと言った。最後のやつは御丁寧にもあほうあほうと二ふた声こえ叫んだ。いかに温厚なる吾輩でもこれは看過できない。第一自己の邸内で烏輩に侮ぶ辱じよくされたとあっては、吾輩の名前にかかわる。名前はまだないからかかわりようがなかろうというなら体面にかかわる。けっして退却はできない。諺ことわざにも烏う合ごうの衆というから三羽だって存外弱いかもしれない。進めるだけ進めと度胸をすえて、のそのそ歩きだす。烏は知らん顔をして何かお互いに話をしている様子だ。いよいよかんしゃくにさわる。垣根の幅がもう五、六寸もあったらひどい目に合わせてやるんだが、残念なことにはいくらおこっても、のそのそとしか歩かれない。ようやくのこと先せん鋒ぽうを去ること約五、六寸の距離まで来てもう一息だと思うと、勘左衛門は申し合わせたように、いきなり羽ばたきをして一、二尺飛び上がった。その風が突然余の顔を吹いた時、はっと思ったら、つい踏みはずして、すとんと落ちた。これはしくじったと垣根の下から見上げると、三羽とも元の所にとまって上からくちばしをそろえて吾輩の顔を見おろしている。図太いやつだ。にらめつけてやったがいっこうきかない。背を丸くして、少々うなったがますますだめだ。俗人に霊妙なる象徴詩がわからぬごとく、吾輩が彼らに向かって示す怒りの記号もなんらの反応を呈出しない。考えてみると無理のないところだ。吾輩は今まで彼らを猫として取り扱っていた。それが悪い。猫ならこのくらいやればたしかにこたえるのだがあいにく相手は烏だ。烏の勘公とあってみればいたしかたがない。実業家が主人苦く沙しや弥み先生を圧倒しようとあせるごとく、西さい行ぎように銀製の吾輩を進呈するが*ごとく、西さい郷ごう隆たか盛もり君の銅像に勘公が糞ふんをひるようなものである。機を見るに敏なる吾輩はとうていだめとみてとったから、きれいさっぱりと縁側へ引き上げた。もう晩飯の時刻だ。運動もいいが度を過ごすといかぬもので、からだ全体がなんとなくしまりがない、ぐたぐたの感がある。のみならずまだ秋の取り付きで運動中に照りつけられた毛ごろもは、西日を思う存分吸収したとみえて、ほてってたまらない。毛穴からしみ出す汗が、流れればと思うのに毛の根に膏あぶらのようにねばりつく。背中がむずむずする。汗でむずむずするのと蚤のみがはってむずむずするのは判然と区別ができる。口の届く所ならかむこともできる、足の達する領分は引っかくことも心得にあるが、脊せき髄ずいの縦に通うまん中と来たら自じ力りきの及ぶ限りでない。こういう時には人間を見かけてやたらにこすりつけるか、松の木の皮で十分摩ま擦さつ術じゆつを行なうか、二者その一を選ばんと不愉快で安眠もできかねる。人間は愚なものであるから、猫なで声で──猫なで声は人間の吾輩に対して出す声だ。吾輩を目安にして考えれば猫なで声ではない、なでられ声である──よろしい、とにかく人間は愚なものであるからなでられ声でひざのそばへ寄って行くと、たいていの場合において彼もしくは彼女を愛するものと誤解して、わがなすままに任せるのみかおりおりは頭さえなでてくれるものだ。しかるに近来吾輩の毛もう中ちゆうに蚤のみと号する一種の寄生虫が繁殖したのでめったに寄り添うと、必ず首筋を持って向こうへほうり出される。わずかに目に入るか入らぬか、取るにも足らぬ虫のために愛あい想そをつかしたとみえる。手を翻ひるがえせば雨、手を覆くつがえせば雲*とはこのことだ。たかが蚤の千匹や二千匹でよくまあこんなに現金なまねができたものだ。人間世界を通じて行なわれる愛の法則の第一条にはこうあるそうだ。──自己の利益にあるあいだは、すべからく人を愛すべし。──人間の取り扱いが俄が然ぜん豹ひよう変へんしたので、いくらかゆくても人じん力りよくを利用することはできん。だから第二の方法によって松しよう皮ひ摩擦法をやるよりほかに分別はない。しからばちょっとこすって参ろうかとまた縁側から降りかけたが、いやこれも利害相償わぬ愚策だと心づいた。というのはほかでもない。松には脂やにがある。この脂たるすこぶる執しゆう着じやく心しんの強いもので、もしひとたび、毛の先へくっつけようものなら、雷が鳴ってもバルチック艦隊が全滅してもけっして離れない。しかのみならず五本の毛へこびりつくが早いか、十本に蔓まん延えんする。十本やられたなと気がつくと、もう三十本引っかかっている。吾輩は淡泊を愛する茶人的猫である。こんな、しつこい、毒悪な、ねちねちした、執念深いやつは大きらいだ。たとい天下の美び猫みようといえども御免こうむる。いわんや松まつ脂やににおいてをやだ。車屋の黒の両眼から北きた風かぜに乗じて流れる目め糞くそとえらぶところなき身分をもって、この淡灰色の毛け衣ごろもをだいなしにするとはけしからん。少しは考えてみるがいい。といったところできやつなかなか考える気づかいはない。あの皮のあたりへ行って背中をつけるが早いか必ずべたりとおいでになるにきまっている。こんな無分別なとんちきを相手にしては吾輩の顔にかかるのみならず、ひいて吾輩の毛並みに関するわけだ。いくら、むずむずしたって我慢するよりほかにいたしかたはあるまい。しかしこの二方法とも実行できんとなるとはなはだ心細い。今においてひとくふうしておかんとしまいにはむずむず、ねちねちの結果病気にかかるかもしれない。何か分別はあるまいかなと、あと足を折って思案したが、ふと思い出したことがある。うちの主人は時々手ぬぐいとシャボンを持って飄ひよう然ぜんといずれかへ出て行くことがある、三、四十分して帰ったところを見ると彼の朦もう朧ろうたる顔色が少しは活気を帯びて、晴れやかに見える。主人のようなむさ苦しい男にこのくらいな影響を与えるなら吾輩にはもう少しきき目があるに相違ない。吾輩はただでさえこのくらいな器量だから、これより色男になる必要はないようなものの、万一病気にかかって一歳何か月で夭よう折せつするようなことがあっては天下の蒼そう生せいに対して申しわけがない。聞いてみるとこれも人間のひまつぶしに案出した銭せん湯とうなるものだそうだ。どうせ人間の作ったものだからろくなものでないにはきまっているがこの際のことだからためしにはいってみるのもよかろう。やってみて効験がなければよすまでのことだ。しかし人間が自己のために設備した浴場へ異類の猫を入れるだけの洪こう量りようがあるだろうか。これが疑問である。主人がすましてはいるくらいの所だから、よもや吾輩を断わることもなかろうけれども万一お気の毒様を食うようなことがあっては外聞が悪い。これはひとまず様子を見に行くに越したことはない。見た上でこれならよいとあたりがついたら、手ぬぐいをくわえて飛び込んでみよう。とここまで思案を定めた上でのそのそと銭湯へ出かけた。
横丁を左へ折れると向こうに高いとよ竹*のようなものが屹きつ立りつして先から薄い煙を吐いている。これすなわち銭湯である。吾輩はそっと裏口から忍び込んだ。裏口から忍び込むのを卑ひ怯きようとか未練とかいうが、あれは表からでなくては訪問することができぬ者が嫉しつ妬と半分にはやし立てる繰り言ごとである。昔から利口な人は裏口から不意を襲うことにきまっている。紳しん士し養成法の第二巻第一章の五ページにそう出ているそうだ。その次のページには裏口は紳士の遺書にして自身徳を得うるの門なりとあるくらいだ。吾輩は二十世紀の猫だからこのくらいの教育はある。あんまり軽蔑してはいけない。さて忍び込んでみると、左の方に松を割って八寸ぐらいにしたのが山のように積んであって、その隣りには石炭が丘のように盛ってある。なぜ松まつ薪まきが山のようで、石炭が丘のようかと聞く人があるかもしれないが、べつに意味も何もない、ただちょっと山と丘を使い分けただけである。人間も米を食ったり、鳥を食ったり、肴さかなを食ったり、獣けものを食ったりいろいろの悪あくもの食いをしつくしたあげくついに石炭まで食う*ように堕落したは不ふ憫びんである。行き当たりを見ると一間ほどの入いり口ぐちが明け放しになって、中をのぞくとがんがらがんのがあんと物静かである。その向こう側で何かしきりに人間の声がする。いわゆる銭湯はこの声の発するへんに相違ないと断定したから、松薪と石炭のあいだにできてる谷あいを通り抜けて左へ回って、前進すると右手にガラス窓があって、その外に丸い小こ桶おけが三角形すなわちピラミッドのごとく積みかさねてある。丸いものが三角に積まれるのは不本意千せん万ばんだろうと、ひそかに小桶諸君の意を諒りようとした。小桶の南側は四、五尺のあいだ板が余って、あたかも吾輩を迎うるもののごとくみえる。板の高さは地面を去る約一メートルだから飛び上がるにはおあつらえの上等である。よろしいと言いながらひらりと身をおどらすといわゆる銭湯は鼻の先、目の下、顔の前にぶらついている。天下に何がおもしろいといって、いまだ食わざるものを食い、いまだ見ざるものを見るほどの愉快はない。諸君もうちの主人のごとく一週三度ぐらい、この銭湯界に三十分ないし四十分を暮らすならいいが、もし吾輩のごとく風ふ呂ろというものを見たことがないなら、早く見るがいい。親の死に目に会わなくてもいいから、これだけはぜひ見物するがいい。世界広しといえどもこんな奇観はまたとあるまい。
何が奇観だ? 何が奇観だって吾輩はこれを口にするをはばかるほどの奇観だ。このガラス窓の中にうじゃうじゃ、があがあ騒いでいる人間はことごとく裸体である。台たい湾わんの生せい蕃ばんである。二十世紀のアダムである。そもそも衣い装しようの歴史をひもとけば──長いことだからこれはトイフェルスドレック君*に譲って、ひもとくだけはやめてやるが、──人間は全く服装で持ってるのだ。十八世紀のころ大英国バスの温泉場においてボー・ナッシ*が厳重な規則を制定した時などは浴場内で男女とも肩から足まで着物でかくしたくらいである。今を去ること六十年前ぜんこれも英国のさる都で図案学校を設立したことがある。図案学校のことであるから、裸体画、裸体像の模写、模型を買い込んで、ここ、かしこに陳列したのはよかったが、いざ開校式を挙行する一段になって当局者をはじめ学校の職員が大困却をしたことがある。開校式をやるとすれば、市の淑女を招しよう待だいしなければならん。ところが当時の貴婦人がたの考えによると人間は服装の動物である。皮を着た猿の子分ではないと思っていた。人間として着物をつけないのは象ぞうの鼻なきがごとく、学校の生徒なきがごとく、兵隊の勇気なきがごとく全くその本体を失している。いやしくも本体を失している以上は人間としては通用しない、獣類である。たとい模写模型にせよ獣類の人間と伍ごするのは貴き女じよの品位を害するわけである。でありますから妾しようらは出席お断わり申すと言われた。そこで職員どもは話せない連れん中じゆうだとは思ったが、何しろ女は東西両国を通じて一種の装飾品である。米つきにもなれん志願兵にもなれないが、開校式には欠くべからざる化粧道具である。というところからしかたがない、呉服屋へ行って黒布を三十五反たん八分ぶんの七買って来て例の獣類の人間にことごとく着物を着せた。失礼があってはならんと念に念を入れて顔まで着物を着せた。かようにしてようやくのこと滞りなく式をすましたという話がある。そのくらい衣服は人間にとって大切なものである。近ごろは裸体画裸体画といってしきりに裸体を主張する先生もあるがあれはあやまっている。生まれてから今日に至るまで一日も裸体になったことがない吾輩から見ると、どうしても間違っている。裸体はギリシア、ローマの遺風が文芸復興時代の淫いん靡びのふうに誘われてからはやりだしたもので、ギリシア人や、ローマ人はふだんから裸体を見なれていたのだから、これをもって風教上の利害の関係があるなどとはごうも思い及ばなかったのだろうが北欧は寒い所だ。日本でさえ裸で道中がなるものかというくらいだからドイツやイギリスで裸になっておれば死んでしまう。死んでしまってはつまらないから着物を着る。みんなが着物を着れば人間は服装の動物になる。ひとたび服装の動物となったのちに、突然裸体動物に出会えば人間とは認めない、獣けだものと思う。それだから欧州人ことに北方の欧州人は裸体面、裸体像をもって獣として取り扱っていいのである。猫に劣る獣と認定していいのである。美しい? 美しくてもかまわんから、美しい獣と見なせばいいのである。こういうと西洋婦人の礼服を見たかと言う者もあるかもしれないが、猫のことだから西洋婦人の礼服を拝見したことはない。聞くところによると彼らは胸をあらわし、肩をあらわし、腕をあらわしてこれを礼服と称しているそうだ。けしからんことだ。十四世紀ごろまでは彼らのいで立ちはしかく滑こつ稽けいではなかった、やはり普通の人間の着るものを着ておった。それがなぜこんな下等な軽かる業わざ師し流りゆうに転化してきたかはめんどうだから述べない。知る人ぞ知る、知らぬ者は知らん顔をしておればよろしかろう。歴史はとにかく彼らはかかる異様な風体をして夜間だけは得々たるにもかかわらず内心は少々人間らしいところもあるとみえて、日が出ると、肩をすぼめる、胸をかくす、腕を包む、どこもかしこもことごとく見えなくしてしまうのみならず、足の爪つめ一本でも人に見せるのを非常に恥辱と考えている。これで考えても彼らの礼服なるものは一種の頓とん珍ちん漢かん的てき作さ用ようによって、ばかとばかの相談から成立したものだということがわかる。それがくやしければ日につ中ちゆうでも肩と胸と腕を出していてみるがいい。裸体信者だってそのとおりだ。それほど裸体がいいものなら娘を裸体にして、ついでに自分も裸になって上野公園を散歩でもするがいい、できない? できないのではない、西洋人がやらないから、自分もやらないのだろう。現にこの不合理きわまる礼服を着ていばって帝国ホテルなどへ出かけるではないか。その因縁を尋ねるとなんにもない。ただ西洋人が着るから、着るというまでのことだろう。西洋人は強いから無理でもばかげていてもまねなければやりきれないのだろう。長いものには巻かれろ、強いものには折れろ、重いものには圧おされろと、そうれろづくしでは気がきかんではないか。気がきかんでもしかたがないというなら勘弁するから、あまり日本人をえらい者と思ってはいけない。学問といえどもそのとおりだがこれは服装に関係がないことだから以下略とする。
衣服はかくのごとく人間にもたいじなものである。人間が衣服か、衣服が人間かというくらい重要な条件である。人間の歴史は肉の歴史にあらず、骨の歴史にあらず、血の歴史にあらず、たんに衣服の歴史であると申したいくらいだ。だから衣服を着けない人間を見ると人間らしい感じがしない。まるで化け物に邂かい逅こうしたようだ。化け物でも全体が申し合わせて化け物になれば、いわゆる化け物は消えてなくなるわけだからかまわんが、それでは人間自身が大いに困却することになるばかりだ。その昔自然は人間を平びよう等どうなるものに製造して世の中にほうり出した。だからどんな人間でも生まれるときは必ず赤あか裸はだかである。もし人間の本性が平等に安んずるものならば、よろしくこの赤裸のままで生長してしかるべきだろう。しかるに赤裸の一ひと人りが言うにはこうだれも彼も同じでは勉強するかいがない。骨を折った結果が見えぬ。どうかして、おれはおれだだれが見てもおれだというところが目につくようにしたい。それについては何か人が見てあっとたまげる物をからだにつけてみたい。何かくふうはあるまいかと十年間考えてようやく猿さる股またを発明してすぐさまこれをはいて、どうだ恐れ入ったろうといばってそこいらを歩いた。これが今日の車夫の先祖である。単簡なる猿股を発明するのに十年の長ちよう日じつ月げつを費やしたのはいささか異な感もあるが、それは今日から古代にさかのぼって身を蒙もう昧まいの世界に置いて断定した結論というもので、その当時にこれくらいな大発明はなかったのである。デカルトは「余よは思考す、ゆえに余は存在す」という三つ子ごにでもわかるような真理を考え出すのに十何年かかかったそうだ。すべて考え出す時には骨の折れるものであるから猿股の発明に十年を費やしたって車夫の知恵にはできすぎるといわねばなるまい。さあ猿股ができると世の中で幅のきくのは車夫ばかりである。あまり車夫が猿股をつけて天下の大だい道どうをわが物顔に横行闊かつ歩ぽするのを憎らしいと思って負けん気の化け物が六年間くふうして羽は織おりという無用の長ちよう物ぶつを発明した。すると猿股の勢力はとみに衰えて、羽織全盛の時代となった。八や百お屋や、生き薬ぐすり屋や、呉服屋は皆この大発明家の末ばつ流りゆうである。猿股期羽織期のあとに来るのが袴はかま期きである。これは、なんだ羽織のくせにとかんしゃくを起こした化け物の考案になったもので、昔の武士今の官員などは皆この種属である。かように化け物どもが我も我もと異をてらい新を競って、ついには燕つばめの尾にかたどった奇形まで出現したが、退いてその由来を案ずると、何もむりやりに、でたらめに、偶然に、漫然に持ち上がった事実ではけっしてない。皆勝ちたい勝ちたいの勇猛心の凝こってさまざまの新しん形がたとなったもので、おれは手前じゃないぞとふれて歩く代わりにかぶっているのである。してみるとこの心理からして一大発見ができる。それはほかでもない。自然は真空を忌む*ごとく、人間は平等をきらうということだ。すでに平等をきらってやむをえず衣服を骨こつ肉にくのごとくかようにつけまとう今日において、この本質の一部分たる、これらを打ちやって、元の杢もく阿あ弥みの公平時代に帰るのは狂人の沙さ汰たである。よし狂人の名称を甘んじても帰ることはとうていできない。帰った連中を開明人の目から見れば化け物である。たとい世界何億万の人口をあげて化け物の城に引きずりおろしてこれなら平等だろう、みんなが化け物だから恥ずかしいことはないと安心してもやっぱりだめである。世界が化け物になった翌日からまた化け物の競争が始まる。着物をつけて競争ができなければ化け物なりで競争をやる。赤裸は赤裸でどこまでも差別を立ててくる。この点からみても衣服はとうてい脱ぐことはできないものになっている。
しかるに今吾輩が眼下に見おろした人間の一団体は、この脱ぐべからざる猿股も羽織もないし袴もことごとく棚たなの上に上げて、無遠慮にも本来の狂態を衆目環視のうちに露出して平々然と談笑をほしいままにしている。吾輩がさっき一大奇観と言ったのはこのことである。吾輩は文明の諸君子のためにここにつつしんでその一いつ斑ぱんを紹介するの栄を有する。
なんだかごちゃごちゃしていて何から記述していいかわからない。化け物のやることには規律がないから秩序立った証明をするのに骨が折れる。まず湯ゆ槽ぶねから述べよう。湯槽だかなんだかわからないが、おおかた湯槽というものだろうと思うばかりである。幅が三尺ぐらい、長さは一間半もあるか、それを二つに仕切って一つには白い湯がはいっている。なんでも薬くすり湯ゆとか号するのだそうで、石いし灰ばいを溶かし込んだような色に濁っている。もっともただ濁っているのではない。膏あぶらぎって、重たげに濁っている。よく聞くと腐って見えるのも不思議はない、一週間に一度しか水をかえないのだそうだ。その隣りは普通一般の湯の由だがこれまたもって透明、瑩えい徹てつなどとは誓って申されない。天てん水すい桶おけをかき混ぜたぐらいの価値はその色の上において十分あらわれている。これからが化け物の記述だ。だいぶ骨が折れる。天水桶の方に、突っ立っている若わか造ぞうが二人いる。立ったまま、向かい合って湯をざぶざぶ腹の上へかけている。いい慰みだ。双方とも色の黒い点において間かん然ぜんするところなきまでに発達している。この化け物はだいぶたくましいなと見ていると、やがて一人が手ぬぐいで胸のあたりをなで回しながら「金きんさん、どうも、ここが痛んでいけねえがなんだろう」と聞くと金さんは「そりゃ胃さ、胃ていうやつは命をとるからね。用心しねえとあぶないよ」と熱心に忠告を加える。「だってこの左の方だぜ」と左さ肺はいの方をさす。「そこが胃だあな。左が胃で、右が肺だよ」「そうかな、おらあまた胃はここいらかと思った」と今度は腰のへんをたたいてみせると、金さんは「そりゃ疝せん気きだあね」と言った。ところへ二十五、六の薄い髯ひげをはやした男がどぶんと飛び込んだ。すると、からだについていたシャボンが垢あかとともに浮きあがる。鉄かな気けのある水を透かして見た時のようにきらきらと光る。その隣りに頭のはげたじいさんが五分ぶ刈りを捕えて何か弁じている。双方とも頭だけ浮かしているのみだ。「いやこう年をとってはだめさね。人間もやきが回っちゃ若い者にはかなわないよ。しかし湯だけは今でも熱いのでないと心持ちが悪くてね」「旦だん那ななんか丈夫なものですぜ。そのくらい元気がありや結構だ」「元気もないのさ。ただ病気をしないだけさ。人間は悪いことさえしなけりゃ百二十までは生きるもんだからね」「へえ、そんなに生きるもんですか」「生きるとも百二十までは受け合う。御ご維いつ新しん前まえ牛うし込ごめに曲まがり淵ぶちという旗はた本もとがあって、そこにいた下男は百三十だったよ」「そいつは、よく生きたもんですね」「ああ、あんまり生き過ぎてつい自分の年を忘れてね。百までは覚えていましたがそれから忘れてしまいましたと言ってたよ。それでわしの知っていたのが百三十の時だったが、それで死んだんじゃない。それからどうなったかわからない。ことによるとまだ生きてるかもしれない」と言いながら槽ふねから上がる。髯をはやしている男は雲母きららのようなものを自分の回りにまき散らしながらひとりでにやにや笑っていた。入れかわって飛び込んで来たのは普通一般の化け物と違って背中に模様画をほりつけている。岩いわ見み重じゆう太た郎ろうが大だい刀とうを振りかざして蟒うわばみを退治るところのようだが、惜しいことにまだ竣しゆん工こうの期に達せんので、蟒はどこにも見えない。したがって重太郎先生いささか拍ひよう子し抜けの気味にみえる。飛び込みながら「べらぼうにぬるいや」と言った。するとまた一人続いて乗り込んだのが「こりゃどうも……もう少し熱くなくっちゃあ」と顔をしかめながら熱いのを我慢するけしきともみえたが、重太郎先生と顔を見合わせて「やあ親方」と挨あい拶さつをする。重太郎は「やあ」と言ったが、やがて「民たみさんはどうしたね」と聞く。「どうしたか、じゃんじゃん*が好きだからね」「じゃんじゃんばかりじゃねえ……」「そうかい、あの男も腹のよくねえ男だからね。──どういうもんか人に好かれねえ、──どういうものだか、──どうも人が信用しねえ。職人てえものは、あんなものじゃねえが」「そうよ。民さんなんざあ腰が低いんじゃねえ、頭ずが高たけえんだ。それだからどうも信用されねえんだね」「ほんとうによ。あれでいっぱし腕があるつもりだから、──つまり白分の損だあな」「白しろ銀かね町ちようにも古い人が亡なくなってね、今じゃ桶屋の元もとさんと煉れん瓦が屋やの大将と親方ぐれえなものだあな。こちとらあこうしてここで生まれたもんだが、民さんなんざあ、どこから来たんだかわかりゃしねえ」「そうよ。しかしよくあれだけになったよ」「うん。どういうもんか人に好かれねえ。人がつきあわねえからね」と徹頭徹尾民さんを攻撃する。
天水桶はこのくらいにして、白い湯の方を見るとこれはまた非常な大入りで、湯の中に人がはいってるといわんより人の中に湯がはいってるというほうが適当である。しかも彼らはすこぶる悠ゆう々ゆう閑かん々かんたるもので、きっきからはいる者はあるが出る者は一人もない。こうはいった上に、一週間もとめておいたら湯もよごれるはずだと感心してなおよく槽おけの中を見渡すと、左のすみにおしつけられて苦く沙しや弥み先生がまっかになってすくんでいる。かあいそうにだれか道をあけて出してやればいいのにと思うのにだれも動きそうにもしなければ、主人も出ようとするけしきも見せない。ただじっとして赤くなっているばかりである。これは御苦労なことだ。なるべく二銭五厘の湯ゆ銭せんを活用しようという精神からして、かように赤くなるのだろうが、早く上がらんと湯ゆ気けにあがるがと主しゆう思いの吾輩は窓の棚から少なからず心配した。すると主人の一軒置いて隣りに浮いてる男が八の字を寄せながら「これはちときき過ぎるようだ、どうも背中の方から熱いやつがじりじりわいてくる」と暗あんに列席の化け物に同情を求めた。「なあにこれがちょうどいいかげんです。薬湯はこのくらいでないとききません。わたしの国なぞではこの倍も熱い湯へはいります」と自慢らしく説き立てる者がある。「いったいこの湯はなんにきくんでしょう」と手ぬぐいを畳んでデコボコ頭をかくした男が一同に聞いてみる。「いろいろなものにききますよ。なんでもいいてえんだからね。豪ごう気ぎだあね」と言ったのはやせたきゅうりのような色と形とを兼ね得たる顔の所有者である。そんなによくきく湯なら、もう少しは丈夫そうになれそうなものだ。「薬を入れたてより、三日目か四日目がちょうどいいようです。きょうなどははいりごろですよ」と物知り顔に述べたのを見ると、ふくれ返った男である。これはたぶん垢あか肥ぶとりだろう。「飲んでもききましょうか」とどこからか知らないが黄色い声を出す者がある。「冷えたあとなどは一杯飲んで寝ると、奇き体たいに小便に起きないから、まあやってごらんなさい」と答えたのは、どの顔から出た声かわからない。
湯ゆ槽ぶねのほうはこれぐらいにして板いた間まを見渡すと、いるわいるわ絵にもならないアダムがずらりと並んでおのおのかって次第な姿勢で、かって次第な所を洗っている。その中に最も驚くべきのは仰向けに寝て、高い明かり取りをながめているのと、腹ばいになって、溝みぞの中をのぞき込んでいる両アダムである。これはよほどひまなアダムとみえる。坊ぼう主ずが石壁を向いてしゃがんでいると後ろから、小坊主がしきりに肩をたたいている。これは師弟の関係上三助の代理を務めるのであろう。ほんとうの三助もいる。風か邪ぜをひいたとみえて、このあついのにちゃんちゃんを着て、小こ判ばん形なりの桶からざあと旦那の肩へ湯をあびせる。右の足を見ると親指の股またに呉ゴ絽ロの垢すりをはさんでいる。こちらの方では小桶を欲張って三つかかえ込んだ男が、隣りの人にシャボンを使え使えと言いながらしきりに長なが談だん議ぎをしている。なんだろうと聞いてみるとこんなことを言っていた。「鉄砲は外国から渡ったもんだね。昔は切り合いばかりさ。外国は卑ひ怯きようだからね、それであんなものができたんだ。どうもシナじゃねえようだ、やっぱり外国のようだ。和わ唐とう内ない*の時にゃなかったね。和唐内はやっぱり清せい和わ源げん氏じさ。なんでも義よし経つねが蝦え夷ぞから満まん州しゆうへ渡った時に、蝦夷の男でたいへん学のできる人がくっついて行ったてえ話だね。それでその義経のむすこが大たい明みんを攻めたんだが大明じゃ困るから、三代将軍へ使いをよこして三千人の兵隊を貸してくれろと言うと、三代様がそいつをとめておいて帰さねえ。──なんとか言ったっけ。──なんでもなんとかいう使いだ。──それでその使いを二年とめておいてしまいに長崎で女じよ郎ろうを見せたんだがね。その女郎にできた子が和唐内さ。それから国へ帰ってみると大明は国賊に亡ほろぼされていた。……」何を言うのかさっぱりわからない。その後ろに二十五、六の陰気な顔をした男が、ぼんやりして股の所を白い湯てしきりにたでている。腫はれ物か何かで苦しんでいるとみえる。その横に年のころは十七、八で君とかぼくとか生意気なことをべらべらしゃべってるのはこの近所の書生だろう。そのまた次に妙な背中が見える。尻の中から寒かん竹ちくを押し込んだように背骨の節がありありと出ている。そうしてその左右に十六むさしに似たる形が四個ずつ行儀よく並んでいる。その十六むさしが赤くただれて周囲まわりに膿うみをもっているのもある。こう順々に書いてくると、書くことが多すぎてとうてい吾輩の手ぎわにはその一斑さえ形容することができん。これは厄やつ介かいなことをやり始めたものだと少々辟へき易えきしていると人り口の方に浅あさ黄ぎもめんの着物を着た七十ばかりの坊主がぬっとあらわれた。坊主はうやうやしくこれらの裸体の化け物に一礼して「へい、どなた様も、毎日相変わらずありがとう存じます。今日は少々お寒うございますから、どうぞごゆっくり──どうぞ白い湯へ出たりはいったりして、ゆるりとおあったまりください。──番頭さんや、どうか湯かげんをよく見てあげてな」とよどみなく述べ立てた。番頭さんは「おーい」と答えた。和唐内は「愛あい嬌きよう者ものだね。あれでなくては商売はできないよ」と大いにじいさんを激賞した。吾輩は突然この異いなじいさんに会ってちょっと驚いたからこっちの記述はそのままにして、しばらくじいさんを専門に観察することにした。じいさんはやがて今上がりたての四つばかりの男の子を見て「坊ぼっちゃん、こちらへおいで」と手を出す。子供は大だい福ふくを踏みつけたようなじいさんを見てたいへんだと思ったか、わーっと悲鳴をあげて泣き出す。じいさんは少しく不本意の気味で「いや、お泣きか、なに? じいさんがこわい? いや、これはこれは」と感嘆した。しかたがないものだからたちまち機き鋒ほうを転じて、子供の親に向かった。「や、これは源げんさん。きょうは少し寒いな、ゆうべ、近江おうみ屋やへはいった泥どろ棒ぼうはなんというばかなやつじゃの。あの戸のくぐりの所を四角に切り破っての。そうしてお前の。何も取らずに行いんだげな。お巡まわりりさんか夜よ番ばんでも見えたものであろう」と大いに泥棒の無謀を憫びん笑しようしたがまた一人をつらまえて「はいはいお寒う。あなたがたは、お若いから、あまりお感じにならんかの」と老人だけにただひとり寒がっている。
しばらくはじいさんのほうへ気を取られてほかの化け物のことは全く忘れていたのみならず、苦しそうにすくんでいた主人さえ記憶の中うちから消え去った時突然流しと板の間の中間で大きな声を出す者がある。見ると紛れもなき苦沙弥先生である。主人の声の図抜けて大いなるのと、その濁って聞き苦しいのはきょうに始まったことではないが場所が場所だけに吾輩は少なからず驚いた。これはまさしく熱湯の中に長時間のあいだ我慢をして浸つかっておったため逆上したに相違ないと咄とつ嗟さの際に吾輩は鑑定をつけた。それもたんに病気のせいならとがむることもないが、彼は逆上しながらも十分本心を有しているに相違ないことは、なんのためにこの法外の胴どう間ま声ごえを出したかを話せばすぐわかる。彼は取るに足らぬ生なま意い気き書生を相手におとなげもないけんかを始めたのである。「もっとさがれ、おれの小桶に湯がはいっていかん」とどなるのはむろん主人である。物は見ようでどうでもなるものだから、この怒号をただ逆上の結果とばかり判断する必要はない。万まん人にんのうち一人ぐらいは高たか山やま彦ひこ九く郎ろうが山賊を叱しつしたようだぐらいに解釈してくれるかもしれん。当人自身もそのつもりでやった芝居かもわからんが、相手が山賊をもってみずからおらん以上は予期する結果は出てこないにきまっている。書生は後ろを振り返って「ぼくはもとからここにいたのです」とおとなしく答えた。これは尋常の答えで、ただその地を去らぬことを示しただけが主人の思いどおりにならんので、その態度といい言語といい、山賊としてののしり返すべきほどのことでもないのは、いかに逆上の気味の主人でもわかっているはずだ。しかし主人の怒号は書生の席そのものが不平なのではない、さっきからこの両人は少年に似合わず、いやに高慢ちきな、きいたふうのことばかり並べていたので、始終それを聞かされた主人は、全くこの点に立腹したものとみえる。だから先方でおとなしい挨あい拶さつをしても黙って板の間へ上がりはせん。今度は「なんだばかやろう、人の桶へきたない水をぴちゃぴちゃはねかすやつがあるか」と喝かつし去った。吾輩もこの小僧を少々心憎く思っていたから、この時心中にはちょっと快かい哉さいを呼んだが、学校教員たる主人の言動としては穏やかならぬことと思うた。元来主人はあまり堅すぎていかん。石炭のたきがらみたようにかさかさしてしかもいやに硬かたい。昔ハンニバルがアルプス山さんを越える時に、道のまん中に当たって大きな岩があって、どうしても軍隊が通行上の不便邪魔をする。そこでハンニバルはこの大きな岩へ酢をかけて火をたいて、柔らかにしておいて、それから鋸のこぎりでこの大岩を蒲かま鉾ぼこのように切って滞りなく通行をしたそうだ。主人のごとくこんなきき目のある薬湯へうだるほどはいっても少しも効能のない男はやはり酢をかけて火あぶりにするに限ると思う。しからずんば、こんな書生が何百人出て来て、何十年かかったって主人の頑がん固こはなおりっこない。この湯槽に浮いている者、この流しにごろごろしている者は文明の人間に必要な服装を脱ぎすてる化け物の団体であるから、むろん常規常道をもって律するわけにはいかん。何をしたってかまわない。肺の所に胃が陣取って、和唐内が清和源氏になって、民さんが不信用でもよかろう。しかしひとたび流しを出て板の間に上がれば、もう化け物ではない。普通の人類の生息する娑しや婆ばへ出たのだ、文明に必要なる着物を着るのだ、したがって人間らしい行動をとらなければならんはずである。今主人が踏んでいる所は敷居である。流しと板の間の境にある敷居の上であって、当人はこれから歓かん言げん愉ゆ色しよく、円えん転てん滑かつ脱だつの世界に逆もどりをしようという間まぎわである。その間ぎわですらかくのごとく頑固であるなら、この頑固は本人にとって牢ろうとして抜くべからざる病気に相違ない。病気なら容易に矯きよう正せいすることはできまい。この病気をなおす方法は愚考によるとただ一つある。校長に依頼して免職してもらうことすなわちこれなり。免職になれば融通のきかぬ主人のことだからきっと路頭に迷うにきまってる。路頭に迷う結果はのたれ死にをしなければならない。換言すると免職は主人にとって死の遠因になるのである。主人は好んで病気をして喜んでいるけれど、死ぬのは大きらいである。死なない程度において病気という一種のぜいたくがしていたいのである。それだからそんなに病気をしていると殺すぞとおどかせば臆おく病びようなる主人のことだからびりびりとふるえ上がるに相違ない。このふるえ上がる時に病気はきれいに落ちるだろうと思う。それでも落ちなければそれまでのことさ。
いかにばかでも病気でも主人に変わりはない。一いつ飯ぱん君恩を重んずという詩人もあることだから猫だって主人の身の上を思わないことはあるまい。気の毒だという念が胸いっぱいになったため、ついそちらに気が取られて、流しの方の観察を怠っていると、突然白い湯ゆ槽ぶねの方面に向かって口々にののしる声が聞こえる。ここにもけんかが起こったのかと振り向くと、狭い柘榴ざくろ口ぐちに一寸の余地もないくらいに化け物が取りついて、毛のある脛すねと、毛のない股またと入り乱れて動いている。おりから初はつ秋あきの日は暮るるになんなんとして流しの上は天井まで一面の湯げが立てこめる。かの化け物のひしめくさまがその問から朦もう朧ろうと見える。熱い熱いと言う声が吾輩の耳を貫ぬいて左右へ抜けるように頭の中で乱れ合う。その声には黄なのも、青いのも、赤いのも、黒いのもあるが互いにかさなりかかって一種名状すべからざる音響を浴場内にみなぎらす。ただ混雑と迷乱とを形容するに適した声というのみで、ほかにはなんの役にも立たない声である。吾輩は茫ぼう然ぜんとしてこの光景に魅み入いられたばかり立ちすくんでいた。やがてわーわーという声が混乱の極度に達して、これよりはもう一歩も進めぬという点まで張り詰められた時、突然むちゃくちゃに押し寄せ押し返している群れの中から一大長漢がぬっと立ち上がった。彼の身の丈たけを見るとほかの先生がたよりはたしかに三寸ぐらいは高い。のみならず顔から髯ひげがはえているのか髯の中に顔が同居しているのかわからない赤つらをそり返して、日盛りに割れ鐘をつくような声を出して「うめろうめろ、熱い熱い」と叫ぶ。この声とこの顔ばかりは、かの紛々ともつれ合う群衆の上に高く傑出して、その瞬間には浴場全体がこの男一人になったと思わるるほどである。超人だ。ニーチェのいわゆる超人だ。魔中の大王だ。化け物の頭とう梁りようだ。と思って見ていると湯槽の後ろでおーいと答えた者がある。おやとまたもそちらに眸をそらすと、暗あん澹たんとして物ぶつ色しよくもできぬ中に、例のちゃんちゃん姿の三助が砕けよと一ひと塊かたまりの石炭を竃かまどの中に投げ入れるのが見えた。竈のふたをくぐって、この塊りがぱちぱちと鳴る時に、三助の半面がぱっと明るくなる。同時に三助の後ろにある煉れん瓦がの壁が闇やみを通して燃えるごとく光った。吾輩は少々物すごくなったから早々窓から飛びおりて家に帰る。帰りながらも考えた。羽織を脱ぎ、猿股を脱ぎ、袴を脱いで平等になろうとつとめる赤裸々の中には、また赤裸々の豪傑が出て来て他の群小を圧倒してしまう。平等はいくらはだかになったって得られるものではない。
帰ってみると天下は太平なもので、主人は湯上がりの顔をテラテラ光らして晩ばん餐さんを食っている。吾輩が縁側から上がるのを見て、のんきな猫だなあ、今ごろどこを歩いているんだろうと言った。膳ぜんの上を見ると、銭ぜにのないくせに二、三品ぴんおかずをならべている。そのうちに肴さかなの焼いたのが一ぴきある。これはなんと称する魚か知らんが、なんでもきのうあたり御お台だい場ば近辺でやられたに相違ない。肴は丈夫なものだと説明しておいたが、いくら丈夫でもこう焼かれたり煮られたりしてはたまらん。多病にして残ざん喘ぜんを保つほうがよほど結構だ。こう考えて膳のそばにすわって、すきがあったら何か頂戴しようと、見るごとく見ざるごとく装よそおっていた。こんな装い方を知らない者はとうていうまい肴は食えないとあきらめなければいけない。主人は肴をちょっと突っついたが、うまくないという顔つきをして箸はしを置いた。正面に控えたる細君はこれまた無言のまま箸を上下に運動する様子、主人の両りよう顎がくの離り合ごう開かい闔こうの具合を熱心に研究している。
「おい、その猫の頭をちょっとぶってみろ」と主人は突然細君に請求した。
「ぶてば、どうするんですか」
「どうしてもいいからちょっとぶってみろ」
こうですかと細君は平手で吾輩の頭をちょっとたたく。痛くもなんともない。
「鳴かんじゃないか」
「ええ」
「もう一ぺんやってみろ」
「なんべんやったって同じことじゃありませんか」と細君また平手でぽかと参る。やはりなんともないから、じっとしていた。しかしそのなんのためたるやは知慮深き吾輩にはとんと了解しがたい。これが了解できれば、どうかこうか方法もあろうがただぶってみろだから、ぶつ細君も困るし、ぶたれる吾輩も困る。主人は三度まで思いどおりにならんので、少々じれぎみで「おい、ちょっと鳴くようにぶってみろ」と言った。
細君はめんどうな顔つきで「鳴かしてなんになさるんですか」と問いながら、またぴしゃりとおいでになった。こう先方の目的がわかればわけはない、鳴いてさえやれば主人を満足させることはできるのだ。主人はかくのごとく愚ぐ物ぶつだからいやになる。鳴かせるためなら、ためと早く言えば二へんも三べんもよけいな手数はしなくても済むし、吾輩も一度で放免になることを二度も三度も繰り返される必要はないのだ。ただぶってみろという命令は、ぶつことそれ自身を目的とする場合のほかに用うべきものではない。ぶつのは向こうのこと、鳴くのはこっちのことだ。鳴くことを初めから予期してかかって、ただぶつという命令のうちに、こっちの随意たるべき鳴くことさえ含まってるように考えるのは失敬千万だ。他人の人格を重んぜんというものだ。猫をばかにしている。主人の蛇だ蝎かつのごとくきらう金田君ならやりそうなことだが、赤裸々をもって誇る主人としてはすこぶる卑劣である。しかしじつのところ主人はこれほどけちな男ではないのである。だから主人のこの命令は狡こう猾かつの極に出いでたのではない。つまり知恵の足りないところからわいた孑ぼう孑ふらのようなものと思し惟いする。飯を食えば腹が張るにきまっている。切れば血が出るにきまっている。殺せば死ぬにきまっている。それだからぶてば鳴くにきまっていると速断をやったんだろう。しかしそれはお気の毒だが少し論理に合わない。その格でゆくと川へ落ちれば必ず死ぬことになる。天ぷらを食えは必ず下げ痢りすることになる。月給をもらえば必ず出勤することになる。書物を読めば必ずえらくなることになる。必ずそうなっては少し困る人ができてくる。ぶてば必ず鳴かなければならんとなると吾輩は迷惑である。目め白じろの時の鐘*と同一に見なされては猫と生まれたかいがない。まず腹の中でこれだけ主人をへこましておいて、しかるのちにゃーと注文どおり鳴いてやった。
すると主人は細君に向かって「今鳴いた、にゃあという声は間投詞か、副詞かなんだか知ってるか」と聞いた。
細君はあまり突然な問いなので、なんにも言わない。じつをいうと吾輩もこれは銭湯の逆上がまださめないためだろうと思ったくらいだ。元来この主人は近所合がつ壁ぺき有名な変人で現にある人はたしかに神経病だとまで断言したくらいである。ところが主人の自信はえらいもので、おれが神経病じゃない、世の中のやつが神経病だとがんばっている。近辺の者が主人を犬々と呼ぶと、主人は公平を維持するため必要だとか号して彼らを豚々と呼ぶ。じっさい主人はどこまでも公平を維持するつもりらしい。困ったものだ。こういう男だからこんな奇問を細君に向かって呈出するのも、主人にとっては朝めし前の小事件かもしれないが、聞くほうから言わせるとちょっと神経病に近い人の言いそうなことだ。だから細君は煙けむに巻かれた気味でなんとも言わない。吾輩はむろん何とも答えようがない。すると主人はたちまち大きな声で
「おい」と呼びかけた。
細君はびっくりして「はい」と答えた。
「そのはいは間投詞か副詞か、どっちだ」
「どっちですか、そんなばかげたことはどうでもいいじゃありませんか」
「いいものか、これが現に国語家の頭脳を支配している大間題だ」
「あらまあ猫の鳴き声がですか、いやなことねえ。だって、猫の鳴き声は日本語じゃあないじゃありませんか」
「それだからさ。それがむずかしい問題なんだよ。比較研究というんだ」
「そう」と細君は利口だから、こんなばかな問題には関係しない。「それで、どっちだかわかったんですか」
「重要な問題だからそう急にはわからんさ」と例の肴さかなをむしゃむしゃ食う。ついでにその隣りにある豚と芋のにころばしを食う。「これは豚だな」「ええ豚でござんす」「ふん」と大だい軽けい蔑べつの調子をもって飲み込んだ。「酒をもう一杯飲もう」と杯を出す。
「今夜はなかなかあがるのね。もうだいぶ赤くなっていらっしゃいますよ」
「飲むとも。──お前世界でいちばん長い字を知ってるか」
「ええ、前さきの関かん白ぱく太だ政じよう大だい臣じん*でしょう」
「それは名前だ。長い字を知ってるか」
「字って横文字ですか」
「うん」
「知らないわ、──お酒はもういいでしょう、これで御飯になさいな、ねえ」
「いや、まだ飲む。いちばん長い字を教えてやろうか」
「ええ。そうしたら御飯ですよ」
「 Archaiomelesidonophrunicherata* という字だ」
「でたらめでしょう」
「でたらめなものか、ギリシア語だ」
「なんという字なの、日本語にすれば」
「意味は知らん。ただ綴つづりだけ知ってるんだ。長く書くと六寸三分ぐらいにかける」
他人なら酒の上で言うべきことを、正気で言っているところがすこぶる奇観である。もっとも今夜に限って酒をむやみに飲む。平生なら猪口ちよこに二杯ときめているのを、もう四杯飲んだ。二杯でもずいぶん赤くなるところを倍飲んだのだから顔が焼け火ひ箸ばしのようにほてって、さも苦しそうだ。それでもまだやめない。「もう一杯」と出す。細君はあまりのことに、
「もうおよしになったら、いいでしょう。苦しいばかりですわ」とにがにがしい顔をする。
「なに苦しくってもこれから少しけいこするんだ。大おお町まち桂けい月げつが飲めと言った」
「桂月ってなんです」さすがの桂月も細君にあっては一いち文もんの価値もない。
「柱月は現今一流の批評家だ。それが飲めと言うのだからいいにきまっているさ」
「ばかをおっしゃい。桂月だって、梅ばい月げつだって、苦しい思いをして酒を飲めなんて、よけいなことですわ」
「酒ばかりじゃない。交際をして、道楽をして、旅行をしろといった」
「なお悪いじゃありませんか。そんな人が第一流の批評家なの。まああきれた。妻子のある者に道楽をすすめるなんて……」
「道楽もいいさ。桂月がすすめなくっても金さえあればやるかもしれない」
「なくってしあわせだわ。今から道楽なんぞ始められらちゃたいへんですよ」
「たいへんだと言うならよしてやるから、そのかわりもう少し夫をだいじにして、そうして晩に、もっとごちそうを食わせろ」
「これが精いっぱいのところですよ」
「そうかしらん。それじゃ道楽は追って金がはいり次第やることにして、今夜はこれでやめよう」と飯茶わんを出す。なんでも茶づけを三ぜん食ったようだ。吾輩はその夜豚肉三切れと塩焼きの頭を頂戴した。