一〇
「あなた、もう七時ですよ」と襖ふすま越ごしに細さい君くんが声をかけた。主人は目がさめているのだか、寝ているのだか、向こうむきになったぎり返事もしない。返事をしないのはこの男の癖である。ぜひなんとか口を切らなければならない時はうんと言う。このうんも容易なことでは出てこない。人間も返事がうるさくなるくらい無ぶ精しようになると、どことなく趣があるが、こんな人に限って女に好かれたためしがない。現在連れ添う細君ですら、あまり珍ちん重ちようしておらんようだから、その他は推して知るべしと言ってもたいした間違いはなかろう。親兄弟に見離され、あかの他人の傾けい城せいに、かあいがられようはずがない*、とある以上は、細君にさえ持てない主人が、世間一般の淑しゆく女じよに気に入るはずがない。何も異性間に不人望な主人をこの際ことさらに暴ばく露ろする必要もないのだが、本人においては存外な考え違いをして、全く年回りのせいで細君に好かれないのだなどと理り窟くつをつけていると、迷いの種であるから、自覚の一助にもなろうかとの親切心からちょっと申し添えるまでである。
言いつけられた時刻に、時刻がきたと注意しても、先方がその注意を無にする以上は、向こうをむいてうんさえ発せざる以上は、その曲きよくは夫にあって、妻にあらずと論定したる細君は、おそくなっても知りませんよという姿勢で箒ほうきとはたきをかついで書斎の方へ行ってしまった。やがてぱたぱた書斎じゅうをたたき散らす音がするのは例によって例のごとき掃そう除じを始めたのである。いったい掃除の目的は運動のためか、遊戯のためか、掃除の役目を帯びぬ吾わが輩はいの関知するところでないから、知らん顔をしていればさしつかえないようなものの、ここの細君の掃除法のごときに至ってはすこぶる無意義のものと言わざるをえない。何が無意義であるというと、この細君はたんに掃除のために掃除をしているからである。はたきを一通り障子へかけて、箒を一応畳の上へすべらせる。それで掃除は完成したものと解釈している。掃除の原因および結果に至っては微み塵じんの責任だに背負っておらん。かるがゆえにきれいな所は毎日きれいだが、ごみのある所、ほこりの積もっている所はいつでもごみがたまってほこりが積もっている。告こく朔さくの〓き羊よう*という故事もあることだから、これでもやらんよりはましかもしれない。しかしやってもべつだん主人のためにはならない。ならないところを毎日毎日御苦労にもやるところが細君のえらいところである。細君と掃除とは多年の習慣で、器械的の連想をかたちづくって頑がんとして結びつけられているにもかかわらず、掃除の実に至っては、細君がいまだ生まれざる以前のごとく、はたきと箒が発明せられざる昔のごとく、ごうもあがっておらん。思うにこの両者の関係は形式論理学の命題における名辞のごとくその内容のいかんにかかわらず結合せられたものであろう。
吾輩は主人と違って、元来が早起きのほうだから、この時すでに空腹になって参った。とうていうちの者さえ膳ぜんに向かわぬさきから、猫の身分をもって朝めしにありつけるわけのものではないが、そこが猫の浅ましさで、もしや煙の立った汁しるの香においが鮑あわび貝がいの中から、うまそうに立ち上がっておりはすまいかと思うと、じっとしていられなくなった。はかないことを、はかないと知りながら頼みにする時は、ただその頼みだけを頭の中に描いて、動かずに落ち付いているほうが得策であるが、さてそうはゆかぬもので、心の願いと実際が、合うか合わぬかぜひとも試験してみたくなる。試験してみれば必ず失望するにきまってることですら、最後の失望をみずから事実の上に受け取るまでは承知できんものである。吾輩はたまらなくなって台所へはい出した。まずへっついの影にある鮑貝の中をのぞいてみると案にたがわず、夕べなめつくしたまま、闃げき然ぜんとして、怪しき光が引き窓をもる初はつ秋あきの日影にかがやいている。おさんはすでに炊たきたての飯を、お櫃はちに移して、今や七輪にかけた鍋なべの中をかきまぜつつある。釜かまの周囲には沸き上がって流れだした米の汁が、かさかさに幾すじとなくこびり付いて、あるものは吉よし野の紙がみをはりつけたごとくに見える。もう飯も汁もできているのだから食わせてもよさそうなものだと思った。こんな時に遠慮するのはつまらない話だ、よしんば自分の望みどおりにならなくったって元々で損はゆかないのだから、思い切って朝あさ飯めしの催促をしてやろう、いくら居い候そうろうの身分だってひもじいに変わりはない。と考え定めた吾輩はにゃあにゃあと甘えるごとく訴うるがごとく、あるいはまた怨えんずるがごとく泣いてみた。おさんはいっこう顧みるけしきがない。生まれついての御お多た角かくだから人情にうといのはとうから承知の上だが、そこをうまく泣き立てて同情を起こさせるのが、こっちの手ぎわである。今度はにゃごにゃごとやってみた。その泣き声は我ながら悲壮の音おんを帯びて天てん涯がいの遊ゆう子しをして断腸の思いあらしむるに足ると信ずる。おさんは恬てんとして顧みない。この女はつんぼなのかもしれない。つんぼでは下女が勤まるわけがないが、ことによると猫の声だけにはつんぼなのだろう。世の中には色盲というのがあって、当人は完全な視力を備えているつもりでも、医者から言わせると片かた輪わだそうだが、このおさんは声せい盲もうなのだろう。声盲だって片輪に違いない。片輪のくせにいやに横おう風ふうなものだ。夜中なぞでも、いくらこっちが用があるからあけてくれろと言ってもけっしてあけてくれたことがない。たまに出してくれたと思うと今度はどうしても入れてくれない。夏だって夜露は毒だ。いわんや霜しもにおいてをやで、軒下に立ち明かして日の出を待つのは、どんなにつらいかとうてい想像できるものではない。このあいだしめ出しを食った時などはのら犬の襲撃をこうむって、すでに危うくみえたところを、ようやくのことで物置きの家根へかけ上がって、終夜ふるえつづけたことさえある。これらは皆おさんの不人情から胚はい胎たいした不都合である。こんなものを相手にして泣いてみせたって、感応のあるはずはないのだが、そこが、ひもじい時の神頼み、貧のぬすみに恋のふみというくらいだから、たいていのことならやる気になる。にゃごおうにゃごおうと三度目には、注意を喚起するためにことさらに複雑なる泣き方をしてみた。自分ではべトヴェンのシンフォニーにも劣らざる美妙の音と確信しているのだがおさんにはなんらの影響も生じないようだ。おさんは突然ひざをついて、揚あげ板を一枚はねのけて、中から堅かた炭ずみの四寸ばかり長いのを一本つかみ出した。それからその長いやつを七輪の角かどでぽんぽんたたいたら、長いのが三つほどに砕けて近所は炭の粉でまっ黒くなった。少々は汁の中へもはいったらしい。おさんはそんなことに頓とん着じやくする女ではない。ただちにくだけたる三個の炭を鍋の尻から七輪の中へ押し込んだ。とうてい吾輩のシンフォニーには耳を傾けそうにもない。しかたがないから悄しよう然ぜんと茶の間の方へ引き返そうとして風ふ呂ろ場ばの横を通り過ぎると、ここは今女の子が三人で顔を洗ってる最中で、なかなか繁はん昌じようしている。
顔を洗うといったところで、上の二人が幼椎園の生徒で、三番日は姉の尻についてさえ行かれないくらい小さいのだから、正式に顔が洗えて器用にお化け粧しようができるはずがない。いちばん小さいのがバケツの中からぬれぞうきんを引きずり出してしきりに顔じゅうなで回している。ぞうきんで顔を洗うのはさだめし心持ちが悪かろうけれども、地震がゆるたびにおもちろいわと言う子だからこのくらいのことはあっても驚くに足らん。ことによると八木独仙君より悟っているかもしれない。さすがに長女は長女だけに、姉をもってみずから任じているから、うがい茶わんをからからかんとほうり出して「坊やちゃん、それはぞうきんよ」とぞうきんをとりにかかる。坊やちゃんもなかなか自信家だから容易に姉の言うことなんか聞きそうにもない。「いやーよ、ばぶ」と言いながらぞうきんを引っぱり返した。このばぶなる語はいかなる意義で、いかなる語源を有しているか、だれも知ってる者がない。ただこの坊やちゃんがかんしゃくを起こした時におりおり御使用になるばかりだ。ぞうきんはこの時姉の手と坊やちゃんの手で左右に引っぱられるから、水を含んだまん中からぽたぽたしずくがたれて、容赦なく坊やの足にかかる、足だけなら我慢するがひざのあたりがしたたかぬれる。坊やはこれでも元げん禄ろくを着ているのである。元禄とはなんのことだとだんだん聞いてみると、中ちゆう形がたの模様ならなんでも元禄だそうだ。いったいだれに教わって来たものかわからない。「坊やちゃん、元禄がぬれるからおよしなさい、ね」と姉がしゃれたことを言う。そのくせこの姉はついこのあいだまで元禄と双すご六ろくとを間違えていた物知りである。
元禄で思い出したからついでにしゃべってしまうが、この子供の言葉ちがいをやることはおびただしいもので、おりおり人をばかにしたような間違いを言ってる。火事で茸きのこが飛んで来たり、お茶の味み噌その女学校へ行ったり、恵え比び寿す、台だい所どこと並べたり、ある時などは「わたしゃ藁わら店だな*の子じゃないわ」と言うから、よくよく聞きただしてみると裏うら店だなと藁店を混同していたりする。主人はこんな間違いを聞くたびに笑っているが、自分が学校へ出て英語を教える時などは、これよりも滑こつ稽けいな誤ごび謬ゆうをまじめになって、生徒に聞かせるのだろう。
坊やは──当人は坊やとは言わない、いつでも坊ばと言う──元禄がぬれたのを見て「元げんどこがべたい」と言って泣きだした。元禄が冷たくてはたいへんだから、おさんが台所から飛び出して来て、ぞうきんを取り上げて着物をふいてやる。この騒動中比較的静かであったのは、次女のすん子嬢である。すん子嬢は向こうむきになって棚たなの上からころがり落ちた、お白粉しろいのびんをあけて、しきりにお化粧を施している。第一に突っ込んだ指をもって鼻の頭をキューとなでたから縦に一本白い筋が通って、鼻のありかがいささか分ぶん明みようになってきた。次に塗りつけた指を転じて頬ほおの上を摩ま擦さつしたから、そこへもってきて、これまた白いかたまりができあがった。これだけ装飾が整ったところへ、下女がはいって来て坊ばの着物をふいたついでに、すん子の顔もふいてしまった。すん子は少々不満のていに見えた。
吾輩はこの光景を横に見て、茶の間から主人の寝室まで来てもう起きたかとひそかに様子をうかがってみると、主人の頭がどこにも見えない。そのかわり十と文もん半はんの甲の高い足が、夜具のすそから一本はみ出している。頭が出ていて起こされる時に迷惑だと思って、かくもぐり込んだのであろう。亀かめの子のような男である。ところへ書斎の掃除をしてしまった細君がまた箒とはたきをかついでやって来る。最前のように襖の入り口から
「まだお起きにならないのですか」と声をかけたまま、しばらく立って、首の出ない夜具を見つめていた。今度も返事がない。細君は入り口から二足ばかり進んで、箒をとんと突きながら「まだなんですか、あなた」と重ねて返事を承る。この時主人はすでに目がさめている。さめているから、細君の襲撃にそなうるため、あらかじめ夜具の中に首もろとも立てこもったのである。首さえ出さなければ、見のがしてくれることもあろうと、つまらないことを頼みにして寝ていたところ、なかなか許しそうもない。しかし第一回の声は敷居の上で、少なくとも一間けんの間隔があったから、まず安心と腹のうちで思っていると、とんと突いた箒がなんでも三尺ぐらいの距離に迫っていたのにはちょっと驚いた。のみならず第一の「まだなんですか、あなた」が距離においても音量においても前よりも倍以上の勢いをもって夜貝の中まで聞こえたから、こいつはだめだと覚悟をして、小さな声でうんと返事をした。
「九時までにいらっしゃるのでしょう。早くなさらないと間に合いませんよ」
「そんなに言わなくても今起きる」と夜着の袖そで口ぐちから答えたのは奇観である。細君はいつでもこの手を食って起きるかと思って安心していると、また寝込まれつけているから、油断はできないと「さあお起きなさい」とせめ立てる。起きるというのに、なお起きろと責めるのは気に食わんもんだ。主人のごときわがまま者にはなお気に食わん。ここにおいてか主人は今まで頭からかぶっていた夜着を一度にはねのけた。見ると大きな目を二つともあいている。
「なんだ騒々しい。起きるといえば起きるのだ」
「起きるとおっしゃってもお起きなさらんじゃありませんか」
「だれがいつ、そんなうそをついた」
「いつでもですわ」
「ばかをいえ」
「どっちがばかだかわかりゃしない」と細君ぷんとして箒を突いて枕まくらもとに立っているところは勇ましかった。この時裏の車屋の子供、八っちゃんが急に大きな声をしてワーと泣きだす。八っちゃんは主人がおこりだしさえすれば必ず泣きだすべく、車屋のかみさんから命ぜられるのである。かみさんは主人がおこるたんびに八っちゃんを泣かして小こ遣づかいになるかもしれんが、八っちゃんこそいい迷惑だ。こんなおふくろを持ったが最後朝から晩まで泣き通しに泣いていなくてはならない。少しはこのへんの事情を察して主人も少々おこるのを差し控えてやったら、八っちゃんの寿命が少しは延びるだろうに、いくら金田君から頼まれたって、こんな愚なことをするのは、天道公平君よりもはげしくおいでになっているほうだと鑑定してもよかろう。おこるたんびに泣かせられるだけなら、また余裕もあるけれども、金田君が近所のゴロツキを雇って今戸焼きをきめ込むたびに八っちゃんは泣かねばならんのである。主人がおこるかおおこらぬか、また判然しないうちから、必ずおこるべきものと予想して、早手回しに八っちゃんは泣いているのである。こうなると主人が八っちゃんだか、八っちゃんが主人だか判然しなくなる。主人にあてつけるに手て数すうはかからない。ちょっと八っちゃんにけんつくを食わせればなんの苦もなく、主人の横よこ面つらを張ったわけになる。昔西洋で犯罪者を処刑する時に、本人が国境外に逃亡して、捕えられん時は、偶像をつくって人間の代わりに火あぶりにしたというが、彼らのうちにも西洋の故事に通つう暁ぎようする軍師があるとみえて、うまい計略を授けたものである。落雲館といい、八っちゃんのおふくろといい、腕のきかぬ主人にとってはさだめし苦にが手てであろう。そのほか苦手はいろいろある。あるいは町内じゅうことごとく苦手かもしれんが、ただ今は関係がないから、だんだんなしくずしに紹介いたすことにする。
八っちゃんの泣き声を聞いた主人は、朝っぱらからよほどかんしゃくが起こったとみえて、たちまちがばと布ふ団とんの上に起き直った。こうなると精神修養も八木独仙も何もあったものじゃない。起き直りながら両方の手でゴシゴシゴシと表ひよう皮ひのむけるほど、頭じゅう引っかき回す。一か月もたまっているフケは遠慮なく、首筋やら、寝巻の襟えりへ飛んでくる。非常な壮観である。髯ひげはどうだとみるとこれはまた驚くべく、ぴん然とおっ立っている。持ち主がおこっているのに髯だけ落ち付いていてはすまないとでも心得たものか、一本一本にかんしゃくを起こして、かって次第の方角へ猛烈なる勢いをもって突進している。これとてもなかなかの見ものである。きのうは鏡の手前もあることだから、おとなしくドイツ皇帝陛下のまねをして整列したのであるが、一晩寝れば訓練も何もあったものではない。ただちに本来の面目に帰って思い思いのいでたちにもどるのである。あたかも主人の一夜作りの精神修養が、あくる日になるとぬぐうがごとくきれいに消え去って、生まれついての野や猪ちよ的てき本領がただちに全面を暴露しきたるのと一般である。こんな乱暴な髯をもっている、こんな乱暴な男が、よくまあ今まで免職にもならずに教師が勤まったものだと思うと、はじめて日本の広いことがわかる。広ければこそ金田君や金田君の犬が人間として通用しているのでもあろう。彼らが人間として通用するあいだは主人も免職になる理由がないと確信しているらしい。いざとなれば巣鴨へはがきを飛ばして天道公平君に聞き合わせてみればすぐわかることだ。
この時主人は、きのう紹介した混こん沌とんたる太古の目を精いっぱいに見張って、向こうの戸と棚だなをきっと見た。これは高さ一間を横に仕切って上下ともおのおの二枚の袋戸をはめたものである。下の方の戸棚は、布団のすそとすれすれの距離にあるから、起き直った主人が目をあきさえすれば、天然自然ここに視線が向くようにできている。見ると模様を置いた紙がところどころ破れて妙な腸はらわたがあからさまに見える。腸にはいろいろなのがある。あるものは活版ずりで、あるものは肉筆である。あるものは裏返しで、あるものはさかさまである。主人はこの腸を見ると同時に、何が書いてあるか読みたくなった。今までは車屋のかみさんでも捕つらまえて、鼻づらを松の木へこすりつけてやろうぐらいにまでおこっていた主人が、突然この反ほ古ご紙がみを読んでみたくなるのは不思議のようであるが、こういう陽性のかんしゃく持ちには珍しくないことだ。子供が泣く時に最も中なかの一つもあてがえばすぐ笑うと一般である。主人が昔さる所のお寺に下宿している時*、襖ふすま一ひと重えを隔てて尼が五、六人いた。尼などというものは元来意地の悪い女のうちで最も意地の悪い者であるが、この尼が主人の性質を見抜いたものとみえて自炊の鍋をたたきながら、今泣いた烏からすがもう笑ったと拍子を取って歌ったそうだ、主人が尼が大きらいになったのはこの時からだというが、尼はきらいにせよ全くそれに違いない。主人は泣いたり、笑ったり、うれしがったり、悲しがったり人一倍もする代わりにいずれも長く続いたことがない。よく言えば執しゆう着じやくがなくて、心機がむやみに転ずるのだろうが、これを俗語に翻訳してやさしく言えば奥ゆきのない、薄っぺらの鼻つぱりだけ強いだだっ子である。すでにだだっ子である以上は、けんかをする勢いで、むっくとはね起きた主人が急に気をかえて袋戸の腸を読みにかかるのももっともと言わねばなるまい。第一に目にとまったのが伊い藤とう博はく文ぶんのさか立ちである。上を見ると明治十一年九月二十八日とある。韓かん国こく統とう監かん*もこの時代からお布ふ令れのしっぽを追っかけて歩いていたと見える。大将この時分は何をしていたんだろうと、読めそうにないところを無理に読むと大おお蔵くら卿きようとある。なるほどえらいものだ。いくらさか立ちしても大蔵卿である。少し左の方を見ると今度は大蔵卿横になって昼寝をしている。もっともだ。さか立ちではそう長く続く気づかいはない。下の方に大きな木もく板ばんで汝はと二字だけ見える、あとが見たいがあいにく露出しておらん。次の行には早くの二字だけ出ている。こいつも読みたいがそれぎりで手がかりがない。もし主人が警視庁の探たん偵ていであったら、人のものでもかまわずに引っぺがすかもしれない。探偵というものには高等な教育を受けた者がないから事実をあげるためにはなんでもする。あれは始末にゆかないものだ。願わくばもう少し遠慮をしてもらいたい。遠慮をしなければ事実はけっしてあげさせないことにしたらよかろう。聞くところによると彼らは羅ら織しき虚きよ構こうをもって良民を罪に陥おとしいれることさえあるそうだ。良民が金を出して雇っておく者が、雇い主を罪にするなどときてはこれまた立派な気違いである。次に目を転じてまん中を見るとまん中には大おお分いた県けんが宙返りをしている。伊藤博文でさえさか立ちをするくらいだから、大分県が宙返りをするのは当然である。主人はここまで読んで来て、双方へ握りこぶしをこしらえて、これを高く天井に向けて突きあげた。あくびの用意である。
このあくびがまた鯨くじらの遠ぼえのようにすこぶる変調をきわめたものであったが、それが一段落を告げると、主人はのそのそと着物をきかえて顔を洗いに風呂場へ出かけて行った。待ちかねた細君はいきなり布団をまくって夜着を畳んで、例のとおり掃除を始める。掃除が例のとおりであるごとく、主人の顔の洗い方も十年一日のごとく例のとおりである。先日紹介をしたごとく依然としてがーがー、げーげーを持続している。やがて頭を分け終わって、西洋手ぬぐいを肩へかけて、茶の間へ出しゆつ御ぎよになると、超然として長なが火ひ鉢ばちの横に座を占めた。長火鉢というと欅けやきの如じよ輪りん木もくか、銅あかの総そう落おとしで、洗い髪の姉あね御ごが立てひざで、長なが煙管ギセルを黒くろ柿がきの縁ふちへたたきつけるさまを想見する諸君もないとも限らないが、わが苦沙弥先生の長火鉢に至ってはけっしてそんな意気なものではない。なんで造ったものか素人しろうとには見けん当とうのつかんくらい古雅なものである。長火鉢はふき込んで、てらてら光るところが身しん上しようなのだが、この代しろ物ものは欅か桜か桐きりか元来不ふ明めい瞭りような上に、ほとんどふきんをかけたことがないのだから陰気で引き立たざることおびただしい。こんなものをどこから買って来たかというと、けっして買った覚えはない。そんならもらったのかと聞くと、だれもくれた人はないそうだ。しからば盗んだのかとただしてみると、なんだかそのへんが曖あい昧まいである。昔親類に隠居がおって、その隠居が死んだ時、当分留る守す番ばんを頼まれたことがある。ところがその後一戸を構えて、隠居所を引き払う際に、そこで自分のもののように使っていた火鉢をなんの気もなく、つい持って来てしまったのだそうだ。少々たちが悪いようだ。考えるとたちが悪いようだがこんなことは世間に往々あることだと思う。銀行家などは毎日人の金をあつかいつけているうちに人の金が、自分の金のように見えてくるそうだ。役人は人民の召使である。用事を弁じさせるために、ある権限を委託した代理人のようなものだ。ところが委任された権力を笠かさに着て毎日事務を処理していると、これは自分が所有している権力で、人民などはこれについてなんらの喙くちばしを容いるる理由がないものだなどと狂ってくる。こんな人が世の中に充満している以上は長火鉢事件をもって主人に泥棒根性があると断定するわけにはゆかぬ。もし主人に泥棒根性があるとすれば、天下の人にはみんな泥棒根性がある。
長火鉢のそばに陣取って、食卓を前に控えたる主人の三面には、さっきぞうきんで顔を洗った坊ばと、お茶の味噌の学校へ行くとん子と、お白粉しろいびんに指を突き込んだすん子が、すでに勢ぞろいをして朝飯を食っている。主人は一応この三女子の顔を公平に見渡した。とん子の顔は南なん蛮ばん鉄てつの刀の鍔つばのような輪郭を有している。すん子も妹だけに多少姉の面おも影かげを存して琉りゆう球きゆう塗ぬりの朱しゆ盆ぼんくらいな資格はある。ただ坊ばに至ってはひとり異彩を放って、面おも長ながにできあがっている。ただし縦に長いのなら世間にその例も少なくないが、この子のは横に長いのである。いかに流行が変化しやすくったって、横に長い顔がはやることはなかろう。主人は自分の子ながらも、つくづく考えることがある。これでも生長しなければならぬ。生長するどころではない、その生長のすみやかなることは禅寺の筍たけのこが若竹に変化する勢いで大きくなる。主人はまた大きくなったなと思うたんびに、後ろから追っ手にせまられるような気がしてひやひやする。いかに空くう漠ばくなる主人もこの三令嬢が女であるくらいは心得ている。女である以上はどうにか片づけなくてはならんくらいも承知している。承知しているだけで片づける手しゆ腕わんのないことも自覚している。そこで自分の子ながらも少しく持て余しているところである。持て余すくらいなら製造しなければいいのだが、そこが人間である。人間の定義をいうとほかになんにもない。ただいらざることを捏でつ造ぞうしてみずから苦しんでいる者だといえば、それで十分だ。
さすがに子供はえらい。これほどおやじが処置に窮しているとは夢にも知らず、楽しそうに御飯を食べる。ところが始末におえないのは坊ばである。坊ばは当年とって三歳であるから、細君が気をきかして、食事の時には、三歳然たる小形の箸はしと茶わんをあてがうのだが、坊ばはけっして承知しない。必ず姉の茶わんを奪い、姉の箸を引ったくって、持ちあつかいにくいやつを無理に持ちあつかっている。世の中を見渡すと無能無才の小人ほど、いやにのさばり出て柄がらにもない官職に登りたがるものだが。あの性質は全くこの坊ば時代から萌ほう芽がしているのである。その因よってきたるところはかくのごとく深いのだから、けっして教育や薫くん陶とうでよせるものではないと早くあきらめてしまうのがいい。
坊ばは隣りから分ぶん捕どった長大なる茶わんと、長大なる箸を専有して、しきりに暴威をほしいままにしている。使いこなせないものをむやみに使おうとするのだから、勢い暴威をたくましくせざるをえない。坊ばはまず箸の根もとを二本いっしょに握ったままうんと茶わんの底へ突き込んだ。茶わんの中は飯が八分どおり盛り込まれて、その上に味み噌そ汁しるが一面にみなぎっている。箸の力が茶わんへ伝わるや否や、今までどうか、こうか、平均を保っていたのが、急に襲撃を受けたので三十度ばかり傾いた。同時に味噌汁は容赦なくだらだらと胸のあたりへこぼれだす。坊ばはそのくらいのことで辟へき易えきするわけがない。坊ばは暴君である。今度は突き込んだ箸を、うんと力いっぱい茶わんの底からはね上げた。同時に小さな口を縁ふちまで持って行って、はね上げられた米粒をはいるだけ口の中へ受納した。打ちもらされた米粒は黄色な汁と相和して鼻のあたまと頬ほっぺたとあごとへ、やっと掛け声をして飛びついた。飛びつき損じて畳の上へこぼれたものは打算の限りでない。ずいぶん無分別な飯の食い方である。吾輩はつつしんで有名なる金田君および天下の勢力家に忠告する。公らの他をあつかうこと、坊ばの茶わんと箸をあつかうがごとくんば、公らの口へ飛び込む米粒はきわめて僅少なものである。必然の勢いももって飛び込むにあらず、とまどいをして飛び込むのである。どうか御再考をわずらわしたい。世せ故こにたけた敏腕家にも似合わしからぬことだ。
姉のとん子は、自分の箸と茶わんを坊ばに略奪されて、不相応に小さなやつを持ってさっきから我慢していたが、もともと小さ過ぎるのだから、いっぱいにもったつもりでも、あんとあけると三口ほどで食ってしまう。したがって頻ひん繁ぱんにお櫃はちの方へ手が出る。もう四よ膳ぜんかえて、今度は五膳目である。とん子はお櫃はちのふたをあけて大きなしゃもじを取り上げて、しばらくながめていた。これを食おうか、よそうかと迷っていたものらしいが、ついに決心したものとみえて、焦げのなさそうな所を見計らってひとしゃくいしゃもじの上へ乗せたまでは無難であったが、それを裏返して、ぐいと茶わんの上をこいたら、茶わんにはいりきらん飯はかたまったまま畳の上へころがり出した。とん子は驚くけしきもなく、こぼれた飯を丁寧に拾い始めた。拾って何にするかと思ったら、みんなお櫃の中へ入れてしまった。少しきたないようだ。
坊ばが一大活躍を試みて箸をはね上げた時は、ちょうどとん子が飯をよそいおわった時である。さすがに姉は姉だけで、坊ばの顔のいかにも乱暴なのを見かねて「あら坊ばちゃん、たいへんよ、顔がごぜん粒だらけよ」と言いながら、さっそく坊ばの顔の掃そう除じにとりかかる。第一に鼻のあたまに寄き寓ぐうしていたのを取り払う。取り払って捨てると思いのほか、すぐ自分の口の中へ入れてしまったのには驚いた。それから頬っぺたにかかる。ここにはだいぶ群ぐんをなして数にしたら、両方を合わせて約二十粒もあったろう。姉はたんねんに一粒ずつ取っては食い、取っては食い、とうとう妹の顔じゅうにあるやつを一つ残らず食ってしまった。この時ただ今まではおとなしくたくあんをかじっていたすん子が、急に盛りたての味噌汁の中からさつま芋のくずれたのもしゃくい出して、勢いよく口の内へほうり込んだ。諸君も御承知であろうが、汁にしたさつま芋の熱したのほど口の中にこたえるものはない。おとなですら注意しないと焼けどをしたような心持ちがする。ましてすん子のごとき、さつま芋に経験の乏しい者はむろん狼ろう狽ばいするわけである。すん子はワッと言いながら口中の芋を食卓の上へ吐き出した。その二、三片がどういう拍子か、坊ばの前まですべって来て、ちょうどいいかげんな距離でとまる。坊ばはもとよりさつま芋が大好きである。大好きなさつま芋が目の前に飛んで来たのだから、さっそく箸をほうり出して、手づかみにしてむしゃむしゃ食ってしまった。
さっきからこのていたらくを目撃していた主人は、一言ごんも言わずに専心自分の飯を食い、自分の汁を飲んでこの時はすでに楊よう枝じを使っている最中であった。主人は娘の教育に関して絶対的放任主義をとるつもりとみえる。今に三人が海え老び茶ちや式しき部ぶ*か鼠ねずみ式しき部ぶになって、三人とも申し合わせたように情夫をこしらえて出しゆつ奔ぽんしても、やはり自分の飯を食って、自分の汁を飲んですまして見ているだろう。働きのないことだ。しかし今の世の働きのあるという人を拝見すると、うそをついて人を釣ることと、先へ回って馬の目玉を抜くことと、虚勢を張って人をおどかすことと、鎌かまをかけて人を陥おとしいれることよりほかに何も知らないようだ。中学などの少年輩までが見よう見まねに、こうしなくては幅がきかないと心得違いをして、本来なら赤面してしかるべきのを得々と履行して未来の紳士だと思っている。これは働き手というのではない。ごろつき手というのである。吾輩も日本の猫だから多少の愛国心はある。こんな働き手を見るたびになぐってやりたくなる。こんな者が一人でもふえれば国家はそれだけ衰えるわけである。こんな生徒のいる学校は、学校の恥辱であって、こんな人民のいる国家は国家の恥辱である。恥辱であるにもかかわらず、ごろごろ世間にごろついているのは心得がたいと思う。日本の人間は猫ほどの気概もないとみえる。情けないことだ。こんなごろつき手に比べると主人などははるかに上等な人間といわなくてはならん。いくじのないところが上等なのである。無能なところが上等なのである。猪口ちよこ才ざいでないところが上等なのである。
かくのごとく働きのない食い方をもって、無事に朝飯をすましたる主人は、やがて洋服を着て、車へ乗って、日本堤分署へ出頭に及んだ。格こう子しをあけた時、車夫に日本堤という所を知ってるかと聞いたら、車夫はへへへと笑った。あの遊廓のある吉よし原わらの近辺の日本堤だぜと念を押したのは少々滑こつ稽けいであった。
主人が珍しく車で玄関から出かけたあとで、細君は例のごとく食事をすませて「さあ学校へおいで。おそくなりますよ」と催促すると、子供は平気なもので「あら、でもきょうはお休みよ」としたくをするけしきがない。「お休みなもんですか、早くなさい」としかるように言って聞かせると「それでもきのう、先生がお休みだっておっしゃってよ」と姉はなかなか動じない。細君もここに至って多少変に思ったものか、戸と棚だなから暦を出して繰り返してみると赤い字でちゃんと御祭日と出ている。主人は祭日とも知らずに学校へ欠勤届を出したのだろう。細君も知らずに郵便箱へほうり込んだのだろう。ただし迷亭に至ってはじっさい知らなかったのか、知って知らん顔をしたのか、そこは少々疑問である。この発明におやと驚いた細君はそれじゃ、みんなおとなしくお遊びなさいといつものとおり針箱を出して仕事に取りかかる。
その後三十分間は家内平穏、べつだん吾輩の材料になるような事件も起こらなかったが、突然妙な人がお客に来た。十七、八の女学生である。踵かかとのまがった靴くつをはいて、紫色の袴はかまを引きずって、髪を算そろ盤ばん珠だまのようにふくらまして勝手口から案内もこわずに上がって来た。これは主人の姪めいである。学校の生徒だそうだが、おりおり日曜にやって来て、よく叔お父じさんとけんかをして帰って行く雪ゆき江えとかいうきれいな名のお嬢さんである。もっとも顔は名前ほどでもない。ちょっと表へ出て一、二町歩けば必ず会える人相である。「叔お母ばさん今日は」と茶の間へつかつかはいって来て、針箱の横へ尻しりをおろした。
「おや、早くから……」
「きょうは大たい祭さい日じつですから、朝のうちにちょっと上がろうと思って、八時ごろから家を出て急いで来たの」
「そう、何か用があるの?」
「いいえ、ただあんまりごぶさたをしたから、ちょっとあがったの」
「ちょっとでなくっていいから、ゆっくり遊んでいらっしゃい。今に叔父さんが帰って来ますから」
「叔父さんは、もう、どこかへいらしったの。珍しいのね」
「ええきょうはね、妙な所へ行ったのよ。……警察へ行ったの、妙でしょう」
「あらなんで?」
「この春はいった泥どろ棒ぼうがつらまったんだって」
「それで引き合いに出されるの? いい迷惑ね」
「なあに品物がもどるのよ。取られたものが出たから取りに来いって、きのう巡査がわざわざ来たもんですから」
「おや、そう、それでなくっちゃ、こんなに早く叔父さんが出かけることはないわね、いつもなら今時分はまだ寝ていらっしゃるんだわ」
「叔父さんほど、寝坊はないんですから……そうして起こすとぷんぷんおこるのよ。けさなんかも七時までにぜひおこせと言うから、起こしたんでしょう。すると夜具の中へもぐって返事もしないんですもの。こっちは心配だから二度目にまた起こすと、夜着の袖そでから何か言うのよ。ほんとうにあきれ返ってしまうの」
「なぜそんなに眠いんでしょう。きっと神経衰弱なんでしょう」
「なんですか」
「ほんとうにむやみにおこるかたね。あれでよく学校が勤まるのね」
「なに学校じゃおとなしいんですって」
「じゃなお悪いわ。まるでこんにゃく閻えん魔ま*ね」
「なぜ?」
「なぜでもこんにゃく閻魔なの。だってこんにゃく閻魔のようじゃありませんか」
「ただおこるばかりじゃないのよ。人が右と言えば左、左と言えば右で、なんでも人の言うとおりにしたことがない、──そりゃ強ごう情じようですよ」
「天邪鬼あまのじやくでしょう。叔父さんはあれが道楽なのよ。だから何かさせようと思ったら、うらを言うと、こっちの思いどおりになるのよ。こないだ蝙蝠傘こうもりを買ってもらう時にも、いらない、いらないって、わざと言ったら、いらないことがあるものかって、すぐ買ってくだすったの」
「ホホうまいのね。わたしもこれからそうしよう」
「そうなさいよ。それでなくっちゃ損だわ」
「こないだ保険会社の人が来て、ぜひおはいんなさいって、勧すすめているんでしょう、──いろいろわけを言って、こういう利益があるの、ああいう利益があるのって、なんでも一時間も話をしたんですが、どうしてもはいらないの。うちだって貯蓄はなし、こうして子供は三人もあるし、せめて保険へでもはいってくれるとよっぽど心丈夫なんですけれども、そんなことは少しもかまわないんですもの」
「そうね。もしものことがあると不安心だわね」と十七、八の娘に似合わしからん世しよ帯たいじみたことを言う。
「その談判を陰で聞いていると、ほんとうにおもしろいのよ。なるほど保険の必要も認めないではない。必要なものだから会社も存立しているのだろう。しかし死なない以上は保険にはいる必要はないじゃないかって強情を張っているんです」
「叔父さんが?」
「ええ、すると会社の男が、それは死ななければむろん保険会社はいりません。しかし人間の命というものは丈夫なようでもろいもので、知らないうちに、いつ危険が迫っているかわかりませんというとね、叔父さんは、大丈夫ぼくは死なないことに決心をしているって、まあ無法なことを言うんですよ」
「決心したって、死ぬわねえ。わたしなんかぜひ及第するつもりだったけれども、とうとう落第してしまったわ」
「保険社員もそう言うのよ。寿命は自分の自由にはなりません。決心で長生きができるものなら、だれも死ぬ者はございませんって」
「保険会社のほうが至当ですわ」
「至当でしょう。それがわからないの。いえけっして死なない。誓って死なないっていばるの」
「妙ね」
「妙ですとも、大おお妙みようですわ。保険の掛け金を出すくらいなら銀行へ貯金するほうがはるかにましだってすまし切っているんですよ」
「貯金があるの?」
「あるもんですか。自分が死んだあとなんか、ちっともかまう考えなんかないんですよ」
「ほんとうに心配ね。なぜあんななんでしょう、ここへいらっしゃるかただって、叔父さんのようなのは一人もいないわね」
「いるものですか。無類ですよ」
「ちっと鈴木さんにでも頼んで意見でもしてもらうといいんですよ。ああいう穏やかな人だとよっぽど楽ですがねえ」
「ところが鈴木さんは、うちじゃ評判が悪いのよ」
「みんな逆さかなのね。それじゃあのかたはいいでしょう──ほらあの落ち付いてる──」
「八木さん?」
「ええ」
「八木さんにはだいぶ閉口しているんですがね。きのう迷亭さんが来て悪わる口くちを言ったものだから、思ったほどきかないかもしれない」
「だっていいじゃありませんか。あんなふうに鷹おう揚ように落ち付いていれば、──こないだ学校で演説をなさったわ」
「八木さんが?」
「ええ」
「八木さんは雪江さんの学校の先生なの」
「いいえ、先生じゃないけれども、淑徳婦人会の時に招待して演説をしていただいたの」
「おもしろかって?」
「そうね、そんなにおもしろくもなかったわ。だけども、あの先生が、あんな長い顔なんでしょう。そうして天てん神じん様さまのような髯ひげをはやしているもんだから、みんな感心して聞いていてよ」
「お話って、どんなお話なの」と細君が聞きかけていると縁側の方から、雪江さんの話し声を聞きつけて、三人の子供がどたばた茶の間へ乱入して来た。今までは竹たけ垣がきの外のあき地へ出て遊んでいたものであろう。
「あら雪江さんが来た」と二人のねえさんはうれしそうに大きな声を出す。細君は「そんなに騒がないで、みんな静かにしておすわりなさい。雪江さんが今おもしろい話をなさるところだから」と仕事をすみへ片づける。
「雪江さんなんのお話、わたしお話が大好き」と言ったのはとん子で「やっぱりかちかち山のお話?」と聞いたのはすん子である。「坊ばもおはなち」と言い出した三女は姉と姉のあいだからひざを前の方に出す。ただしこれはお話を承るというのではない。坊ばもまたお話をつかまつるという意味である。「あら、坊ばちゃんのお話だ」とねえさんが笑うと、細君は「坊ばはあとでなさい。雪江さんのお話がすんでから」とすかしてみる。坊ばはなかなか聞きそうにない。「いやーよ、ばぶ」と大きな声を出す。「おお、よしよし坊ばちゃんからなさい。なんというの?」と雪江さんは謙けん遜そんした。
「あのね、坊たん、坊たん、どこ行くのって」
「おもしろいのね。それから?」
「わたちは田んぼへ稲刈いに」
「そうよく知ってること」
「お前がくうと邪だ魔まになる」
「あら、くうとじゃないわ、くるとだわね」ととん子が口を出す。坊ばは相変わらず、「ばぶ」と一いつ喝かつしてただちに姉を辟易させる。しかし中途で口を出されたものだから、続きを忘れてしまって、あとが出て来ない。「坊ばちゃん、それぎりなの?」と雪江さんが聞く。
「あのね。あとでおならは御免だよ。ぷう、ぷうぷうって」
「ホホホホ、いやなこと、だれにそんなことを、教わったの?」
「おたんに」
「悪いおさんね、そんなこと教えて」と細君は苦笑をしていたが、「さあ今度は雪江さんの番だ。坊やはおとなしく聞いているんですよ」と言うと、さすがの暴君も納なつ得とくしたとみえて、それぎり当分のあいだ沈黙した。
「八木先生の演説はこんなのよ」と雪江さんがとうとう口を切った「昔ある辻つじのまん中に大きな石地蔵があったんですってね。ところがそこがあいにく馬や車が通るたいへんにぎやかな場所だもんだから邪魔になってしようがないんでね、町内の者がおおぜい寄って、相談をしてどうしてこの石地蔵をすみの方へ片づけたらよかろうって考えたんですって」
「そりゃほんとうにあった話なの?」
「どうですか、そんなことはなんともおっしゃらなくってよ。──でみんながいろいろ相談をしたら、その町内でいちばん強い男が、そりゃわけはありません、わたしがきっと片づけてみせますって、一人でその辻へ行って、両りよう肌はだをぬいで汗を流して引っぱったけれども、どうしても動かないんですって」
「よっぽど重い石地蔵なのね」
「ええ、それでその男が疲れてしまって、うちへ帰って寝てしまったから、町内の者はまた相談をしたんですね。すると今度は町内でいちばん利口な男が、わたしに任せてごらんなさい、一番やってみますからって、重箱の中へ牡ぼ丹た餠もちをいっぱい入れて地蔵の前へ来て、「ここまでおいで」と言いながら牡丹餠を見せびらかしたんだって、地蔵だって食い意地が張ってるから牡丹餠で釣れるだろうと思ったら、少しも動かないんだって。利口な男はこれではいけないと思ってね。今度はひょうたんへお酒を入れて、そのひょうたんを片手へぶら下げて、片手へ猪口ちよこを持ってまた地蔵さんの前へ来て、さあ飲みたくはないかね。飲みたければここまでおいでと三時間ばかり、からかってみたがやはり動かないんですって」
「雪江さん、地蔵様はお腹なかが減らないの」ととん子が聞くと「牡丹餠が食べたいな」とすん子が言った。
「利口な人は二度ともしくじったから、その次にはにせ札さつをたくさんこしらえて、さあほしいだろう、ほしければ取りにおいでと札を出したり引っ込ましたりしたがこれもまるで役に立たたないんですって。よっぽど頑がん固こな地蔵様なのよ」
「そうね。すこし叔父さんに似ているわ」
「ええまるで叔父さんよ。しまいに利口な人も愛あい想そをつかしてやめてしまったんですとさ。それでそのあとからね、大きな法ほ螺らを吹く人が出て、わたしならきっと片づけてみせますから御安心なさいとさもたやすいことのように受け合ったそうです」
「その法螺を吹く人は何をしたんです」
「それがおもしろいのよ。最初にはね巡査の服を着て、付け髯をして、地蔵様の前へ来て、こらこら、動かんとそのほうのためにならんぞ、警察で棄てておかんぞといばってみせたんですとさ。今の世に警察の声こわ色いろなんか使ったってだれも聞きゃしないわね」
「ほんとうね、それで地蔵様は動いたの?」
「でも叔父さんは警察にはたいへん恐れ入っているのよ」
「あらそう、あんな顔をして? それじゃ、そんなにこわいことはないわね。けれども地蔵様は動かないんですって、平気でいるんですとさ。それで法螺吹きはたいへんおこって、巡査の服を脱いで、付け髯を紙くず籠へほうり込んで、今度は大金持ちの服な装りをして出て来たそうです。今の世でいうと岩いわ崎さき男だん爵しやくのような顔をするんですとさ。おかしいわね」
「岩崎のような顔ってどんな顔なの?」
「ただ大きな顔をするんでしょう。そうして何もしないで、また何も言わないで地蔵のまわりを、大きな巻煙草をふかしながら歩いているんですとさ」
「それがなんになるの?」
「地蔵様を煙けむに巻くんです」
「まるで噺はなし家かのしゃれのようね。首しゆ尾びよく煙けむに巻いたの?」
「だめですわ、相手が石ですもの。ごまかしもたいていにすればいいのに、今度は殿でん下か様さまに化けて来たんだって、ばかね」
「へえ、その時分にも殿下様があるの?」
「あるんでしょう。八木先生はそうおっしゃってよ。たしかに殿下様に化けたんだって、恐れ多いことだが化けて来たって──第一不敬じゃありませんか、法螺吹きの分際で」
「殿下って、どの殿下様なの」
「どの殿下様ですか、どの殿下様だって不敬ですわ」
「そうね」
「殿下様でもきかないでしょう。法螺吹きもしょうがないから、とてもわたしの手ぎわでは、あの地蔵はどうすることもできませんと降参をしたそうです」
「いい気味ね」
「ええ、ついでに懲ちよう役えきにやればいいのに。──でも町内の者はたいそう気をもんで、また相談を開いたんですが、もうだれも引き受ける者がないんで弱ったそうです」
「それでおしまい?」
「まだあるのよ。いちばんしまいに車屋とゴロつきをおおぜい雇って、地蔵様のまわりをわいわい騒いで歩いたんです。ただ地蔵様をいじめて、居たたまれないようにすればいいといって夜よる昼ひる交替で騒ぐんだって」
「御苦労ですこと」
「それでも取り合わないんですとさ。地蔵様のほうもずいぶん強情ね」
「それから、どうして?」ととん子が熱心に聞く。
「それからね、いくら毎日毎日騒いでも験げんが見えないので、だいぶみんながいやになってきたんですが、車夫やゴロツキは幾いく日んちでも日につ当とうになることだから喜んで騒いでいましたとさ」
「雪江さん、日当ってなに?」とすん子が質問をする。
「日当というのはね、お金の事なの」
「お金をもらってなんにするの?」
「お金をもらってね。──ホホホホいやなすん子さんだ。──それで叔母さん、毎日毎晩から騒ぎをしていますとね。その時町内にばか竹たけといって、なんにも知らない、だれも相手にしないばかがいたんですってね。そのばかがこの騒ぎを見てお前がたはなんでそんなに騒ぐんだ、何年かかっても地蔵一つ動かすことができないのか、かあいそうなものだ、と言ったそうですって──」
「ばかのくせにえらいのね」
「なかなかえらいばかなのよ。みんながばか竹の言うことを聞いて、物はためしだ、どうせだめだろうが、まあ竹にやらしてみようじゃないかとそれから竹に頼むと、竹は一も二もなく引き受けたが、そんな邪魔な騒ぎをしないでまあ静かにしろと車引きやゴロツキを引っ込まして飄ひよう然ぜんと地蔵様の前へ出て来ました」
「雪江さん飄然て、ばか竹のお友だち?」ととん子が肝かん心じんなところで奇問を放ったので、細君と雪江さんはどっと笑い出した。
「いいえお友だちじゃないのよ」
「じゃなに?」
「飄然というのはね。──言いようがないわ」
「飄然て、言いようがないの?」
「そうじゃないのよ、飄然というのはね──」
「ええ」
「そら多々良三平さんを知ってるでしょう」
「ええ、山の芋をくれてよ」
「あの多々良さんみたようなをいうのよ」
「多々良さんは飄然なの?」
「ええ、まあそうよ。──それでばか竹が地蔵様の前へ来てふところ手をして、地蔵様、町内の者が、あなたに動いてくれと言うから動いてやんなさいと言ったら、地蔵様はたちまちそうか、そんなら早くそう言えばいいのに、とのこのこ動きだしたそうです」
「妙な地蔵様ね」
「それからが演説よ」
「まだあるの?」
「ええ、それから八木先生がね、今日は御婦人の会でありますが、私がかようなお話をわざわざいたしたのは少々考えがあるので、こう申すと失礼かもしれませんが、婦人というものはとかく物をするのに正面から近道を通って行かないで、かえって遠方から回りくどい手段をとる弊へいがある。もっともこれは御婦人に限ったことでない。明治の代は男子といえども、文明の弊を受けて多少女性的になっているから、よくいらざる手段と労力を費やして、これが本筋である、紳士のやるべき方針であると誤解している者が多いようだが、これらは開化の業ごうに束縛された奇形児である。べつに論ずるに及ばん。ただ御婦人にあってはなるべくただ今申した昔話を御記憶になっていざという場合にはどうかばか竹のような正直な了見で物事を処理していただきたい。あなたがたがばか竹になれば夫婦の間、嫁よめ姑しゆうとの間に起こるいまわしき葛かつ藤とうの三さん分ぶ一いちはたしかに減ぜられるに相違ない。人間は魂胆があればあるほど、その魂胆がたたって不幸の源をなすので、多くの婦人が平均男子より不幸なのは、全くこの魂胆があり過ぎるからである。どうかばか竹になってくださいと、いう演説なの」
「へえ、それで雪江さんはばか竹になる気なの」
「やだわ、ばか竹だなんて。そんなものになりたくはないわ。金田の富とみ子こさんなんぞは失敬だってたいへんおこってよ」
「金田の富子さんて、あの向こう横丁の?」
「ええ、あのハイカラさんよ」
「あの人も雪江さんの学校へ行くの?」
「いいえ、ただ婦人会だから傍聴に来たの。ほんとうにハイカラね。どうも驚いちまうわ」
「でもたいへんいい器量だっていうじゃありませんか」
「並みですわ。御自慢ほどじゃありませんよ。あんなにお化け粧しようをすればたいていの人はよく見えるわ」
「それじゃ雪江さんなんぞはそのかたのようにお化粧をすれば金田さんの倍ぐらい美しくなるでしょう」
「あらいやだ。よくってよ、知らないわ。だけど、あのかたは全くつくり過ぎるのね。なんぼお金があったって──」
「つくり過ぎてもお金があるほうがいいじゃありませんか」
「それもそうだけれども──あのかたこそ、少しばか竹になったほうがいいでしょう。むやみにいばるんですもの。このあいだもなんとかいう詩人が新体詩集をささげたって、みんなに吹ふい聴ちようしているんですもの」
「東とう風ふうさんでしょう」
「あら、あのかたがささげたの、よっぽど物ずきね」
「でも東風さんはたいへんまじめなんですよ。自分じゃ、あんなことをするのがあたりまえだとまで思ってるんですもの」
「そんな人があるから、いけないんですよ。──それからまだおもしろいことがあるの。こないだだれか、あのかたのとこへ艶えん書しよを送った者があるんだって」
「おや、いやらしい。だれなの、そんなことをしたのは」
「だれだかわからないんだって」
「名前はないの?」
「名前はちゃんと書いてあるんだけれども聞いたこともない人だって、そうしてそれが長い長い一間けんばかりもある手紙でね。いろいろ妙なことが書いてあるんですとさ。わたしがあなたを恋おもっているのは、ちょうど宗教家が神にあこがれているようなものだの、あなたのためならば祭壇に供える小羊となって屠ほふられるのが無上の名誉であるの、心臓の形が三角で、三角の中心にキューピッドの矢が立って、吹き矢なら大当たりであるの……」
「そりゃまじめなの?」
「まじめなんですとさ。現にわたしのお友だちのうちでその手紙を見た者が三人あるんですもの」
「いやな人ね、そんなもの見せびらかして。あのかたは寒月さんのとこへお嫁に行くつもりなんだから、そんなことが世間へ知れちゃ困るでしょうにね」
「困るどころですか大得意よ。こんだ寒月さんが来たら知らしてあげたらいいでしょう。寒月さんもまるで御存じないんでしょう」
「どうですか、あのかたは学校へ行って球たまばかりみがいていらっしゃるから、おおかた知らないでしょう」
「寒月さんはほんとにあのかたをおもらいになる気なんでしょうかね。お気の毒だわね」
「なぜ? お金があって、いざって時に力になって、いいじゃありませんか」
「叔お母ばさんは、じきに金、金って品ひんが悪いのね。金より愛のほうがだいじじゃありませんか。愛がなければ夫婦の関係は成立しやしないわ」
「そう、それじゃ雪江さんは、どんな所へお嫁に行くの?」
「そんなこと知るもんですか、べつに何もないんですもの」
雪江さんと叔母さんは結婚事件について何か弁論をたくましくしていると、きっきから、わからないなりに謹聴しているとん子が突然口を開いて「わたしもお嫁に行きたいな」と言いだした。この無鉄砲な希望には、さすが青春の気に満ちて、大いに同情を寄すべき雪江さんもちょっと毒気を抜かれたていであったが、細君のほうは比較的平気に構えて「どこへ行きたいの」と笑いながら聞いてみた。
「わたしねえ、ほんとうはね、招しよう魂こん社しやへお嫁に行きたいんだけれども、水すい道どう橋ばしを渡るのがいやだから、どうしようかと思ってるの」
細君と雪江さんはこの名答を得て、あまりのことに問い返す勇気もなく、どっと笑いくずれた時に、次女のすん子がねえさんに向かってかような相談を持ちかけた。
「おねえ様も招魂社がすき? わたしも大すき。いっしょに招魂社へお嫁に行きましょう。ね? いや? いやならいいわ。わたし一人で車へ乗ってさっさと行っちまうわ」
「坊ばも行くの」とついに坊ばさんまでが招魂社へ嫁に行くことになった。かように三人が顔をそろえて招魂社へ嫁に行けたら主人もさぞ楽であろう。
ところへ車の音ががらがらと、前にとまったと思ったら、たちまち威勢のいいお帰りと言う声がした。主人は日本堤分署からもどったとみえる。車夫がさし出す大きなふろしき包みを下女に受け取らして、主人は悠ゆう然ぜんと茶の間へはいって来る。「やあ、来たね」と雪江さんに挨あい拶さつしながら、例の有名なる長なが火ひ鉢ばちのそばへぽかりと手に携えた徳利とつくりようのものをほうり出した。徳利ようというのは純然たる徳利ではむろんない、といって花はな生いけとも思われない、ただ一種異様の陶器であるから、やむをえずしばらくかように申したのである。
「妙な徳利ね、そんなものを警察からもらっていらしったの」と雪江さんが、倒れたやつを起こしながら叔お父じさんに聞いてみる。叔父さんは、雪江さんの顔を見ながら、「どうだ、いい恰かつ好こうだろう」と自慢する。
「いい恰好なの? それが? あんまりよかあないわ? 油あぶら壺つぼなんかなんで持っていらっしったの?」
「油壺なものか。そんな趣味のないことを言うから困る」
「じゃ、なあに?」
「花生けさ」
「花生けにしちゃ、口が小さ過ぎて、いやに胴が張ってるわ」
「そこがおもしろいんだ。お前も無ぶ風ぶう流りゆうだな。まるで叔母さんと撰えらぶところなしだ。困ったものだな」とひとりで油壺を取り上げて、障子の方へ向けてながめている。
「どうせ無風流ですわ。油壺を警察からもらってくるようなまねはできないわ。ねえ叔母さん」叔母さんはそれどころではない、風呂敷包みを解いて血ち眼まなこになって、盗難品をしらべている。「おや驚いた泥どろ棒ぼうも進歩したのね。みんな、解いて洗い張りをしてあるわ。ねえちょいと、あなた」
「だれが警察から油壺をもらってくるものか。待ってるのが退屈だから、あすこいらを散歩しているうちに掘り出して来たんだ。お前なんぞにはわかるまいがそれでも珍品だよ」
「珍品すぎるわ。いったい叔父さんはどこを散歩したの」
「どこって日本堤界かい隈わいさ。吉原へもはいってみた。なかなか盛んな所だ。あの鉄の門を見たことがあるかい。ないだろう」
「だれが見るもんですか。吉原なんて賤せん業ぎよう婦ふのいる所へ行く因縁がありませんわ。叔父さんは教師の身で、よくまあ、あんな所へ行かれたものねえ。ほんとうに驚いてしまうわ。ねえ叔母さん、叔母さん」
「ええそうね。どうも品しな数かずが足りないようだこと。これでみんなもどったんでしょうか」
「もどらんのは山の芋ばかりさ。元来九時に出頭しろと言いながら十一時まで待たせる法があるものか、これだから日本の警察はいかん」
「日本の警察がいけないって、吉原を散歩しちゃなおいけないわ。そんなことが知れると免職になってよ。ねえ叔母さん」
「ええなるでしょう。あなた、私の帯の片側がないんです。なんだか足りないと思ったら」
「帯の片側ぐらいあきらめるさ。こっちは三時間も待たされて、大切の時間を半日つぶしてしまった」と日本服に着替えて平気に火鉢へもたれて油壺をながめている。細君もしかたがないとあきらめて、もどった品をそのまま戸棚へしまい込んで座に帰る。
「叔母さんこの油壺が珍品ですとさ。きたないじゃありませんか」
「それを吉原で買っていらしったの? まあ」
「何がまあだ。わかりもしないくせに」
「それでもそんな壺なら吉原へ行かなくっても、どこにだってあるじゃありませんか」
「ところがないんだよ。めったにある品ではないんだよ」
「叔父さんはずいぶん石地蔵ね」
「また子供のくせに生意気を言う。どうもこのごろの女学生は口が悪くっていかん。ちと女おんな大だい学がくでも読むがいい」
「叔父さんは保険がきらいでしょう。女学生と保険とどっちがきらいなの」
「保険はきらいではない。あれは必要なものだ。未来の考えのある者は、だれでもはいる。女学生は無用の長ちよう物ぶつだ」
「無用の長物でもいいことよ。保険へはいってもいないくせに」
「来月からはいるつもりだ」
「きっと?」
「きっとだとも」
「およしなさいよ、保険なんか。それよりかそのかけ金きんで何か買ったほうがいいわ。ねえ、叔母さん」叔母さんはにやにや笑っている。主人はまじめになって、
「お前など百も二百も生きる気だから、そんなのんきなことを言うのだが、もう少し理性が発達してみろ、保険の必要を感ずるに至るのは当然だ。ぜひ来月からはいるんだ」
「そう、それじゃしかたがない。だけどこないだのように蝙蝠傘こ う も りを買ってくださるお金があるなら、保険にはいるほうがましかもしれないわ。ひとがいりません、いりませんと言うのを無理に買ってくださるんですもの」
「そんなにいらなかったのか?」
「ええ蝙蝠傘こ う も りなんかほしかないわ」
「そんなら返すがいい。ちょうどとん子がほしがってるから、あれをこっちへ回してやろう。きょう持って来たか」
「あら、そりゃ、あんまりだわ。だってひどいじゃありませんか、せっかく買ってくだすっておきながら、返せなんて」
「いらないと言うから、返せと言うのさ。ちっともひどくはない」
「いらないことはいらないんですけれども、ひどいわ」
「わからんことを言うやつだな。いらないと言うから返せと言うのにひどいことがあるものか」
「だって」
「だって、どうしたんだ」
「だってひどいわ」
「愚だな、同じことばかり繰り返している」
「叔父さんだって同じことばかり繰り返しているじゃありませんか」
「お前が繰り返すからしかたがないさ。現にいらないと言ったじゃないか」
「そりゃ言いましたわ。いらないことはいらないんですけれども、返すのはいやですもの」
「驚いたな。わからずやで強情なんだからしかたがない。お前の学校じゃ論理学を教えないのか」
「よくってよ、どうせ無教育なんですから、なんとでもおっしゃい。人のものを返せだなんて、他人だってそんな不人情なことは言やしない。ちっとばか竹のまねでもなさい」
「なんのまねをしろ?」
「ちと正直に淡泊になさいと言うんです」
「お前は愚物のくせに、いやに強情だよ。それだから落第するんだ」
「落第したって叔父さんに学資を出してもらやしないわ」
雪江さんはここに至って感に堪えざるもののごとく、潸さん然ぜんとして一いつ掬きくの涙を紫の袴はかまの上に落とした。主人は茫ぼう乎ことして、その涙がいかなる心理作用に起因するかを研究するもののごとく、袴の上と、うつ向いた雪江さんの顔を見つめていた。ところへおさんが台所から赤い手を敷居越しにそろえて「お客様がいらっしゃいました」と言う。「だれが来たんだ」と主人が聞くと「学校の生徒さんでございます」とおさんは雪江さんの泣き顔を横目ににらめながら答えた。主人は客間へ出て行く。吾輩も種取り兼人間研究のため、主人に尾びして忍びやかに縁へ回った。人間を研究するには何か波は瀾らんがある時を選ばないといっこう結果が出て来ない。平へい生ぜいは大おお方かたの人が大方の人であるから、見ても聞いても張り合いのないくらい平凡である。しかしいざとなるとこの平凡が急に霊妙なる神秘的作用のためにむくむくと持ち上がって奇な者、変な者、妙な者、異な者、ひと口に言えば吾輩猫どもから見てすこぶる後学になるような事件が至るところに横風にあらわれてくる。雪江さんの紅こう涙るいのごときはまさしくその現象の一つである。かくのごとく不可思議、不可測の心を有している雪江さんも、細君と話をしているうちはさほどとも思わなかったが、主人が帰ってきて油壺をほうり出すや否や、たちまち死し竜りゆうに蒸汽ポンプを注ぎかけたるごとく、勃ぼつ然ぜんとしてその深しん奥おうにして窺き知ちすべからざる、巧妙なる、美妙なる、奇妙なる、霊妙なる、霊質を、惜しげもなく発揚しおわった。しかしてその霊質は天下の女によ性しように共通なる霊質である。ただ惜しいことには容易にあらわれてこない。否あらわれることは二六時中間かん断だんなくあらわれているが、かくのごとく顕著に灼しやく然ぜん炳へい乎ことして遠慮なくあらわれてこない。幸いにして主人のように吾輩の毛をややともすると逆さかさになでたがるつむじ曲がりの奇き特どく家かがおったから、かかる狂言も拝見ができたのであろう。主人のあとさえついて歩けば、どこへ行っても舞台の役者は我知らず動くに相違ない。おもしろい男を旦だん那な様にいただいて、短い猫の命のうちにも、たいぶ多くの経験ができる。ありがたいことだ。今度のお客は何者であろう。
見ると年ごろは十七、八、雪江さんと追っつ、かっつの書生である。大きな頭を地じのすいて見えるほど刈り込んで団子っ鼻を顔のまん中にかためて、座敷のすみの方に控えている。べつにこれという特徴もないが頭ず蓋がい骨こつだけはすこぶる大きい。青坊主に刈ってさえ、ああ大きく見えるのだから、主人のように長く延ばしたらさだめし人目をひくことだろう。こんな頭にかぎって学問はあまりできないものだとは、かねてより主人の持説である。事実はそうかもしれないがちょっと見るとナポレオンのようですこぶる偉観である。着物は通例の書生のごとく、薩さつ摩ま絣がすりか、久く留る米め絣かまた伊い予よ絣かわからないが、ともかくも絣と名づけられたる袷あわせを袖そで短みじかに着こなして、下にはシャツも襦じゆ袢ばんもないようだ。素す袷あわせや素足は意気なものだそうだが、この男のははなはだむさ苦しい感じを与える。ことに畳の上に泥棒のような親指を歴然と三つまで印しているのは全く素足の責任に相違ない。彼は四つ目の足跡の上へちゃんとすわって、さも窮屈そうにかしこまっている。いったいかしこまるべきものがおとなしく控えるのはべつだん気にするにも及ばんが、いがぐり頭のつんつるてんの乱暴者が恐縮しているところはなんとなく不調和なものだ。途中で先生に会ってさえ礼をしないのを自慢にするくらいの連れん中じゆうが、たとい三十分でも人並みにすわるのは苦しいに違いない。ところを生まれ得て恭きよう謙けんの君子、盛徳の長ちよう者しやであるかのごとく構えるのだから、当人の苦しいにかかわらずはたから見るとたいぶおかしいのである。教場もしくは運動場であんなに騒々しいものが、どうしてかように自己を箝かん束そくする力を備えているかと思うと、哀れにもあるが滑こつ稽けいでもある。こうやって一人ずつ相対になると、いかに愚ぐ〓がいなる主人といえども、生徒に対していくぶんかの重みがあるように思われる。主人もさだめし得意であろう。塵ちり積もって山をなすというから、微び々びたる一生徒も多た勢ぜいが聚しゆう合ごうすると侮るべからざる団体となって、排斥運動やストライキをしでかすかもしれない。これはちょうど臆おく病びよう者ものが酒を飲んで大胆になるような現象であろう。衆を頼んで騒ぎ出すのは、人の気に酔っ払った結果、正気を取り落としたるものと認めてさしつかえあるまい。それでなければかように恐れ入ると言わんよりむしろ悄しよう然ぜんとして、みずから襖ふすまに押しつけられているくらいな薩摩絣が、いかに老朽だといって、かりそめにも先生と名のつく主人を軽けい蔑べつしようがない。ばかにできるわけがない。
主人は座ざ布ぶ団とんを押しやりながら、「さあお敷き」と言ったがいがぐり先生はかたくなったまま「へえ」と言って動かない。鼻の先にはげかかった更さら紗さの座布団が「お乗んなさい」ともなんとも言わずに着席している後ろに、生きた大頭がつくねんと着席しているのは妙なものだ。布団は乗るための布団で見つめるために細君が勧かん工こう場ばから仕人れて来たのではない。布団にして敷かれずんば、布団はまさしくその名誉を毀き損そんせられたるもので、これを勤めたる主人もまたいくぶんか顔が立たないことになる。主人の顔をつぶしてまで、布団とにらめくらをしているいがぐり君はけっして布団そのものがきらいなのではない。じつをいうと、正式にすわったことは祖じ父いさんの法事の時のほかは生まれてからめったにないので、さっきからすでにしびれが切れかかって少々足の先は困難を訴えているのである。それにもかかわらず敷かない。布団が手持ちぶさたに控えているにもかかわらず敷かない。主人がさあお敷きと言うのに敷かない。厄やつ介かいないがぐり坊主だ。このくらい遠慮するなら多た人にん数ずう集まった時もう少し遠慮すればいいのに、学校でもう少し遠慮すればいいのに、下宿屋でもう少し遠慮すればいいのに。すまじきところへ気がねをして、すべき時には謙けん遜そんしない、否大いに狼ろう藉ぜきを働く。たちの悪いいがぐり坊主だ。
ところへ後ろの襖をすらとあけて、雪江さんが一碗わんの茶をうやうやしく坊主に供した。平生ならそらサヴェジチーが出たと冷やかすのだが、主人一人に対してすら痛み入っている上へ、妙齢の女によ性しようが学校で覚えたての小お笠がさ原わら流りゆうで、おつに気取った手つきをして茶わんを突きつけたのだから、坊主は大いに苦く悶もんのていに見える。雪江さんは襖をしめる時に後ろからにやにやと笑った。してみると女は同年輩でもなかなかえらいものだ。坊主に比すればはるかに度胸がすわっている。ことにさっきの無念にはらはらと流した一滴の紅涙のあとだから、このにやにやがさらに目立って見えた。
雪江さんの引き込んだあとは、双方無言のまま、しばらくのあいだは辛抱していたが、これでは行ぎようをするようなものだと気がついた主人はようやく口を開いた。
「君はなんとか言ったけな」
「古ふる井い……」
「古井? 古井なんとかだね。名は」
「古井武ぶ右え衛も門ん」
「古井武右衛門──なるほど、だいぶ長い名だな。今の名じゃない、昔の名だ。四年生だったね」
「いいえ」
「三年生か?」
「いいえ、二年生です」
「甲組かね」
「乙です」
「乙なら、わたしの監督だね。そうか」と主人は感心している。じつはこの大頭は入学の当時から主人の目についているんだから、けっして忘れるところではない。のみならず、時々は夢に見るくらい感銘した頭である。しかしのんきな主人はこの頭とこの古風な姓名とを連結して、その連結したものをまた二年乙組に連結することができなかったのである。だからこの夢に見るほど感心した頭が自分の監督組の生徒であると聞いて、思わずそうかと心のうちで手をうったのである。しかしこの大きな頭の、古い名の、しかも自分の監督する生徒がなんのために今ごろやって来たのかとんと推量できない。元来不人望な主人のことだから、学校の生徒などは正月だろうが暮れだろうがほとんど寄りついたことがない。寄りついたのは古井武右衛門君をもって嚆こう矢しとするくらいな珍客であるが、その来訪の主意がわからんには主人も大いに閉口しているらしい。こんなおもしろくない人の家うちへただ遊びに来るわけもなかろうし、また辞職勧告ならもう少し昂こう然ぜんと構え込みそうだし、といって武右衛門君などが一身上の用事相談があるはずがないし、どっちからどう考えても主人にはわからない。武右衛門君の様子を見るとあるいは本人自身にすら、なんでここまで参ったのか判然しないかもしれない。しかたがないから主人からとうとう表向きに聞きだした。
「君遊びに来たのか」
「そうじゃないんです」
「それじゃ用事かね」
「ええ」
「学校のことかい」
「ええ少しお話ししようと思って……」
「うむ。どんなことかね。さあ話したまえ」と言うと武右衛門君下を向いたぎりなんにも言わない。元来武右衛門君は中学の二年生にしてはよく弁ずるほうで、頭の大きいわりに脳力は発達しておらんが、しゃべることにおいては乙組中鏘そう々そうたるものである。現にせんだってコロンバスの日本訳を教えろといって大いに主人を困らしたはまさにこの武右衛門君である。その鏘々たる先生が、最前からどもりのお姫様のようにもじもじしているのは、何かいわくのあることでなくてはならん。たんに遠慮のみとはとうてい受け取られない。主人も少々不審に思った。
「話すことがあるなら、早く話したらいいじゃないか」
「少し話しにくいことで……」
「話しにくい?」と言いながら主人は武右衛門君の顔を見たが、先方は依然としてうつ向きになってるから、何事とも鑑定ができない。やむをえず、語勢を変えて「いいさ。なんでも話すがいい。ほかにだれも聞いていやしない。わたしも他た言ごんはしないから」と穏やかにつけ加えた。「話してもいいでしょうか?」と武右衛門君はまだ迷っている。
「いいだろう」と主人はかってな判断をする。
「では話しますが」と言いかけて、いがぐり頭をむくりと持ち上げて主人の方をちょっとまぼしそうに見た。その目は三角である。主人は頬ほおをふくらまして朝日の煙を吹き出しながらちょっと横を向いた。
「じつはその……困ったことになっちまって……」
「何が?」
「何がって、はなはだ困るもんですから、来たんです」
「だからさ、何が困るんだよ」
「そんなことをする考えはなかったんですけれども、浜はま田だが貸せ貸せと言うもんですから」
「浜田というのは浜田平へい助すけかい」
「ええ」
「浜田に下宿料でも貸したのかい」
「なにもそんなものを貸したんじゃありません」
「じゃ何を貸したんだい」
「名前を貸したんです」
「浜田が君の名前を借りて何をしたんだい」
「艶えん書しよを送ったんです」
「何を送った?」
「だから名前はよして、投とう函かん役やくになると言ったんです」
「なんだか要領を得んじゃないか。いったいだれが何をしたんだい」
「艶書を送ったんです」
「艶書を送った? だれに?」
「だから、話しにくいというんです」
「じゃ君が、どこかの女に艶書を送ったのか」
「いいえ、ぼくじゃないんです」
「浜田が送ったのかい」
「浜田でもないんです」
「じゃだれが送ったんだい」
「だれだかわからないんです」
「ちっとも要領を得ないな。ではだれも送らんのかい」
「名前だけはぼくの名なんです」
「名前だけは君の名だって、なんのことだかちっともわからんじゃないか。もっと条理を立てて話すがいい。元来その艶書を受けた当人はだれか」
「金かね田だって向こう横丁にいる女です」
「あの金田という実業家か」
「ええ」
「で、名前だけ貸したとはなんのことだい」
「あすこの娘がハイカラで生意気だから艶書を送ったんです。──浜田が名前がなくちゃいけないって言いますから、君の名前を書けって言ったら、ぼくのじゃつまらない。古井武右衛門のほうがいいって──それで、とうとうぼくの名を貸してしまったんです」
「で、君はあすこの娘を知ってるのか。交際でもあるのか」
「交際も何もありゃしません。顔なんか見たこともありません」
「乱暴だな。顔も知らない人に艶書をやるなんて、まあどういう了見で、そんなことをしたんだい」
「ただみんながあいつは生意気でいばってるって言うから、からかったんです」
「ますます乱暴だな。じゃ君の名を公然と書いて送ったんだな」
「ええ文章は浜田が書いたんです。ぼくが名前を貸して遠えん藤どうが夜あすこのうちまで行って投函して来たんです」
「じゃ三人で共同してやったんだね」
「ええ、ですけれども、あとから考えると、もしあらわれて退学にでもなるとたいへんだと思って、非常に心配して二、三日は寝られないんで、なんだかぼんやりしてしまいました」
「そりゃまたとんでもないばかをしたもんだ。それで文ぶん明めい中学二年生古井武右衛門とでも書いたのかい」
「いいえ、学校の名なんか書きゃしません」
「学校の名を書かないだけまあよかった。これで学校の名が出てみるがいい。それこそ文明中学の名誉に関する」
「どうでしょう退校になるでしょうか」
「そうさな」
「先生、ぼくのおやじさんはたいへんやかましい人で、それにおっかさんが継まま母ははですから、もし退校にでもなろうもんなら、ぼかあ困っちまうです。ほんとうに退校になるでしょうか」
「だからめったなまねをしないがいい」
「する気でもなかったんですが、ついやってしまったんです。退校にならないようにできないでしょうか」と武右衛門君は泣きだしそうな声をしてしきりに哀願に及んでいる。襖の陰では最前から細君と雪江さんがくすくす笑っている。主人はあくまでももったいぶって「そうさな」を繰り返している。なかなかおもしろい。
吾輩がおもしろいというと、何がそんなにおもしろいと聞く人があるかもしれない。聞くのはもっともだ。人間にせよ、動物にせよ、おのれを知るのは生しよう涯がいのだいじである。おのれを知ることができさえすれば人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい。その時は吾輩もこんないたずらを書くのは気の毒だからすぐさまやめてしまうつもりである。しかし自分で自分の鼻の高さがわからないと同じように、白己の何物かはなかなか見当がつきにくいとみえて、平生から軽けい蔑べつしている猫に向かってさえかような質問をかけるのであろう。人間は生意気なようでもやはり、どこか抜けている。万ばん物ぶつの霊だなどとどこへでも万物の霊をかついで歩くかと思うと、これしきの事実が理解できない。しかも恬てんとして平然たるに至ってはちと一いつ〓きやくを催したくなる。彼は万物の霊を背中へかついで、おれの鼻はどこにあるか教えてくれ、教えてくれと騒ぎ立てている。それなら万物の霊を辞職するかと思うと、どういたして死んでも放しそうにない。このくらい公然と矛む盾じゆんをして平気でいられれば愛あい嬌きようになる。愛嬌になるかわりにはばかをもって甘んじなくてはならん。
吾輩がこの際武右衛門君と、主人と細君および雪江嬢をおもしろがるのは、たんに外部の事件が鉢はち合あわせをして、その鉢合わせが波動をおつな所に伝えるからではない。じつはその鉢合わせの反響が人間の心に個々別々の音ね色いろを起こすからである。第一主人はこの事件に対してむしろ冷淡である。武右衛門君のおやじさんがいかにやかましくって、おっかさんがいかに君を継まま子こあつかいにしようとも、あんまり驚かない。驚くはずがない。武右衛門君が退校になるのは、自分が免職になるのとは大いに趣が違う。千人近くの生徒がみんな退校になったら、教師も衣食の道に窮するかもしれないが、古井武右衛門君一いち人にんの運命がどう変化しようと、主人の朝ちよう夕せきにはほとんど関係がない。関係の薄いところには同情もおのずから薄いわけである。見ず知らずの人のために眉まゆをひそめたり、鼻をかんだり、嘆息をするのは、けっして自然の傾向ではない。人間がそんなに情け深い、思いやりのある動物であるとははなはだ受け取りにくい。ただ世の中に生まれて来た賦ふ税ぜいとして、時々交際のために涙を流してみたり、気の毒な顔を作って見せたりするばかりである。いわばごまかし性表情で、じつをいうとだいぶ骨が折れる芸術である。このごまかしをうまくやる者を芸術的良心の強い人といって、これは世間からたいへん珍重される。だから人から珍重される人間ほど怪しいものはない。ためしてみればすぐわかる。この点において主人はむしろ拙せつな部類に属するといってよろしい。拙だから、珍重されない。珍重されないから、内部の冷淡を存外隠すところもなく発表している。彼が武右衛門君に対して「そうさな」を繰り返しているのでも這しや裏りの消息はよくわかる。諸君は冷淡だからといって、けっして主人のような善人をきらってはいけない。冷淡は人間の本来の性質であって、その性質をかくそうと努めないのは正直な人である。もし諸君がかかる際に冷淡以上を望んだら、それこそ人間を買いかぶったといわなければならない。正直ですら払ふつ底ていな世にそれ以上を予期するのは、馬ば琴きんの小説から志し乃のや小こ文ぶん吾ごが抜けだして、向こう三軒両隣りへ八はつ犬けん伝でんが引っ越した時でなくては、あてにならない無理な注文である。主人はまずこのくらいにして次には茶の間で笑ってる女おんな連れんに取りかかるが、これは主人の冷淡を一歩向こうへまたいで、滑稽の領分におどり込んでうれしがっている。この女たちには武右衛門君が頭痛に病んでいる艶書事件が、仏ぶつ陀だの福ふく音いんのごとくありがたく思われる。理由はないただありがたい。しいて解剖すれば武右衛門君が困るのがありがたいのである。諸君、女に向かって聞いてごらん、「あなたは人が困るのをおもしろがって笑いますか」と。聞かれた人はこの問いを呈出した者をばかと言うだろう、ばかと言わなければ、わざとこんな問いをかけて淑女の品性を侮ぶ辱じよくしたと言うだろう。侮辱したというのは事実かもしれないが、人の困るのを笑うのも事実である。であるとすれば、これからわたしの品性を侮辱するようなことを自分でしてお目にかけますから、なんとか言っちゃいやよと断わるのと一般である。ぼくは泥どろ棒ぼうをする。しかしけっして不道徳と言ってはならん、もし不道徳だなどと言えばぼくの顔へ泥を塗ったものである。ぼくを侮辱したものである、と主張するようなものだ。女はなかなか利口だ、考えに筋道が立っている。いやしくも人間に生まれる以上は踏んだり、蹴けたり、どやされたりして、しかも人が振りむきもせぬ時、平気でいる覚悟が必要であるのみならず、唾つばを吐きかけられ、糞くそをたれかけられた上に、大きな声で笑われるのを快く思わなくてはならない。それでなくてはかように利口な女と名のつくものと交際はできない。武右衛門先生もちょっとしたはずみから、とんだ間違いをして大いに恐れ入ってはいるようなものの、かように恐れ入ってる者を陰で笑うのは失敬だとぐらいは思うかもしれないが、それは年がゆかない稚ち気きというもので、人が失礼をした時におこるのを気が小さいと先方では名づけるそうだから、そう言われるのがいやならおとなしくするがよろしい。最後に武右衛門君の心いきをちょっと紹介する。君は心配の権ごん化げである。かの偉大なる頭脳はナポレオンのそれが功こう名みよう心しんをもって充満せるがごとく、まさに心配をもってはちきれんとしている。時々その団子っ鼻がびくびく動くのは心配が顔面神経に伝わって、反射作用のごとく無意識に活動するのである。彼は大きな鉄砲だまを飲み下したごとく、腹の中にいかんともすべからざる塊かたまりをいだいて、この両りよう三さん日ち処置に窮している。そのせつなさのあまり、べつに分別の出どころもないから監督と名のつく先生の所へ出向いたら、どうか助けてくれるだろうと思って、いやな人の家うちへ大きな頭を下げにまかり越したのである。彼は平生学校で主人にからかったり、同級生を扇動して主人を困らしたりしたことはまるで忘れている。いかにからかおうとも困らせようとも監督と名のつく以上は心配してくれるに相違ないと信じているらしい。ずいぶん単純なものだ。監督は主人が好んでなった役ではない。校長の命によってやむをえずいただいている、いわば迷亭の叔お父じさんの山高帽子の種類である。ただ名前である。ただ名前だけではどうすることもできない。名前がいざという場合に役に立つなら雪江さんは名前だけで見合いができるわけだ。武右衛門君はただにわがままなるのみならず、他人はおのれに向かって必ず親切でなくてはならんという、人間を買いかぶった仮定から出しゆつ立たつしている。笑われるなどとは思いも寄らなかったろう。武右衛門君は監督の家うちへ来て、きっと人間について、一の真理を発明したに相違ない。彼はこの真理のために将来ますますほんとうの人間になるだろう、人の心配には冷淡になるだろう、人の困る時には大きな声で笑うだろう。かくのごとくにして天下は未来の武右衛門君をもってみたされるであろう。金田君および金田令夫人をもってみたされるであろう。吾輩はせつに武右衛門君のために瞬時も早く自覚して真人間になられんことを希望するのである。しからずんばいかに心配するとも、いかに後悔するとも、いかに善に移るの心が切実なりとも、とうてい金田君のごとき成功は得られんのである。否社会は遠からずして君を人間の居住地以外に放逐するであろう。文明中学の退校どころではない。
かように考えておもしろいなと思っていると、格こう子しががらがらとあいて、玄関の障子の陰から顔が半分ぬっと出た。
「先生」
主人は武右衛門君に「そうさな」を繰り返していたところへ、先生と玄関から呼ばれたので、だれだろうとそっちを見ると半分ほど筋かいに障子からはみ出している顔はまさしく寒月君である。「おい、おはいり」と言ったぎりすわっている。
「お客ですか」と寒月君はやはり顔半分で聞き返している。
「なにかまわん、まあお上がり」
「じつはちょっと先生を誘いに来たんですがね」
「どこへ行くんだい。また赤あか坂さかかい。あの方面はもう御免だ。せんだってはむやみに歩かせられて、足が棒のようになった」
「きょうは大丈夫です。久しぶりに出ませんか」
「どこへ出るんだい。まあお上がり」
「上野へ行って虎とらの鳴き声を聞こうと思うんです」
「つまらんじゃないか、それよりちょっとお上がり」
寒月君はとうてい遠方では談判不調と思ったものか、靴くつを脱いでのそのそ上がって来た。例のごとく鼠ねずみ色いろの、尻しりにつぎのあたったズボンをはいているが、これは時代のため、もしくは尻の重いために破れたのではない、本人の弁解によると近ごろ自転車のけいこを始めて局部に比較的多くの摩擦を与えるからである。未来の細君をもって嘱しよく目もくされた本人へ文ふみをつけた恋の仇あだとは夢にも知らす、「やあ」と言って武右衛門君に軽く会え釈しやくをして縁側へ近い所へ座をしめた。
「虎の鳴き声を聞いたってつまらないじゃないか」
「ええ、今じゃいけません、これから方々散歩して夜十一時ごろになって、上野へ行くんです」
「へえ」
「すると公園内の老木は森しん々しんとして物すごいでしょう」
「そうさな、昼間より少しはさみしいだろう」
「それでなんでもなるべく木の茂った、昼でも人の通らない所を選よって歩いていると、いつのまにか紅こう塵じん万ばん丈じようの都会に住んでる気はなくなって、山の中へ迷い込んだような心持ちになるに相違ないです」
「そんな心持ちになってどうするんだい」
「そんな心持ちになって、しばらくたたずんでいるとたちまち動物園のうちで、虎が鳴くんです」
「そううまく鳴くかい」
「大丈夫鳴きます。あの鳴き声は昼でも理科大学*へ聞こえるくらいなんですから、深夜闃げき寂せきとして、四し望ぼう人なく、鬼き気きは肌だえに迫って、魑ち魅み鼻をつく*際に……」
「魑ち魅み鼻をつくとはなんのことだい」
「そんなことを言うじゃありませんか、こわい時に」
「そうかな。あんまり聞かないようだが。それで」
「それで虎が上野の老ろう杉さんの葉をことごとくふるい落とすような勢いで鳴くでしょう。物すごいでさあ」
「そりゃ物すごいだろう」
「どうです冒険に出かけませんか。きっと愉快だろうと思うんです。どうしても虎の鳴き声は夜なかに聞かなくっちゃ、聞いたとはいわれないだろうと思うんです」
「そうさな」と主人は武右衛門君の哀願に冷淡であるごとく、寒月君の探検にも冷淡である。
この時まで黙もく然ねんとして虎の話をうらやましそうに聞いていた武右衛門君は主人の「そうさな」で再び自分の身の上を思い出したとみえて、「先生、ぼくは心配なんですが、どうしたらいいでしょう」とまた聞き返す。寒月君は不審な顔をしてこの大きな頭を見た。吾輩は思う子し細さいあってちょっと失敬して茶の間へ回る。
茶の間では細君がくすくす笑いながら、京焼きの安茶わんに番茶をなみなみとついで、アンチモニーの茶ちや托たくの上へ載せて、
「雪江さん、はばかりさま、これを出して来てください」
「わたし、いやよ」
「どうして」細君は少々驚いたていで、笑いをはたととめる。
「どうしてでも」と雪江さんはいやにすました顔を即席にこしらえて、そばにあった読売新聞の上にのしかかるように目を落とした。細君はもう一応協商を始める。
「あら妙な人ね。寒月さんですよ。かまやしないわ」
「でもわたし、いやなんですもの」と読売新聞の上から目を放さない。こんな時に一字も読めるものではないが、読んでいないなどとあばかれたらまた泣きだすだろう。
「ちっとも恥ずかしいことはないじゃありませんか」と今度は細君笑いながら、わざと茶わんを読売新聞の上へ押しやる。雪江さんは「あら人の悪い」と新聞を茶わんの下から、抜こうとする拍子に茶托に引っかかって、番茶は遠慮なく新聞の上から畳の目へ流れ込む。「それ御覧なさい」と細君が言うと、雪江さんは「あらたいへんだ」と台所へ駆け出して行った。ぞうきんでも持ってくる了見だろう。吾輩にはこの狂言がちょっとおもしろかった。
寒月君はそれとも知らず座敷で妙なことを話している。
「先生障子を張りかえましたね。だれが張ったんです」
「女が張ったんだ。よく張れているだろう」
「ええなかなかうまい。あの時々おいでになるお嬢さんがお張りになったんですか」
「うんあれも手伝ったのさ。このくらい障子が張れれば嫁に行く資格はあると言っていばってるぜ」
「へえ、なるほど」と言いながら寒月君障子を見つめている。
「こっちのほうは平らですが、右の端はじは紙が余って波ができていますね」
「あすこが張りたての所で、最も経験の乏しい時にできあがった所さ」
「なるほど、少しお手ぎわが落ちますね。あの表面は超絶的曲線でとうてい普通のファンクションではあらわせないです」と、理学者だけにむずかしいことを言うと、主人は
「そうさね」といいかげんな挨拶をした。
この様子ではいつまで嘆願をしていても、とうてい見込みがないと思い切った武右衛門君は突然かの偉大なる頭ず蓋がい骨こつを畳の上におしつけて、無言のうちに暗あんに訣けつ別べつの意を表した。主人は「帰るかい」と言った。武右衛門君は悄しよう然ぜんとして薩さつ摩ま下げ駄たを引きずって門を出た。かあいそうに、うちやっておくと巌がん頭とうの吟ぎん*でも書いて華け厳ごんの滝たきから飛び込むかもしれない。元をただせば金田令嬢のハイカラと生意気から起こったことだ。もし武右衛門君が死んだら、幽霊になって令嬢を取り殺してやるがいい。あんな者が世界から一人や二人消えてなくなったって、男子はすこしも困らない。寒月君はもっと令嬢らしいのをもらうがいい。
「先生ありゃ生徒ですか」
「うん」
「たいへん大きな頭ですね。学問はできますか」
「頭のわりにはできないがね。時々妙な質問をするよ。こないだコロンバスを訳してくださいって大いに弱った」
「全く頭が大き過ぎますからそんなよけいな質問をするんでしょう。先生なんとおっしゃいました」
「ええ? なあにいいかげんなことを言って訳してやった」
「それでも訳すことは訳したんですか、こりゃえらい」
「子供はなんでも訳してやらないと信用せんからね」
「先生もなかなか政治家になりましたね。しかし今の様子ではなんだか非常に元気がなくって、先生を困らせるようには見えないじゃありませんか」
「きょうは少し弱ってるんだよ。ばかなやつだよ」
「どうしたんです。なんだかちょっと見たばかりで非常にかわいそうになりました。ぜんたいどうしたんです」
「なに愚なことさ。金田の娘に艶書を送ったんだ」
「え? あの大おお頭あたまがですか。近ごろの書生はなかなかえらいもんですね。どうも驚いた」
「君も心配だろうが……」
「なにちっとも心配じゃありません。かえっておもしろいです。いくら艶書が降り込んだって大丈夫です」
「そう君が安心していればかまわないが……」
「かまわんですとも私はいっこうかまいません。しかしあの大頭が艶書を書いたというには、少し驚きますね」
「それがさ冗談にしたんだよ。あの娘がハイカラで生意気だからからかってやろうって、三人が共同して……」
「三人が一本の手紙を金田の令嬢にやったんですか。ますます奇談ですね。一いち人にん前まえの西洋料理を三人で食うようなものじゃありませんか」
「ところが手分けがあるんだ。一人が文章を書く、一人が投函する、一人が名前を貸す。で今来たのが名前を貸したやつなんだがね。これがいちばん愚だね。しかも金田の娘の顔も見たことがないっていうんだぜ。どうしてそんなむちゃなことができたものだろう」
「そりゃ、近来の大出来ですよ。傑作ですね。どうもあの大頭が、女に文ふみをやるなんておもしろいじゃありませんか」
「とんだ間違いにならあね」
「なになったってかまやしません、相手が金田ですもの」
「だって君がもらうかもしれない人だぜ」
「もらうかもしれないからかまわないんです。なあに、金田なんか、かまやしません」
「君はかまわなくっても……」
「なに金田だってかまやしません、大丈夫です」
「それならそれでいいとして、当人があとになって、急に良心に責められて、恐ろしくなったものだから、大いに恐縮してぼくのうちへ相談に来たんだ」
「へえ、それであんなにしおしおとしているんですか、気の小さい子とみえますね。先生なんとか言っておやんなすったんでしょう」
「本人は退校になるでしょうかって、それをいちばん心配しているのさ」
「なんで退校になるんです」
「そんな悪い、不道徳なことをしたから」
「なに、不道徳というほどでもありませんやね。かまやしません。金田じゃ名誉に思ってきっと吹ふい聴ちようしていますよ」
「まさか」
「とにかくかあいそうですよ。そんなことをするのが悪いとしても、あんなに心配させちゃ、若い男を一人殺してしまいますよ。ありゃ頭は大きいが人相はそんなに悪くありません。鼻なんかぴくぴくさせてかあいいです」
「君もだいぶ迷亭みたようにのんきなことを言うね」
「なに、これが時代思潮です、先生はあまり昔ふうだから、なんでもむずかしく解釈なさるんです」
「しかし愚じゃないか、知りもしない所へ、いたずらに艶書を送るなんて、まるで常識をかいてるじゃないか」
「いたずらは、たいがい常識をかいていまさあ。救っておやんなさい。功く徳どくになりますよ。あの様子じゃ華厳の滝へ出かけますよ」
「そうだな」
「そうなさい。もっと大きな、もっと分別のある大僧どもがそれどころじゃない、悪いたずらをして知らん顔をしていますよ。あんな子を退校させるくらいなら、そんなやつらを片っぱしから放逐でもしなくっちゃ不公平でさあ」
「それもそうだね」
「それでどうです上野の虎の鳴き声を聞きに行くのは」
「虎かい」
「ええ、聞きに行きましょう。じつは二、三日うちにちょっと帰国しなければならないことができましたから、当分どこへもお供はできませんから、きょうはぜひいっしょに散歩をしようと思って来たんです」
「そうか帰るのかい、用事でもあるのかい」
「ええちょっと用事ができたんです。──ともかくも出ようじゃありませんか」
「そう。それじゃ出ようか」
「さあ行きましょう。きょうは私が晩ばん餐さんをおごりますから、──それから運動をして上野へ行くとちょうどいい刻限です」としきりに促すものだから、主人もその気になって、いっしょに出かけて行った。あとでは細君と雪江さんが遠慮のない声でげらげらけらけらからからと笑っていた。